奇談クラブ〔戦後版〕 12 乞食志願 / 野村胡堂
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振り返ると本郷から神田の空へかけて、まだ燃えさかる焔を映して真赤、咆え狂う北風に
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我慢をしてお聴きを願います。――寛永十五年島原の切支丹宗徒の乱が平定したとき、祖父の摂津守忠房島原城主とし
は如何。――何を隠そうこの黒川宗次郎は、御領地島原の郷士、島原の乱後新領主高力様の苛政に煩わされ、切支丹軍徒を
―何を隠そうこの黒川宗次郎は、御領地島原の郷士、島原の乱後新領主高力様の苛政に煩わされ、切支丹軍徒を匿まった罪
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「松永町の焼けたのは中屋敷、――上屋敷は半蔵門外にある、高力左近太夫―
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この時の延焼は八百余町に及び、江戸城の本丸、二ノ丸、三ノ丸を炎上し、焼死者実に十万七千人という数字です
火事は翌る日も燃え続け、江戸城の本丸まで焼いて、三日目の正月二十日に漸く鎮まりました。その
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江戸の大火の恐しさは、関東の震火災から、ツイ先年の戦火災を御経験の方は、よくおわかりの
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いって、これが徳川家康の股肱、家康の若い頃、三河国の三奉行として『仏高力、鬼作左、どちへんなしの天野三郎兵衛
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江戸の大火の恐しさは、関東の震火災から、ツイ先年の戦火災を御
、焼死者実に十万七千人という数字です。その頃の江戸の人口は、恐らく五十万以上では無かったでしょうから、罹災等の比率は大変
雪模様の鉛色の空に、江戸の大半を焼く紅蓮の焔が照り返して、梨地の様に降りしきる火の子、
、思い出したように、潜り抜けて来た焔の壁――江戸を焼き立てている紅蓮の劫火を顧みて、そっと衿をかき合わせるのです。
さすがにこの辺までは燃え拡がらず、明日の運命を知らぬ江戸の町人達は、さすが不安にさいなまれながらも日本橋、築地あたりは、まだ立退き
ず、二人は全く途方に暮れながら、ここに籠って、江戸の町々の秩序と町人武家共の常識を取戻すのを待つ外はなかったの
ばならぬ時が来たのです。大火が納まって、江戸の町々が元の静けさに返ると、伊予守忠弘は、幸いその辺は劫火
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か、寛文八年高力家は所領没収、左近太夫高長は仙台に、伊予守忠弘は出羽の庄内藩に預けられたというだけで十分
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――兎も角も大川へ漕ぎ出して様子を見た上、深川の叔母のところへでも参りましょう、――それとも御武家様、
強さはまことに非凡で、恐ろしい努力の後、永代の深川寄りの岸に着けたのは、その夜もやがて亥刻半(十一時
という名義で、忠弘は心ききたる家臣を深川八幡前の家へやって見ました。が、待ちに待ったその復命
「恐れながら申上げます。深川八幡前の、御申付の家に参り、お鳥と申す女に逢い
「若殿、――芳江兄弟が見付かりました、深川の叔母お鳥の引越し先を捜し出し、当人に逢って、脅かしと金で
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、火先は疾風に乗って、アッというまに本郷台から神田へと燃え下ったのです。高力家の中屋敷の面々も、最初は
振り返ると本郷から神田の空へかけて、まだ燃えさかる焔を映して真赤、咆え狂う北風に煽ら
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知らぬ江戸の町人達は、さすが不安にさいなまれながらも日本橋、築地あたりは、まだ立退きの支度もしてはおりません。
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「浅草の裏に家がありますが、彼方も火になった様子です。いずれ
残る手段はたった一つ、岡崎十次郎を案内に、浅草田圃に、宗次郎芳江兄弟の隠れ家を襲う外はありません。
浅草田圃の夜、虫の音に取囲まれたような、凄まじくも風流な宗次郎