銭形平次捕物控 221 晒し場は招く / 野村胡堂
地名一覧
地名をクリックすると地図が表示されます
「まだ薄明るい頃でした。鎌倉町の津々井樣へ、久し振りで碁を打ちに行くと申しまして」
一度づつ外へ出ました。番頭さんと久治どんは、鎌倉町の津々井樣まで二度も行きましたし、留吉どんとお隣りの麻井
仕官の口がフイになるのも恐ろしかつたので、鎌倉町から歸るところを待ち受け、親切らしく持ちかけて、足の不自由な小左衞門の左の
地名をクリックすると地図が表示されます
「何? あの一代に江戸で何番といふ身上を拵へた、翁屋の主人が殺された上に
の讒言で、拙者も家を追はれ、妹と二人、江戸へ參つて艱難して居るところを、フトした事から碓氷氏に見出され
「これは牧野備後守樣江戸御留守居、金山主膳樣の打ちあけ話で、一厘一毫の掛け引も御座り
地名をクリックすると地図が表示されます
「親分、日本橋の騷ぎを御存じですかえ」
日本橋の晒し場には、心中の片割れから女犯の僧と言つたやうなものが
日本橋の東詰の晒し場、この間まで相對死の片割れの、不景氣なお店者
ない證據は、日本橋の橋番所でも知らず、その上日本橋の晒し物は、近頃殆んど生きた人間に限られ、死骸の晒し物など
お上のしたことでない證據は、日本橋の橋番所でも知らず、その上日本橋の晒し物は、近頃殆んど生き
身上を拵へた、翁屋の主人が殺された上に日本橋に晒されたといふのか」
行きましたし、留吉どんとお隣りの麻井樣は、日本橋からお濠端へ出て、江戸橋の方まで廻つて見たと言つて
報告がをはると、二人の下つ引は日本橋へ引揚げて行きます。
の朝翁屋小左衞門の死骸を晒してあつた、あの日本橋の晒し場へ入つて、見事に腹を切つて死んでるとしたら、どんな
た若い武家の噂は、八方に飛んでその前日、同じ日本橋の晒し場に、鋸と一緒に死骸を晒された、大町人翁屋小左
「場所は日本橋近かつたので、幸之進は死骸を晒し場に抛り込んだ。萬人に見せて