ちいさこべ / 山本周五郎
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板橋で日が暮れ、本郷台を外神田へくだるときは、もう暗くて眺望はきかなかったが、湯島から下はいちめん
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その月の十五日の休みに、子供たちを伴れて道灌山へ遊びにいった。おりつとおゆうとで握り飯や海苔巻をつくり、お菜
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馬喰町、浜町、そこで飛火をして深川の熊井町、相川町、八幡宮の一の鳥居を焼き、仲町辺まで一帯を灰にした。
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くろは父親が病気だそうで、暮の二十八日から、本所にある自分の家へ帰っていた。親の病気というのは口実で
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へくだるときは、もう暗くて眺望はきかなかったが、湯島から下はいちめんに黒く、灯もごくまばらで、いかにも荒涼としたけしき
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茂次は川越へ出仕事にいっていたので、その火事のことを知ったのは
に、引込み思案な、おどろきやすい性分になった。茂次が川越へ出仕事に来るときも、留守になにかあったらどうしようかと、いかに
二人、高輪の「大伊」と浅草あべ川町の兼六が川越まで弔問に来た。大伊の伊吉は亡き留造の弟分で、茂次は小さい
「そいつは川越で云った筈です」と茂次は遮った、「私は諄いことは嫌い
次の日、茂次は木場の「和七」へでかけていった。川越から帰って訪ねたとき、金のことを頼んだのである。大六は気づか
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たのだろう、かなり大きく焼けているというはなしだった。江戸で育った人間は火事には馴れているし、まだ九月になったばかり
大留がいっさいを請負った。左官、屋根屋、建具屋なども江戸から呼んだし、ほかに土地の職人や追廻しを十四五人使っている
「若棟梁、あっしは江戸へいって来ます」と大六が云った、「いや、あっしのほうがいい
大六はくろといっしょに江戸へゆき、五日めに戻って来て、茂次に仔細を告げた。
大六はそれから三度、江戸のようすを見にいって来た。
二人は茂次の性分を知っているので、それでは江戸でまた改めて話すことにしよう、と云って帰った。大六はこの問答をはらはら
普請がすっかり終り、茂次はみんなを伴れて江戸へ帰った。
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「それは源心寺のお住持さんが持って来てくれたんですけれど」
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浜町、そこで飛火をして深川の熊井町、相川町、八幡宮の一の鳥居を焼き、仲町辺まで一帯を灰にした。季節はずれな
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を打付けて作ったまったくの仮小屋で、横に長く、佐久間町のほうへ向って戸口があり、「大留」と書いた提灯が、まわりの
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火事の起こったのは九月七日の午前十時。湯島天神の裏門前にある、牡丹長屋から出火し、北西の風で三組町から神田
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のおろくとのあいだに子供が三人ある。家は下谷の御徒町で、くろはその家の勝手口を直すために、泊りこんでい
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の両芝居から、馬喰町、浜町、そこで飛火をして深川の熊井町、相川町、八幡宮の一の鳥居を焼き、仲町辺まで一帯
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岩井町にあるが、遠近にお構いなしで、いちどは千住大橋の向うまでとんでゆき、明くる日の九時ごろに帰ったことがあっ
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の音を聞くとすぐにとびだしてゆく。大留の店は神田の岩井町にあるが、遠近にお構いなしで、いちどは千住大橋の
へ延焼した。そのころから風勢が強くなり、そのまま神田をひとなめにして日本橋まで焼け、一方は東に延びて、堀江町、
にある、牡丹長屋から出火し、北西の風で三組町から神田明神へ延焼した。そのころから風勢が強くなり、そのまま神田をひと
ているし、資産の点でも人望の点でも、神田では指折りであった。長男の利吉は茂次と同年の二十三で、その
「和七」を訪ね、普請場をまわった。一つは神田明神下の酒問屋、一つは岩槻町の呉服屋、他の一つは日本橋
でゆけとすすめた。しかしおゆうは笑って受けつけず、神田までいっしょに歩いて帰った。――その夜、普請場の一つが
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て、堀江町、小網町、葺屋町の両芝居から、馬喰町、浜町、そこで飛火をして深川の熊井町、相川町、八幡宮の一の
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から風勢が強くなり、そのまま神田をひとなめにして日本橋まで焼け、一方は東に延びて、堀江町、小網町、葺屋町の両芝居
酒問屋、一つは岩槻町の呉服屋、他の一つは日本橋吉川町の「魚万」という料理茶屋で、これらを巳之八、藤造
焼けたのは日本橋吉川町の「魚万」で、殆んど普請が終りかかっていたのを、
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いちめんの焼け跡で不用心だからと、奥の人たちはまだ目白の親類のほうにいるそうですが、店はもうあけていました」
茂次が訊いた、「おばさんたちはまだ目白のほうか」
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ろくとのあいだに子供が三人ある。家は下谷の御徒町で、くろはその家の勝手口を直すために、泊りこんでいたの
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このあいだに二人、高輪の「大伊」と浅草あべ川町の兼六が川越まで弔問に来た。大伊の伊吉は亡き留
て、ふつうの内職などでは片づかなかったからであろう、浅草並木町の「天川」という、かなり大きな料理茶屋へ住込みではいった