いさましい話 / 山本周五郎

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大阪

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「浪花屋は大阪に本店のある材木商、当地はその出店であって、数年まえより御

江戸

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――江戸からゆく者は三年と続かない。

理由はいろいろあるだろうが、どこの藩でも、藩主は江戸うまれの江戸そだちであるから、自分が家督して政治を執るばあいには、

――江戸の人間はふぬけで軽薄だ。

思ったら即座に辞任すること、病気とでも云ってすぐ江戸へ帰る、そのほかに手はないと口を揃えて云った。

玄一郎は吾助という下男を伴れて江戸を立ち、九月はじめに国許へ着いた。

江戸から連絡してあった庫田主馬の家に草鞋をぬぎ、すぐさま国家老の和泉

国許では女の威勢が強い、と、江戸でしばしば聞いていたが、じっさいは想像以上であり、しかもきわめて根づよくゆきわたっ

江戸ではこんな例はない。御殿で定った祝宴はあるが、それもごく形式的

――どうせすぐ江戸へ帰る人間だ。

、やはり梅が咲き桜が咲きますからな、草花なども江戸から移したのがたいていは根づいて咲くようです、――そういう点では

て役所へ戻ると、おっかけ国老席から人が来て、江戸へ問い合せるには及ばない、こちらで払うからと云ってよこした。

「――尤もいずれ江戸へお帰りになるということなら、求めて敵をつくることもないでしょうが

「私は江戸へは帰りません」

れた。この土地の者と結婚しようということは、江戸を立つまえに心できめていた。これまで江戸から来た者が結局

、江戸を立つまえに心できめていた。これまで江戸から来た者が結局ここの人たちと融合することができず、大多数が

任期の終るまえに辞して帰った。それはつまるところ「江戸から来た」人間であり、「また江戸へ帰る」人間だということが

はつまるところ「江戸から来た」人間であり、「また江戸へ帰る」人間だということが、ここの人たちとのあいだに一種の

ば、いちおう土地に根をおろしたことになる。単に「江戸から来て江戸へ帰る」人間ではなくなるから、しぜん周囲の見る眼も

に根をおろしたことになる。単に「江戸から来て江戸へ帰る」人間ではなくなるから、しぜん周囲の見る眼も違ってくるだろう

姿も顔だちも群をぬいて美しかった。くめの家は江戸の萩原と縁つづきで玄一郎の友人の萩原準之助とくめとはまた従兄弟の関係に

の三四から招かれていたが、断わって、家で江戸の友達へ手紙を書いていた。すると十時ころに、萩原くめが

らは失望しただけではなく、相手が笈川という江戸から来た人間であることに、侮辱と怒りを感じたのである。だ

世話はすべて小間使にさせ、食事をいっしょにする――江戸では逆である――ほかはまるでべつべつに暮していた。

「しかしそのほう一人でやってゆけるか、重職を二人ばかり江戸から入れるほうがいいのではないか」

みて少しずつ人を入れたいと思うのです……いま江戸から人を殖やしますと、却ってかれらの不安を大きくし、団結して反対

なるとすぐ、急の使者があって、敦信はにわかに江戸へ立っていった。あとでわかったのだが、幕府から寺社奉行に任命

だし、一般会計では三割がた削る予定で、すでに江戸での案分計画は出来あがり、玄一郎の手に渡っていた。

そうして敦信は江戸へ去った。

「江戸でも士君子は口にしないようだ、……つい出てしまったんだ

どうも」玄一郎はそらをつかって答えた、「――江戸ではこんなことはないのですが、こちらではこれが習慣だと思った

「おまえたちは国許の名聞を汚す気か、江戸の者に嗤われてもよいのか、われわれが田舎者とおとしめられるのはこんな

好都合だ、われわれはねえ、ずいぶんがまんしてきた、どうせ江戸の人間は軽薄なおっちょこちょいだ、口さきだけの腰抜けだと思っていたからね

たとき、玄一郎はもう肚をきめていた、それも江戸を立つまえに考えていたのであるが、忍耐のできる限りはして、

ばならない、政治の改革という事業のためにも、江戸の人間が腰抜けでないという証拠をみせ、お互いの正音を出しあわなければ

にこもり、役所に関するものと自分の身辺の処置、また江戸の友人への手紙など、遺書のかたちでそれぞれに書いて封をし、手文庫

がいいと思うが、こちらの作法は知らないけれども、江戸では中途半端なことはしない、武士が刀を抜くからには、相手を

もいいように始末をしている、なにも知らずに江戸から来たわけではないんだ」

江戸を立つとき心をきめたように、できる忍耐はしとおし、そのあいだにじりじり

裁断は藩主の許しがなくてはできない、この始末が江戸へ報告されれば敦信はそのままにはしておかぬであろう。関係者を

敦信はそのままにはしておかぬであろう。関係者を江戸へ呼ぶか、少なくとも江戸から誰かよこすに違いない。

ておかぬであろう。関係者を江戸へ呼ぶか、少なくとも江戸から誰かよこすに違いない。

ある。これにも不服を云えば、云えた。正式に江戸へ裁決を乞えば、せいぜいのところ「軽く叱りおく」程度のことだろう。謹慎

事件の始末は江戸へ報告されたが、その裁決より先に、敦信から「歳出切下げ」に

て来たとき云ったことを、また繰り返した。玄一郎が江戸を立つまえ、自分がさんざんおどかしたので、ちょっとひっこみがつかないという顔