銭形平次捕物控 301 宝掘りの夜 / 野村胡堂
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ても、まだ櫻の咲いてゐる頃、向島に一度、飛鳥山に一度あつて、大變な騷ぎをやつたんですが」
んが、こいつは矢張り金儲けの興行物ですよ。最初は飛鳥山の花の下で、山の中腹に二三十間四方の繩張りをして、二十四
もう山中の人氣をさらつて、何千人と入り込み、飛鳥山を禿ちよろにしましたよ」
「花は散つてしまつて、向島も飛鳥山も毛虫だらけ、當分人寄せも出來ないと思つて居ると、二三日前から
も、最初は大したことでもなかつたのですが、兎も角飛鳥山の一角を禿げチヨロにし、三圍樣樣の境内を土龍の古戰場
「寶掘りは飛鳥山が最初で、向島が二度目、今度は錢形の親分のお膝元の宮本町へ
「これ丈けの細工をするために、飛鳥山と向島は潮踏みだつたのさ。寶屋へ押し入つて、千兩箱を一
かも知れません。現に私のやつた寶搜しは、飛鳥山と向島の二度だけで、今晩の櫻の馬場は、全く私の知らない
「向島と飛鳥山の時は、山の宿の親方に頼まれたが、今夜の櫻の馬場
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東京中の彌次馬が上野に集まつて、山下から山内の東照宮前に移してあつた黒門が、その根を掘り荒されて、危ふくブツ
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「佐渡の國なら金を掘る話は聽いたが、江戸で通用金の小判を
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櫻は過ぎたが、遊び足りない江戸の人達は、ゆく春を惜んで、ほろ醉心地のその日/\を
から此邊を塒にして居る三十男、のんびりした江戸の世界には、よく斯う言つた屑のやうな人間が餓ゑも凍えもせ
「佐渡の國なら金を掘る話は聽いたが、江戸で通用金の小判を掘る話は初耳だよ」
人は大方忘れてしまつたことでせう。徳川時代の江戸には、これは興行的に、又は宣傳のために頻繁に行はれ
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平次はあつけに取られました。下谷の奧から、山谷あたりをかけて繩張りにして居る、三輪の萬
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相變らず神田明神下の平次住居の段、親分は怠け者で、子分は呑氣者で
それは神田宮本町の大地主、金貨で肥り過ぎた身上を、近頃は扱ひ兼ねてゐる
と思つて居ると、二三日前から馬鹿の宇八が神田中を觸れて歩きましたよ。丁度今日の暮れ六つ、櫻の
土龍の古戰場のやうにした上、今の神田宮本町、その頃の櫻の馬場を、大根島のやうに掘り荒したの
神田明神と聖堂の間、葉櫻で圍まれた一角に、その日の
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――と言つても、まだ櫻の咲いてゐる頃、向島に一度、飛鳥山に一度あつて、大變な騷ぎをやつたんです
「向島では三圍樣の境内を半分借り切つてやりました。この時は
「花は散つてしまつて、向島も飛鳥山も毛虫だらけ、當分人寄せも出來ないと思つて居ると、
「寶掘りは飛鳥山が最初で、向島が二度目、今度は錢形の親分のお膝元の宮本町へ來たが、
「これ丈けの細工をするために、飛鳥山と向島は潮踏みだつたのさ。寶屋へ押し入つて、千兩箱を一つ
「待てよ、向島の三圍では、小判を拾つた客があるさうぢやないか」
知れません。現に私のやつた寶搜しは、飛鳥山と向島の二度だけで、今晩の櫻の馬場は、全く私の知らないこと
「向島と飛鳥山の時は、山の宿の親方に頼まれたが、今夜の
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た第一句から、二句、三句と判じて、上野山内の黒門に小判形の寶を隱し、それを搜り當てて新聞社
圓にも匹敵したでせう。東京中の彌次馬が上野に集まつて、山下から山内の東照宮前に移してあつた黒門が、
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明治の三十年代、ある大新聞社が計畫して、東京を中心に、日本各地で寶掘りをやつたことがあります。その第
して、一萬圓にも匹敵したでせう。東京中の彌次馬が上野に集まつて、山下から山内の東照宮前に移して