石鏃の思出話 / 浜田青陵
地名一覧
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、その頃は身投げの流行もなかつたので、無事に三原山の見物を濟まして野増村に降り、鳥居先生の論文で知つて居
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から大阪へと轉々して、石器時代の遺跡が澤山ある東北地方から離れてしまつたので、前に集めた礦物標本中の矢の根石
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に收つてゐる。又その頃同窓の廣田道太郎君が貴船神社で、奧の院の御船石の附近から出る舟形石と云ふ御守を出すのを
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事であるが、丁度私が七つ八つの頃、山形市の附屬小學校の二三年生であつたが、その時分子供等の間に、
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の遺跡を自ら踏査して石鏃を拾つたのは、河内の國府であつて、それは今から二十五年程前、京都の三高の
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なかつたので、無事に三原山の見物を濟まして野増村に降り、鳥居先生の論文で知つて居つた龍ノ口の海岸にある、
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無脚のものかもハツキリしない。これは山形に近い千歳山の邊から出ると云ふので、友達と一緒に、一度拾ひに行くつもりをし
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、山形縣の米澤から、香川縣の丸龜、徳島から大阪へと轉々して、石器時代の遺跡が澤山ある東北地方から離れてしまつた
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、朝鮮旅行中、慶州の南山では水晶採集に出かけ、金剛山では遂に大きな兩劍結晶のものを擔いで歸つたりしたことである。然るに
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地名表に三四の新地名を加へることが出來た。攝津高槻の大學農場へ東伏見伯と一緒に行つた時、此の邊から石器が出ます
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最初、次は翌三十六年親友の故押田習君と一緒に伊豆の大島へ渡り、その頃は身投げの流行もなかつたので、無事に三原
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石鏃は、亡くなられた坂口先生や榊原君と長崎縣の島原の吉利支丹の遺跡を歩いてゐる時、島原城址の中で黒曜石製を一本
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ものか、無脚のものかもハツキリしない。これは山形に近い千歳山の邊から出ると云ふので、友達と一緒に、一度拾
その後私は小學校を屡變へて、山形縣の米澤から、香川縣の丸龜、徳島から大阪へと轉々して
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、大小三箇の石鏃が屆いた。その時の嬉しさ。千葉君の好意を胸に銘して、いつも鼻の油で磨きながら愛玩し
讀雜誌『少國民』の讀者通信欄に、神奈川縣の千葉幸喜次とか云ふ人が、自分はその地方で採集した石鏃を澤山
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へて、山形縣の米澤から、香川縣の丸龜、徳島から大阪へと轉々して、石器時代の遺跡が澤山ある東北地方から離れ
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つたのは嬉しいことの限りであつた。それは今日京都の大學に收つてゐる。又その頃同窓の廣田道太郎君が貴船神社
の國府であつて、それは今から二十五年程前、京都の三高の生徒時代であつた。山崎直方先輩の書かれた古い『
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で拾つた石鏃は、亡くなられた坂口先生や榊原君と長崎縣の島原の吉利支丹の遺跡を歩いてゐる時、島原城址の中で黒曜
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は夢のうちでも一番嬉しい夢である。七八年前佐賀縣のある遺跡へ行つて畠の中を探したら、二三十分間のうちに
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明治三十五年の十月、水谷幼花氏と一緒に、品川權現臺の貝塚へ行つて、小さい石英のを一本拾つたのが
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に至るまで狐につまゝれた樣な話である。東京の大學へ行つてからは、明治三十五年の十月、水谷幼花氏
山崎直方先輩の書かれた古い『人類學雜誌』をわざわざ東京赤門前の、その頃あつた哲學書院といふ書店から送つて貰つ