幻術天魔太郎 / 野村胡堂
地名一覧
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智恵伊豆と人魚
智恵伊豆も、さすがに腹をすえかねました。プカプカと水に浮いている刀かけ
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乱行の悪名をおわされて六年まえの寛永十年、高崎城に幽閉されて、肉親の兄家光将軍から、むざんの死をたまわりました
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筑後の家は、町人風の住居ではありますが、小田原町の一角を占領した、みがきぬいた格子づくりで、子分衆から職人たち、
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川越の喜多院を修し、日光山を経営し、上野の寛永寺を建立し徳川家康の軍師とも師父ともなって、三百年太平のもといを
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大工棟梁泉田筑後の家は、町人風の住居ではありますが、小田原町の一角を占領
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罪状をかいた高札をおったてて、諸人への見せしめに、江戸の町まちをひきまわすのですが、将軍の命をねらった曲者とは、さすがに
里の風物。とおくには玉川の銀の帯のかなたに江戸の町まちまでが、ほのかに見えているのです。
お千代は蝶にさそわれたり、野良犬に追われたり、江戸から丹沢山まで、なんにもしらずにやってきたのだ」
丹沢の山奥から江戸へ、天魔太郎とふたりの少女は、菜の花ばたけのチョウのように、心
江戸へはいると、まず築地小田原町の、お千代の家にはいるつもりでしたが
風と雨と、いりみだれた大嵐は、春の夜の江戸のまちを、地獄の底へたたきこむかと思うばかりでした。
あくる日、ゆうべの嵐をわすれたような晴天、江戸の町なみにかげろうがもえて、嵐に散りのこるなごりの花が、チラリホラリとあさぎ
のために、百人のいのちをすくう望みにもえて、江戸にふみとどまることになり、泉田筑後の娘お千代までが、
「私も江戸にのこっていいでしょうね、お母さま。駿河太郎さまへのご恩がえしに、月子
江戸へ引かえすことになった天魔太郎と月子とお千代、六郷の渡しをこえ
虎吉てえ人間をわすれたんだ。おれがいないと、江戸へいって不自由するぜ」
「ところで、お筆をいつまでも江戸へおくわけにはゆくまい。虎吉は丹沢山のみんなのいるところまで、送っ
「お安いご用だが、もう少し江戸であばれさせてくださいよ。精いっぱい働きますよ」
神尾備前守は、末座からこたえました。江戸の町奉行がこんなことでは、天魔太郎退治もはなはだ心ぼそいことです。
大名に通達され、天下の勇士術者がぞくぞくとして江戸にあつまったことはいうまでもありません。
、将軍家光にちかづこうとし、そのつてをもとめて、ちかごろ江戸へ出られたではないか」
て、千住の大橋にかかりました。この橋をわたれば江戸のそとで、お代官領になります。
むいて、一気にかけもどろうとしましたがいけません。江戸よりのほうからも、おなじく一団のほのおが橋の上いっぱいにもえて、家光
するときき、松平伊豆どのの急使をうけて、たったいま江戸からかけつけてまいったのじゃ」
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きたる七日正午、首を洗って道灌山にきたりわれらの誅りくをまつべし。もしおくれてきたらざるにおい
日、この果しあいの当日になると、定めの場所の道灌山は、まえの晩からつめかけた見物人で、山いっぱいにまっ黒になるほどの人出
と火とのはげしい争いはしばらくつづきました。ふきあがる水蒸気は道灌山をいっぱいにつつんでしばらくは夜のようにくらくなりましたが、やがてその蒸気
風にとびちると、のこるのはもとの草とやぶばかり、道灌山の広場には、水一滴こぼれたあともありません。
道灌山の上に、こんなおとし穴があろうとは、天魔太郎も、猫間犬丸も気
目のまえにポカリと穴があいて、猫間犬丸は道灌山の崖したの、あるりっぱな家の庭に立っておりました。
「道灌山で、私を相手にたたかった三人のうち、覚心坊はとるにもたら
「猫間犬丸、道灌山の果し合いに、貴殿どうよう、はじをかいたせっしゃでござるよ」
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丹沢の隠れ家
春がゆき、夏がすぎ、秋もおわると、丹沢の山やまは雪にとざされますが、ふたりの兄妹と心外道人は、庵の
丹沢の山奥から江戸へ、天魔太郎とふたりの少女は、菜の花ばたけのチョウの
縁がわにしゃがんているのは、あの丹沢の山奥に住んでいた夫婦猿のうちの雄、次郎坊の人なつっこそうな
「丹沢の奥へはいって、ワラビやゼンマイをとって、ひなたぼっこをしてながい一日
。サアサア、さようなのぞみは、今この場ですてて、丹沢の山奥にかえり、あの台地に村をひらいて一味一党の楽園にするがよい
ようなことはしないつもりだ。安心してまっすぐに、丹沢へ引きあげるのだ」
天海僧正は枯木のような指をあげて、はるか丹沢の方をまっすぐにゆびさすのでした。
「では僧正、お教えは身にしみてかたじけない。一応丹沢の山奥に引きあげ、千百万人をすくう道を考えて、また出直すとしましょうか
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「いうな、島原で十万のキリシタン宗徒を殺し、駿河大納言忠長さまを、上州高崎に窮死せ
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うち、覚心坊はとるにもたらぬ山師坊主だが、尾張藩の青柳又八郎はなかなかの人物、私に負けたうえは、――塙氏、
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もそのはず、青柳又八郎というのは、尾州(愛知県)名古屋の家来ですが、ふしぎな刀法と人にすぐれた気力で、藩中にも
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それはじつに天下の名僧、川越の喜多院を修し、日光山を経営し、上野の寛永寺を建立し徳川
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それにはじまって、いろいろの怪異が、古河城の奥ふかくに休んでいる家光を、どんな術でひと晩じゅう、なやませつづけ
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それはじつに天下の名僧、川越の喜多院を修し、日光山を経営し、上野の寛永寺を建立し徳川家康の軍師とも師父ともなっ
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日光ご社参のさいごの宿は、下野国(今の栃木県)宇都宮で七万八千石、戸田山城守のお城でした。あすは
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に南へ南へと落ちのび、ほどよいところに上陸して、丹沢山の奥ふかく、とある洞窟に太郎月子の兄妹をみちびいたのは、それからじつ
て休むがよい。とうぶんはここがおまえたちの住家だ。丹沢山の奥の奥の、けずり立った岩にかこまれた盆地で、飛ぶ鳥か
は蝶にさそわれたり、野良犬に追われたり、江戸から丹沢山まで、なんにもしらずにやってきたのだ」
船で神奈川におくられ、そこでめいめいのしたくをととのえ、丹沢山のかくれ家へと、二人三人ずつ、人めにたたぬ旅をつづけることに
は、しばしのわかれをおしみながら、菜の花の咲きにおう厚木街道を丹沢山へとむかったのです。
「なにをいうの虎吉、おまえはみんなといっしょに丹沢山へ行くはずだったじゃないの」
をいつまでも江戸へおくわけにはゆくまい。虎吉は丹沢山のみんなのいるところまで、送ってやってくれないか」
それから二、三日たつと、お筆とお兼を丹沢山の山塞におくってやり、天魔太郎はあらためて妹の月子、泉田筑後の娘お
の月子らとおち合い、たがいのぶじをよろこんで、初夏の丹沢山へと更生の道をいさましくかえって行くのでした。
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一行四人になって、高輪の大木戸をはいったのはもう夜です。
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それはじつに天下の名僧、川越の喜多院を修し、日光山を経営し、上野の寛永寺を建立し徳川家康の軍師
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職人たちをくわえて総勢十五人、船頭権六の船で神奈川におくられ、そこでめいめいのしたくをととのえ、丹沢山のかくれ家へと、二人
うしろからとんできたのは、神奈川でわかれたはずの小僧の虎吉。三度笠を宙にふりながら追いすがるのです
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、なかは床で上にすわったままの伊豆守たったひとり、有明のあんどんが明滅するだけいままでの水や人魚、そのほか怪しいものの影も
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「かくされるな猫間氏。貴公は長崎おもてにおいて、異人に妖術をまなび祖父のうらみをはらさんため、将軍
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ご社参のさいごの宿は、下野国(今の栃木県)宇都宮で七万八千石、戸田山城守のお城でした。あすはいよいよ日光廟ご参拝
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その夜、品川沖にうかんだ釣船の一つに、白衣の心外道人と、駿河太郎と
魔太郎と月子とお千代、六郷の渡しをこえて、やがて品川へちかづいたのはもう夕ぐれでした。
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お城大工棟梁泉田筑後は、千住小塚ガ原のたまりから引きだされて、正五ツ(八時)のしおき場
、将軍家光、金銀をちりばめたお召かごに乗って、千住の大橋にかかりました。この橋をわたれば江戸のそとで、お代官
いっぽう、天魔太郎、千住の大橋では家光をのがしましたが、もとより、これっきりであきらめるはずも
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から、父上を目の敵にして、とうとう死地においこんだ大久保彦左ヱ門」
大久保彦左ヱ門忠教といえば、徳川家康以来の名臣で、十六歳のとき
をしりぞけたのは、私心はなかったにしても、大久保彦左ヱ門と春日局のたくらみで、忠長の子の天魔太郎からいえば
大久保彦左ヱ門は、その夜机にむかって、思いでの戦記を書いて
大久保彦左ヱ門、さすがにおどろきはしませんが、膝をたてなおしてどなりつけ
「おのれ、妖怪。大久保彦左ヱ門をみそこなったかッ」
「や、でたな、化物ども。大久保彦左ヱ門の手なみを見ろ」
灯籠のうえの少年はいうまでもなく天魔太郎、ここで大久保彦左ヱ門にうらみを果たしにきたのですが、このがんこ一徹の老
大久保彦左ヱ門は、徳川家のためには無類の忠臣でしたが、徳川
につっ立って片アブミをはずしてあいさつしたのは、老臣大久保彦左ヱ門忠教でした。このとき、彦左ヱ門七十九歳、白髪頭にトンボ
トビの巣文字山の初陣より、かっておくれをとらぬ、大久保彦左ヱ門忠教――」
七十九歳の老武士、大久保彦左ヱ門の勇気と機知で、その場はぶじにすみましたが、
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、自分の腕と技とに慢じきっているようす。日本橋高札場に公開状をかかげ、時と場所をさだめて決闘をいどまば、かならず
そしてあくる月、日本橋の高札場に、たかだかと大一番のたて札がかかり、その文句が
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のもむりはありません。わたりかけた大橋のむこうがわ、北千住よりの橋の上に一団の火焔がもえあがるとみるや、たちまち大輪の火の車
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名僧、川越の喜多院を修し、日光山を経営し、上野の寛永寺を建立し徳川家康の軍師とも師父ともなって、三百年
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をポカンとなぐって、高慢のはなをくじいたり、大洪水の隅田川を、馬上に乗きって家光の御感にあずかったり、正直一途では