銭形平次捕物控 078 十手の道 / 野村胡堂
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、公儀の不評判を取繕ふ積りで、左近太夫樣は萩と廣島に上陸して、毛利と淺野の居城の繩張りから防備の樣子を見
内匠は、陸路何の障りもなく、廣島の城下も、萩の城下も、大手を振つて通り拔け、夏の中旬頃には、本國の
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肥前島原の城主高力左近太夫高長は、嘗て三河三奉行の一人、佛高力と呼ばれ
一人、佛高力と呼ばれた河内守清長の曾孫で、島原の亂後、擢でて鎭撫の大任を命ぜられ、三萬七千石の大祿
は、四五日のうちに、主君左近太夫が、所領の島原へ歸る爲ばかりとは受取れなかつたのです。
宥めたか、兎に角殿樣の身代りになつて本街道を島原へ練らせ、眞物の左近太夫樣は、お忍びで、藏宿の船か
を振つて通り拔け、夏の中旬頃には、本國の島原に着いて居りました。が、その代り、眞物の高力左近太夫高長は、
、行列を組んで中國筋を通つた癖に、無事に島原へ着いたわけは、どうも俺には解らねえ」
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平次は其處からすぐ八丁堀へ飛んで行つて、笹野新三郎の口から町奉行を動かし、大目付に搜り
翌る日の朝、何の獲物もなく八丁堀まで引揚げた平次は(目黒川に若い女の死骸が浮いた、――若く
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も、松平大膳大夫の領内防州小郡の湊から上陸し萩城を一覽する所存で、一の坂を越え、蟹坂までノコノコやつて行つ
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續いて今度の歸國、瀬戸内海は船で通すにしても、藝州と防州の沖を、無事には通れ
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。――その上、殿樣には、二三日中に江戸御發足、御歸國と承はりました。せめてその前に伜の安否だけで
お靜に預けたまゝ、平次とガラツ八は、初夏の江戸の街を、一氣に西久保へ飛びました。
明日は殿樣江戸表出立といふ騷ぎ、邸内は宵までごつた返して、亥刻半頃
主君の身代りになつたのですが、主家沒落と共に江戸に馳せ歸り、平次に預けた母親を引取つて孝養を盡した事は言ふ
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窓は、門から數へて右へ四つ目、九つの増上寺の鐘が合圖でございますよ」
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「旦那樣お出でゞございませうか。あつしは神田の平次と申して、町方の御用を承はつて居る者でございます。
「何? 神田の平次だ? 町方の岡つ引などにお目にかゝる旦那では
死もまた奪ふことの出來ない拔群の美しさは、昨夜神田の家を飛出した筈の、志賀内匠の妻お關の淺ましい姿でなく
どころぢやねえ、昨夜から行方を探して居たのさ。神田明神樣裏の、志賀内匠といふ浪人のお内儀だ」
「志賀樣、――御免下さい。あつしは神田の平次といふ者ですが、少しはお母樣の身にもなつて
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「品川沖から、死骸が大川を溯上るのは、どうも面白くないことだと
「この間は品川へ釣にいらつしやいましたな。三日前、今日のやう
「品川でお見かけ申しましたよ。壽屋で志賀内匠樣は、お腹が痛い
事か、成程行つた。――確かに行つたよ、品川で舟を出さうと言ふ時、志賀氏は急に腹が痛いと言ひ出し
と言つたが、治太夫は此方の罠に乘つて、品川の壽屋で別れたと言つた」
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―)と聽くと、もう一度八五郎を促して、目黒まで驅け付けたのです。
横合から顏を出したのは、土地の御用聞、目黒の與吉といふ中年者でした。
ガラツ八は横手を打つと直ぐ飛出しました。目黒の與吉は、何が何やら解らない樣子で、ぼんやり二人の話を聽
出しました。二度目の僞手紙でお關をおびき出し、目黒の下屋敷につれ込んだ高力左近は、恩人にして臣下、今はしかも
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の朝、何の獲物もなく八丁堀まで引揚げた平次は(目黒川に若い女の死骸が浮いた、――若くて滅法綺麗な女だが
目黒川の土手を眞黒に埋めた人垣を見ると、平次の義憤は燃え上がります
て、首を三太刀まで切つた上、茣蓙に包んで目黒川に流した始末を、平次は手に取る如く語り聞かせたのです。
縋るやうに、宙に向つて頭を垂れるのでした。目黒川に無慙な死骸を浮べた貞烈な美女のために、夫の最上の感謝