十字架観音 / 野村胡堂
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を求められる時候でもなく、その上困ったことに、山形城に育った余吾之介は、武芸百般暗きはない中にも、泳ぎの方
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十字架を持った観音像を背負って、九州から松前まで、四十年の間巡礼に暮した夫婦者、――余吾とお鹿
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木母寺の方も、堀切道も塞がれて、余吾之介は川へ飛びこむより外
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お秋はその頃江戸の町に散在していた、町芸者の一人だったのです。
に楯をついて、高野山に登った方もあるが、江戸に踏みとどまって、日頃取込んだ不義の財で、栄耀の限りを尽しておる者
「余吾之介様、山野辺も、楯岡も、のめのめと江戸に帰っております」
手をかけて、ゆすぶり加減に顔をのぞくのでした。江戸の町芸者らしい、英雄崇拝と、色気が、お秋の全身の血を沸きたた
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を斬って、御先代様の妄執を晴らし、一つは柳川に淋しい謹慎の日を送る、御父上様、備前様を慰めておやり
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山形の城主最上源五朗義俊が所領を召上げられて、重臣を各大名に預け
ないために敗れて流され、幕府はそれを口実に、山形の所領を収めて、義俊母子を近江三河一万石に蟄居させてしまっ
は禁制といっても大したことはありませんでした。山形におる頃は、私も鹿の子様と一緒に、お祈ごっこをした
余吾之介は、続けざまに斬り立てました。嘗て、山形藩随一の使い手と言われた腕は、異常な興奮に冴え返って、触
を求められる時候でもなく、その上困ったことに、山形城に育った余吾之介は、武芸百般暗きはない中にも、泳ぎ
之介はぞっとして身を翻しました。小さい時、山形で見た覗きからくりの血だらけな殺し場を思い出したのです。一人の
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浅草観音の仁王門をでたところへ声をかけられたのですから、これは
「浅草から参りました。お秋さんが九死一生の大難で、放っておけば
そういうのは、浅草の町芸者お秋、磔柱の上に静かに眼をつぶって、召される
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二人はそのまま田原町から蛇骨長屋へ、言葉少なにつれだって行きました。
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「向島の山野辺の寮で碁などを打って、気楽に暮しているという噂
「山野辺、楯岡一味の者が、向島に栄耀の日を送っておる、最上家の仇、最上の怨み、あれ
「よし、行ってやろう、向島の何処だ」
二人は守宮のように塀に吸付きました。向島――と言っても諏訪神社の裏手、寺島の百姓家に交って、寮造り
二人は何時の間にやら虎口を脱れて、向島の土手を駈けていました。
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木母寺の方も、堀切道も塞がれて、余吾之介は川へ飛びこむより外に逃げ道がなくなっ
や追手も、あきらめて白鬚の方へ引揚げてしまいます。堀切へかけて、眼を遮る物もない綾瀬の河岸っ縁に、人間一人
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三組に分けられて江戸中を引廻された上、東海道品川の刑場に到着しました。
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、余吾之介は土手の闇を拾って、関屋から、綾瀬川の方へ出てしまいました。