不良児 / 葛西善蔵
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醉つた身體を井出君に介抱されながら、初めての江の島に※つて歸ると云つて、元氣で出て行つた。その日は特にF
特にFに學校を休ませて送らせた。三人は江の島の棧橋の手前の茶店で榮螺の壺燒や丼などたべて、藤澤に
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た。東京の弟のところに居るのだと云つて、牛込の弟の住所は明瞭に云つてあつた。私も東京に居ることにし
ですからな、それで實は今日弟を役所の歸りに牛込の叔父さんとこに寄さして話をきめようと――當人も叔父さんとこ
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威嚇かしたのは中學生でも職工でもなく、扇ヶ谷の方の酒屋の小僧だつたなどと出鱈目を云ひ出してまたも迷路へ絲
つた。おせいの隙をうかゞつて遁げ出した時、扇ヶ谷の方へ出て、それから再び學校へと引返したのだがさすがには
について逗子へ行つたのだつた。そんな譯で扇ヶ谷の酒屋の小僧など持出した譯であるが、兎に角すべてを告白してしまつ
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へる氣持で、時を置いて物置や軒下や、下の建長寺の山門のまはりなど提灯つけて見※つたが、夜更けになつても影も
丁度いゝところでした。今ね、山の内の駐在所から建長寺の方へ電話がかゝりましてね、Fさんが腰越で時計屋に時計を
な氣持で歩いて行つたが、ふと薄闇の向うから、建長寺の老師が健かな歩調でやつて來るのに會つた。私は立停
建長寺の電話を借りて停車場前の自動車屋にかけさせ、井出君も起して私たち
て混亂した氣持のうち乘り越してしまつたが、建長寺の門はそこから幾間とも離れてゐなかつたので、私たちが降りる
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暗欝な氣分をいくらかでも換へたいつもりから、東北地方を汽車で一※りして來た。郷里の妻を訪ねて、Fが東京
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その後だつたが、東京の或る友人から、君の子供が鎌倉で憂欝病にかゝつてゐると云ふことだが、君は知つて
に弟の二階に居る文科受驗生の井出君を鎌倉にやつた。
たさうですが、まだ居りますでせうか。實は鎌倉の小學校からこちらのことをうかゞつて來たのですが……」
見えるには見えましたけど、實は斯う云ふ譯ですぐ鎌倉へ歸りましたですが……」
、小僧に置いて呉れと云つたが、主人は、明後日鎌倉に用事があるからその時學校や親の方を訪ねて、その上で置く
その上で置くことにするから一先づ歸れと云つて、鎌倉までの汽車賃を呉れて歸したのだと云ふことで、お内儀さん
「鎌倉から歩いて來たと云つて、お父さんと二人で斯う云ふお寺に居るん
渡したんださうでして、それで明日のつもりが今日鎌倉へ行くことになりましたので、學校へも寄りましたんでせう
の出てるのを見かけて這入つたのか、それとも鎌倉の停車場前に懇意にしてるうちがあつて、そこへも頼んであつた
い往來を見※したりした。しかしまた、それから鎌倉の方へ立※つたところを見ると、Fが失敗して停車場へ行つた
て見張つてる以上は見遁しつこありませんからね。鎌倉にも不良少年が居るさうだが、……十四ですね、それ位の年だ
屋の方が?……と、私は心に念じながら鎌倉へ歸つて來た。改札口の外に、紺の詰襟服にマントを羽
にしても、私のものではありませんから、鎌倉の時計屋で盜んだのでないとすると、どこか他で盜ん
「兎に角鎌倉の奴等には違ひないんだな。僕の名前位は知つてる奴
氣がされた。Fは、こちらは時計店では鎌倉でも繁昌の方だから――などと云ひもしたと、主人も云つ
使ひにも幾度かやらされてゐることでもあり、鎌倉の生徒だ位の判斷は、どこからだつて附きさうなものである。それ
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にと云つて來てゐた。またその後だつたが、東京の或る友人から、君の子供が鎌倉で憂欝病にかゝつてゐる
一月末から一ヶ月半ほど、私は東京に出てゐた。こんなことは今度が初めてと云ふわけではないの
※りして來た。郷里の妻を訪ねて、Fが東京の中學へ入學出來たら郊外へでも世帶をもたうと云ふそんな下相談
二月十六日に私は東京を發つて、疲れ切つた暗欝な氣分をいくらかでも換へたい
云ふのを、淺草の活動寫眞を見せると云ふ約束で、東京まで引つ張り出しさへすればどうにかなるだらうと云ふのでつれ出した
それからも私は東京に引かゝつてゐて――金の都合が出來なかつたので
をおせいに話して、殊にこの前井出君につれられて東京に出て、淺草で活動を見さしたり御馳走させたりした上、
二人きりになつて、ひどく脅えてゐた處だつた。東京でひどく叱られたと云つても、私と二人きりではなかつた。
たのだ。最後は、昨年の十一月だつたが、東京から弟を態々呼んで、Fの行李まで擔ぎ出さしたのだが、
仕度して明日早く來て呉れつて」斯う云つて、東京の弟の近所の酒屋から弟を呼び出さして、方丈の電話を借りて
一月乘合自動車で往復して知つてるからね、東京まで歩くつもりでフラ/\行つたかも知れないね」
訊くと大抵わかるでせうから……」と、弟は東京までもひとりで歩かうと云ふつもりだつた。
兎に角山を搜して見て見つからなかつたら、私は東京まで歩いてもいゝ、途中行倒れにでもなつてるんだと、警察へ
一二學期は通信簿を私には見せなかつたやうです。東京の中學は迚も受からないと自分でも思ひ込んでゐたやうで、だん
た――さうした責任感?……そして彼自身東京の中學の受からないことを知つてゐた。私はFに對しては
―彼が入學出來ないと、彼の母や妹たちは東京へは出て來られなかつた――さうした責任感?……
、私の眼鏡が毀れた時、前から持つてゐた東京の眼科醫の檢査の書附を持たしてやつて、Fに待たして安物
Fが極樂寺坂の方へ行かうとするので、東京へ歸るのなら引返して汽車で歸つた方がいゝだらうと云ふと、
して出直して來ると云つて、主人の弟の人の東京から歸るまで待てと云つて引止めたのを振切つて、そこ/\に
見かけた譯だつた。それから間もなく、Fは一度東京に歸つて叔父さんとよく相談して出直して來ると云つて、主人の
、住所はいゝ加減な出鱈目を云つてあつた。Fは東京から小僧の口を搜しに來たやうに云つた。時計屋では
牛込の弟の住所は明瞭に云つてあつた。私も東京に居ることにしてあつたが、住所はいゝ加減な出鱈目を云つて
食はせたりして、時計屋では泊めて呉れた。東京の弟のところに居るのだと云つて、牛込の弟の住所は明瞭
「時計屋へは、東京へ行くのだがおあしを落したから、お父さんの時計だが買つ
ませんでせうか。こちらのご都合でいつでもまた東京から呼び寄せますから……」
位でそれが分るでせうか。免状式が濟み次第東京へやつて差支へございませんでせうか。こちらのご都合でいつでも
で、こつちの學校の免状式が二三日で濟み次第すぐ東京へやるつもりでゐるのですが、大抵幾日位でそれが分るでせ
驛前から自働車で寺に歸つたが、井出君も東京から來てゐた。
お母さんが違ふとか何とかそんなことで、それで東京から小僧の口を搜しに來た――當人がさう云ふもんです
「やはり東京のどことか云つてましたが、お父さんには相談しても駄目だ
錢に賣れたらば、多分それを汽車賃にして、東京の私の弟のところへ逃げ込んだものだらう。それともその金の
も知れないが、ところがFは主人の弟の人の東京から歸らない前に逃げ出した――歸つて來られて一切が暴露され
それで私の方を後※しにして、一應東京の弟の方へ當つて見、その上で私の方へ交渉して
は私へ直接に交渉したのでは駄目だから、東京の叔父に相談して呉れ――さう云つたやうに頼んだものかも
―などと云ひもしたと、主人も云つたが、東京から突然やつて來た子供にそんなことが一寸云へさうにも思はれない
を明かしてあつたのだとすれば、また明かさずに東京から奉公口を搜しに來たものと思つたとしても、私
ね、まだ晩飯も食つてないと云ふことで、それから東京へ歸らすのも可哀相だと思つたものですから、奧で餅など燒い
昨日東京の弟の家を訪ねた、主人の弟だと思はれる若い男が外
ね、隨分と耻晒らしな話さ。あんな時計をまた、東京へ持つて行つて、お祖父さんや叔父さん叔母さんに嘘をついて
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つれ出したのだが、結局活動の見せ損で、Fに新橋から歸られ、井出君ひとりでぼんやり歸つて來た。で私はいよ/
せたりした上、井出君に鼻を明かして自分ひとり新橋から歸つて來た――私はそのことを非難した。Fはその