銭形平次捕物控 001 金色の処女 / 野村胡堂
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御薬園、一名高田御薬園というのは、今の音羽の護国寺の境内にあったもので、一万八千坪の中に有名な薬師堂、神農
、数百千種の薬草霊草から発する香気は、馥郁として音羽十町四方に匂ったと言われるくらい、幕府の御薬園の権威は大したもの
ような士卒は、間近に置かれなかったまでのこと、音羽から小日向、大塚へかけては、何千とも知れぬ警護の士で、蟻
利きません。鷹狩が済むと、待ち構えていたように音羽へ下って、大塚御薬園の高田御殿へお入りになります。
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その頃東西の両国に軒を並べた水茶屋の一つを覗いて、平次はこう声を掛けました。
両国から小日向まで駕籠、そこからわざと歩いて、唐花屋の入口に着いたのはか
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に思い当りました――芝伊皿子の荒物屋の娘お夏、下谷竹町の酒屋の妹おえん、麻布笄町で御家人の娘お幸――、数え
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言忠長の臣で、本草学の心得があるのを幸い、京都に行ってその道の薀奥を極め、身分を隠して大塚御薬園を預かる
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のは雑司ヶ谷ばかりじゃございません、目黒にも桐ヶ谷にも千住にも、この秋はことの外獲物が多いという評判でございます。それが
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ございましょう。小鳥のいるのは雑司ヶ谷ばかりじゃございません、目黒にも桐ヶ谷にも千住にも、この秋はことの外獲物が多いという評判
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―、雑司ヶ谷の鷹野の帰り、上様には決って、大塚御薬園へ御立寄りになる、あの中に新築した高田御殿で、一
大塚御薬園、一名高田御薬園というのは、今の音羽の護国寺の
与力笹野新三郎の屋敷を飛出した銭形平次、いきなり大塚へ飛んで来て、この薬臭い塀にヘバリ付きましたが、場所が場所
、音羽の裏通りを真っ直ぐに、今の護国寺、その頃の大塚御薬園の裏門へ、呑まれるように入ってしまいました。
、間近に置かれなかったまでのこと、音羽から小日向、大塚へかけては、何千とも知れぬ警護の士で、蟻の這い出る隙間
が済むと、待ち構えていたように音羽へ下って、大塚御薬園の高田御殿へお入りになります。
京都に行ってその道の薀奥を極め、身分を隠して大塚御薬園を預かるまでに出世したのです。
大塚御薬園は、その後まもなく取潰しになり、天和元年護国寺建立の敷地
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、一名高田御薬園というのは、今の音羽の護国寺の境内にあったもので、一万八千坪の中に有名な薬師堂、神農堂
に無提灯のまま、音羽の裏通りを真っ直ぐに、今の護国寺、その頃の大塚御薬園の裏門へ、呑まれるように入ってしまいまし
御薬園は、その後まもなく取潰しになり、天和元年護国寺建立の敷地として召上げられた事は人の知るところです。
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来ると、ハッと平次の足を止めたものがあります。目白坂の降口に、紺暖簾を深々と掛け連ねて、近頃出来ながら、当時
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「先頃、雑司ヶ谷御鷹狩の節の騒ぎは、お前も聞いたであろう」
三代将軍家光公が、雑司ヶ谷鬼子母神のあたりで御鷹を放たれた時、
捕らぬうちに、上様には再度雑司ヶ谷の御鷹野を仰せ出された。
ではお尋ねしますが、上様を雑司ヶ谷の御鷹野に引付けるのは、なんか深い仔細がございましょう。
小鳥のいるのは雑司ヶ谷ばかりじゃございません、目黒にも桐ヶ谷やにも千住にも、
薄々世間でも知っていることだ――、雑司ヶ谷の鷹野の帰り、上様には決って、大塚御薬園へ御立寄りになる、
家光は近臣十二名を従え、微行の姿で雑司ヶ谷へ鷹狩に出かけました。
大名が廓通いに夢中になったように、将軍家光が雑司ヶ谷の鷹狩に夢中になったのも無理のないこと