龍土会の記 / 蒲原有明
地名一覧
鎌倉
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樂亭を使つてゐた。そのうちに獨歩君が鎌倉の廬を出ることになつた。矢野龍溪翁に招かれて、「近事畫報
鎌倉から出て來た國木田君もいつしかこの店の贔負の客となつて
青山
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君もいつしかこの店の贔負の客となつて、青山に墓參の歸り途には必ず家族を連れて立寄るといふことになつて
赤城
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第二囘の會合は赤城下の清風亭で開かれたが、新に眉山、秋聲の兩君も加はり、
赤坂
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前年の初冬の時分ではなかつたかと思ふ。例會が赤坂の東京亭で開かれたことがある。撞球場を兼ねたレストランで、玉突
水天宮
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また水弘會と稱ふるのも矢張同樣の結合せで、水天宮と弘法大師の縁日を會日と定めるといふ洒落である。今度の會に
巴里
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他新らしい藝術に縁のあつた人たちが集つた。巴里の藝術家の物に拘束されぬ生活に親しんで來た人々である
手弱女しのべば花の巴里の園生、
麹町
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なつて、矢張同じ連中の顏ぶれで、その第一囘が麹町英國公使館裏通りのさゝやかな洋食店快樂亭で催された。明治三十五年
神田
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これより先、明治三十六年十月のことである。神田の寶亭で琴天會の發會があつた。岩村透さんの主唱であつ
東京
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初冬の時分ではなかつたかと思ふ。例會が赤坂の東京亭で開かれたことがある。撞球場を兼ねたレストランで、玉突に