夢は呼び交す ――黙子覚書―― / 蒲原有明

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地名一覧

大阪

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その老人があの今井克復翁である。大阪で、大塩平八郎の騒動のあったとき、惣年寄として火消人足を引きつれて

青山

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ことであるかどうかさえ、よくは分らない。以前は青山にいた。多分部屋借りをしていたのだろう。その頃はやった文人

あった。芝の増上寺が焼けたのは、おれが青山にいた時だといっていた。鶴見はその話をかすかにおぼえて

主人が結婚したのは青山にいた時か、現在の家に入ってからか、はっきりしないといっ

佐賀藩

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前に三平といったが、佐賀藩の三平が、江藤新平、大木民平、古賀一平だというのは、ここに

浜松

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ことがある。その会場で真淵の横幅物を見た。浜松の某家からの出品である。鶴見はその幅の中で、一度この「

琉球

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と話しているうちに、何かの拍子から、話は琉球の泡盛のことに移った。最近その泡盛を飲ませる店が、この風呂屋の

叡山

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。※が外来植物であるのは周知の事実である。叡山の根本中堂の前にその木があるという。鶴見はまだ見ないが、

鎌倉

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に遭って、辛い思いをして、去年の秋やっとこの鎌倉へ移って来たばかりか、静岡地方と比べれば気温の差の著るしい

。鶴見が始めてその生態に接したのは、初度に鎌倉に移ってからのことである。

お餅です。――何をしているの。――鎌倉の伯母さんとこに送ります。――あら、たったそれだけ。――伯母さん

昭和二十二年九月、鎌倉にて     有明しるす。

歌舞伎座

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府立の中学に入校した。中学の校舎は木挽町の歌舞伎座の前を通り過ぎて橋を渡ると直ぐ右角の地所を占めていた。かれ

静岡市

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この乗杉はもともと静岡市きってのしにせの主人で、眼鏡を商って地味な家業をつづけていた

のことであったろう。鶴見は所用があって、焼け跡の静岡市に出掛けた。町内で班長を勤めていた人に逢って、始末を

印象をますます深くしている。それというのは、先年静岡市の図書館で名家墨蹟記念展覧会が開催されたことがある。その会場で真淵

伊豆

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。青木の心眼にはそう見えるのである。この島山は伊豆の大島である。

島原

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はついに見ずにしまった。そのころのことである。島原の新富座で西郷隆盛の新作の芝居が打たれた。あれは多分黙阿弥の

芝浦

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不思議な画面に一種の落著きを与えている。場所は芝浦、海は東京湾である。

結んで、それが未亡人の手に遺されていた。芝浦の塩湯と呼ばれて、その後も幾多の変遷を経て、ずっとその遺業は

本郷

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種々雑多な記憶がむらがって蘇ってくる。その当時藤村は本郷の新花町にいた。春木町の裏通りを、湯島切通しの筋へ出る二、三

鶴見

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たとはいいながらまだ寒いには寒い。老年になった鶴見には寒さは何よりも体にこたえる。湘南の地と呼ばれている

一体鶴見には偏好性があって、虫類では蜥蜴が第一、それから守宮、

した目で、すぐ先にある弁財天を見ることは、鶴見にはいかにもつらかった。先刻休んだ池中の出島に堂構えがあって、

区役所に勤めていた。かれはおりおり役所を勝手に休んで鶴見の家にやってきて、長話をして行く。拘束されることが何

浅間山

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藤村が東京を引き払って、信州の小諸に赴任して浅間山のふもとで新生活をはじめたのはそれから一と月たたぬうちであった。

秩父

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、昔わが国で弓を作った木は、今でも秩父であずさと称している。この方には漢名はないということである。

伊豆石

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で、そこに某侯爵の別荘があった。引きめぐらした伊豆石の塀の上に幾株かの夾竹桃が被さって、その梢を茂らせて

名古屋

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、その処置をすっかり委せることにした。庭師は若い時分名古屋へ行って修行して来たとかいっている。腕前の好いことは、

九州

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年立って、明治二十七年に、鶴見は西遊を企てて九州へ往った。阪神地方の二、三の駅で、また夾竹桃を見かけた

鴎外は明治三十九年に九州に往った。『鶏』の一篇は鴎外が小倉に赴任当時の事実と

は鶴見の供養を受けて一宿して、翌日は早々に九州へ立って行った。

九州でも今の地理からすれば辺陬と称しても好い土地に祖先以来の屋形

石見国

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まんじゅさげ、したまがり、てんがいばな等の称あり。石見国の方言にはえんこうばなともいうとある。

増上寺

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張り貫きの箱の中に久しくしまってあった。芝の増上寺が焼けたのは、おれが青山にいた時だといっていた。

ナポリ

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悠々たる思いがする。ここの海港の盛り場は殊の外賑わしい。ナポリである。鶴見はその本の訳者とともにナポリの町をさまよい歩いて、

賑わしい。ナポリである。鶴見はその本の訳者とともにナポリの町をさまよい歩いて、情熱のにおいを嗅いでみる。

府中

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造詣が深かった。現に戦災の前まで、静岡の新聞に府中の町人史を連載していた。その乗杉が店の方を閉めてから

丹波

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掲げた短文がある。それによると、藤園池辺氏が丹波に遊んで大江山あたりを歩いたとき、九州辺で彼岸花というものを、

両国

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鶴見は花火が殊に好きで、両国の河開きには一頃毎年欠かさずに出掛けて行った。

上野公園

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とも思われる。牧野さんはまたいう。あかめがしわは上野公園入口の左側の土堤の前に列植してある。きささげは博物館の庭

静岡

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、去年の秋やっとこの鎌倉へ移って来たばかりか、静岡地方と比べれば気温の差の著るしい最初の冬をいきなり越すことが

体にこたえる。湘南の地と呼ばれているものの、静岡で戦災に遭って、辛い思いをして、去年の秋やっとこの鎌倉へ

鶴見は震災後静岡へ行って、そこで居ついていたが、前にもいった通り戦火

「あの静岡の乗杉さんね。その後はどうしていることか。こちらからも、済ま

わたって、その造詣が深かった。現に戦災の前まで、静岡の新聞に府中の町人史を連載していた。その乗杉が店の

ような真似をしていたが、鶴見を迎えて「静岡は水道が好いので水がこんなに澄んでいる。それにこの水の

静岡で家を新築する時のことであった。狭い借地に家を建てるの

蜥蜴が第一、それから守宮、蟷螂という順序である。静岡に住んでいた間は、それらの三者に殊に親しさを感じ

鶴見は静岡に長年住んでいたが、近所で一本見たきりである。ちょっと

と称されている『伝暦』を披いて見た。静岡からこの地に舞い戻って来た当時古本屋をあさって『五教章』の講義

にも格別特色は見られなかった。それでも、昨年静岡の家が焼けるまでは、客間の床脇の違棚に飾ってあって、毎朝

先年静岡に移ってからのことである。近郊の有度村の農家から、草薙社

盛岡

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も暫く活動をつづけていたが、やがてまた寂しく故郷の盛岡へ帰って行った直ぐ後のことである。当時鶴見はどくだみの詩を

山形

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ある。その柄杓に、やんまが一疋止まって、羽を山形に垂れている。吹田順助さんはこの蜻蛉の描写を特に推奨して、

奈良

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さてこのひさきは奈良の都の佐保川の畔などに、川風に吹かれて生長していた

仙台

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香木の伽羅を手に入れることで、熊本の細川家と仙台の伊達家との家臣が争っている。この事は鴎外の『興津弥五

熊本

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のことである。香木の伽羅を手に入れることで、熊本の細川家と仙台の伊達家との家臣が争っている。この事は

佐賀

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前に三平といったが、佐賀藩の三平が、江藤新平、大木民平、古賀一平だというのは、

巴里

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、人はその多彩に驚かされるにちがいない。あの複雑な巴里が、適確な観察の光線の中で、首尾よく踊らされているので

東京

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それだけの智識を貰って来たのである。それから東京へ出掛けて、学校で見たものと同じ物を買入れて来た。喇叭

東京ではその木を見掛けなかったようである。鶴見が始めてその生態に

である。それまではどうであったかというに、東京で生れた彼は、実際のところ、その名をすら知らないでいた

と呼ばれたほどの人物の従者になって、あこがれの東京に出てきた。むずかしい表情はしているものの、やはり社会大変革

の継嗣であった遠吉伯の手で、先代伯爵の東京遷都建白等について、その前後の経緯を纏めて編著された冊子

鶴見はこうして、東京麹町隼町で生れたことになっている。府内は大小区に分けられて

へ立って行った。それと共に姉は好い時分に東京にいたともいえる。

附帯のように成っていったが、芝浦館といえば東京では知らぬ人はまずなかったといって好かろう。

いうのはきさくな性分で、食事のおり、「これが東京でお世話になっていたときには大分面白いことがあったそうですね

藤村が東京を引き払って、信州の小諸に赴任して浅間山のふもとで新生活をはじめた

銀座

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方へ行く。一輛の寂しい車である。どこにある銀座通やら、どこへ行く車やら。

それから女を載せた車が銀座通を横切って芝の方へ行く。一輛の寂しい車である。どこ

に通うようになってから、毎日数寄屋橋をわたって、銀座尾張町の四辻を突切って行く。そしてこんなことを思っている。「おれ

透谷の家というのは、銀座通りよりもむしろ数奇屋河岸の方に近よっていたかと思う。河岸から

麹町

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。府内は大小区に分けられていたかと思うが麹町隼町に変りはない。幕府でお鷹匠を住まわせて置いた町だと

鶴見はこうして、東京麹町隼町で生れたことになっている。府内は大小区に分けられてい

ていたにちがいない。その比較の証拠に立つのは麹町三丁目の船橋である。

の気運に向っていた女子教養のためのミッションスクウルが、麹町四ツ谷見附内に開設せられ、西岡未亡人がその学校の校長に推されて

日本橋

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であるということが確められる。車を駐めたのは日本橋の裏通りあたりではなかったかと、ついそんな気がさせられる場所で

品川

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これは大師詣の途すがらであったのだろう。それから品川の料亭で、愛想の好いお酌に、「坊ちゃん。あそこをご覧なさい

新橋

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た。大抵は同藩の出身者である。酒席のとりなしには新橋の名うての妓を選んで、舞子も来ている。幾つも立てた燭台

小諸

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藤村はそれからやがて小諸へ行くことにきまり、その仕度をしていた時分かとおもう。鶴見

藤村が東京を引き払って、信州の小諸に赴任して浅間山のふもとで新生活をはじめたのはそれから一と月

浅草

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な顔でいった。「どうだね。これからみんなで浅草にくり出して行こうじゃないか。」そういって、煙草の脂で染まった

この浅草行は鶴見たち二人にとって異存のあるべきようはなかった。たとえ多少

浅草ではどんな風にわれわれ二人が訓えられたか、それを今語ってみ

これで浅草へ遊行を試みた意義は完了したことになる。

湘南

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なった鶴見には寒さは何よりも体にこたえる。湘南の地と呼ばれているものの、静岡で戦災に遭って、辛い思い

東京湾

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一種の落著きを与えている。場所は芝浦、海は東京湾である。

京橋

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その二つ。京橋の数奇屋河岸である。或る家の二階の窓から母と一しょに火事

塩湯というのは京橋木挽町河岸にあった。そんなわけで鶴見はさっそくそこへ遣られた。出