銭形平次捕物控 135 火の呪ひ / 野村胡堂
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氣も付きませんでした。それは谷中と言つても道灌山に近く、寺といふよりは無住の庵室で、木立の中に置忘れた
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「有難う御座います親分さん。――九州生れの私は切支丹のことをよく存じてをります。切支丹は放火などをする
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は根も葉もないことではありません。天草、島原の切支丹一味が亡びてから、長い間經ちましたが、全國に隱れた
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から名指しで腕つこきの組を二十人ばかり狩り集め、一隊は牛込へ、一隊は麻布へ、一隊は築地へ、有名な寺三つに配置し
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三年正月十八、九日)の丸山本妙寺の振袖火事から江戸は火事續きぢやありませんか。三年前(萬治元年)の本郷吉祥寺
晩に五ヶ所八ヶ所もあるんだから、いくら火事が江戸の花だつて、これぢややりきれない」
尤もでした。明暦三年から萬治三年へかけて、江戸の火事騷ぎは、年代記にも明かで、大は八百餘町を一と舐め
江戸にその頃、表向切支丹宗徒はなかつたわけですが、原主水以來の熱心な
だが、天下靜謐の折柄、無理な詮索をして江戸から切支丹教徒を擧げるのは面白くない。原主水一味の刑死以來、久しく血腥い
四十七名の切支丹を品川で火刑にしてから三十六年間、江戸には曾てこのことがなかつたのですが、明暦三年の振袖火事以來、
切支丹でないとすると、江戸を恐怖のドン底に陷れたのは、一體何者の仕業でせう。
指圖で擧げた七十八人の切支丹宗徒とは別に、江戸に火をバラ撒いた本當の曲者を擧げようといふのです。その間に平次
企てる樣子もなく、それに見境もなく火を放つて、江戸の町人を苦しめるといふことは切支丹にしてもありさうもないことのやう
江戸を恐怖のドン底に投げ込まうとするのは、どんな人間の仕業でせう。
ガラツ八は飛び出しました。江戸を恐怖のドン底から救ふ手がかりが、それでようやく、平次の手に握られ
のは迂遠で、その後夜毎の火事にしても、江戸の諸方から一度に火の手の擧がる樣子は、どう考へても、多勢の者
ありませんが、幸ひに落書のあつたのは、江戸の盛り場や目拔きに限られ、平次とガラツ八が、多勢の下つ引
のが一と苦勞でした。道順も札順もない江戸の橋と堂宮を、どう並べたものか、最初は手の付けやうがなか
江戸の街を掌の中の如く心得た二人も、谷中にこんな寺があると
「今までの火事は江戸の眞ん中ばかりだつたが、こんな林の中の、誰も氣の付か
て、放火の惡業も暫く休み、一と月ばかりは江戸も平穩な夜が續きました。
、その六人の口を割つて、四年に亙る江戸の騷擾者三十幾人は一と晩のうちに縛られてしまつたのです
丸橋忠彌の一味だ。あの時お繩に洩れたのが江戸に潜入して、四年越し世の中を騷がすことばかり工夫してゐた
「あんなことをして江戸の町人共の心を騷がし、その隙に乘じて又一と旗擧げる
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前(萬治元年)の本郷吉祥寺の火事、今年の正月の湯島天神門前の火事と、大きい火事だけでも三つ、その外小さい火事は毎晩
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(例)本郷吉祥寺
ぢやありませんか。三年前(萬治元年)の本郷吉祥寺の火事、今年の正月の湯島天神門前の火事と、大きい火事だけでも
平次の言つたことですが、振袖火事にしても、吉祥寺火事にしても、二日に亙つて火は八方から起つてをり
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「大きく出やがつたな。大久保彦左衞門樣見たいな分別臭い顏をどこで仕入れて來たんだ」
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九年十二月九日、原主水等四十七名の切支丹を品川で火刑にしてから三十六年間、江戸には曾てこのことがなかつたの
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「そこに拔りはありませんよ。こいつは日本橋の、こいつは今川橋、――こいつは――」
から日本橋までだから、三つ橋、昌平橋、今川橋、日本橋の順序で讀ませるつもりだらう。並べて見るがいゝ」
橋の欄干にあつたんだ。――橋は上野から日本橋までだから、三つ橋、昌平橋、今川橋、日本橋の順序で讀ませる
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つは橋の欄干にあつたんだ。――橋は上野から日本橋までだから、三つ橋、昌平橋、今川橋、日本橋の順序で