芭蕉について / 宮本百合子
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暑き日を海にいれたり最上川
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の生別れ」という句を親友に残して上野町から京大阪へ出奔した。原因は何であったろう。いろいろのことが云われている
気風と異って来ている空気が感じられて面白い。京大阪での五六年間を、宗房はこれまでのつづきで談林派の北村季吟の門
として彼の才分は、もし生計を打算したら大阪で生活しても行けるだけのものであったろうのに、宗房釣月軒はどんな
考えさせるところがある。宗房より二つばかり年上であった大阪生れの西鶴は、通称を平山藤五と云い、有徳な町人であった。妻
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名を持っていたのでない。松尾宗房と云い、伊賀国上野町の城代藤堂家の家臣で、少年から青年時代のはじまりはその城代の
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荒海や佐渡によこたふ天の河
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歎息とを経験したのは当然であったろうと思う。江戸へ上ったのは宗房が二十九歳の寛文十二年であった。釣月軒と
のものであったろうのに、宗房釣月軒はどんな心持から江戸へ目を向けたのだろうか。江戸へ老後の安楽を求め、立身出世の道
軒はどんな心持から江戸へ目を向けたのだろうか。江戸へ老後の安楽を求め、立身出世の道を求めて来たとすれば彼は
道を求めて来たとすれば彼は失敗した。江戸で同じ季吟門下の卜尺の厄介になり、或は幕府の御納屋商人杉山杉風
の生活とを眺めている宗房の目に映る寛永年代の江戸は、家光の治世で、貿易のことがはじまり、大名旗本の経済は一面の
秋十とせ却つて江戸をさす古郷
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華やかな世評を喚起したのもこの前後であった。京都生れの武士であった近松は、当時崩れゆく武家の経済事情に押し流され
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によってしか生きる心が表現出来ないと益々思いきめて、深川の杉風の鯉の生簀の番小屋に入ったとも思える。台所の柱に
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持っていたのでない。松尾宗房と云い、伊賀国上野町の城代藤堂家の家臣で、少年から青年時代のはじまりはその城代の
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に到るまでを、写実的な俳諧で風俗描写している。住吉の社頭で大矢数一昼夜に二万三千五百句を吐いた西鶴が、そのような早口