日本婦道記 二十三年 / 山本周五郎
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とって却って幸いだった、靱負は城下から北東に離れた道後村に住居をきめると、坐食していてはならぬと思って、すぐに
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で、旅は幸いと日和に恵まれた。主君の供で江戸までは出たことがある、けれど江戸から西は初めての道だった、名
。主君の供で江戸までは出たことがある、けれど江戸から西は初めての道だった、名のみ聞いていた名所旧跡の数かず、
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来て貰ったのだが、実はこんど此処をひき払って伊予の松山へ参ることになったのだ」
。それは亡き下野守の弟に当る中務大輔忠知が、伊予のくに松山に二十万石で蒲生の家系を立てている、詰り会津の支封
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貰ったのだが、実はこんど此処をひき払って伊予の松山へ参ることになったのだ」
を立てている、詰り会津の支封ともいうべきその松山藩に召抱えられたい、例え身分は軽くとも主続きの蒲生家に仕えたい
亡き下野守の弟に当る中務大輔忠知が、伊予のくに松山に二十万石で蒲生の家系を立てている、詰り会津の支封とも
頷いた、けれどもそれでは行こうと決めるには、四国松山は余りに遠すぎる、――行ってみてもし不調に終ったら、…
気づいた。望みが協うにしろ協わぬにしろ、とにかく松山へ行くべきだ、こんな遠隔の土地にいては纏まる話も纏まらなくなる
三人と欠けていった。それは連絡をとっている松山藩の老職から思わしい知らせがなく、いつになったら望みが協えられるか
松山の蒲生家に仕えようという同じ希望をもった人びとの多くがこのあいだに
したいのだ」靱負は懇ろに訓した、「然し松山へまいってもいつ仕官が協うか見当もつかぬ、貯えも乏しく、
暇を遣ろうとした、おかやは肯かなかった。「松山へお供させて頂きます」強情にそう云い張って動かなかった。「できれ
以上のようなゆくたてがあり、彼は単独で松山へ行くことに決めた。そしてその仔細をよく語っておかやに暇を
負いたがるので、紐で背負わせてやると、こんどは松山へ立つために支度のできている荷物を持ちだして、「ああ、ああ」
ぬ者になった、……ごらん下さいまし、自分では松山へお供をする気だとみえます」
出たくなかった、思いがけぬ奇禍で白痴になってさえ、松山へ供をしてゆく積りでいる。
既に靱負の考えはきまっていた、彼はおかやを松山へ伴れてゆこうと思い決めたのである。多助の云うとおりおかやは暇
嫁にゆくこともできまい。靱負はそう思った。寧ろ松山へ伴れてゆくほうが、心がおちついて治る望みが出るかも知れない
いっしょに松山へ行こう、おまえにはずいぶん苦労をかけた、松山へ行って、治ったら新沼から嫁に遣ろう、もし治らなかったら一生新沼の
「……いっしょに松山へ行こう、おまえにはずいぶん苦労をかけた、松山へ行って、治ったら
松山に着いたのは師走中旬のことだった。予て書信だけ取り交わしてい
然しこうして始まった松山での生活も平穏な日は少なかった。それから五年のあいだ靱負は
すると、こんども世子が無いというのを理由に、松山二十万石は取潰しとなったのだ。靱負の失望と落胆はここに書く
はちょうど九年続いた。そして最も大きく靱負をうちのめした「松山藩の改易」という出来事にゆき当った。即ち寛永十一年八月、
先方では彼が会津蒲生の旧臣だということから、松山へ来た目的や、今日までその目的一つを堅く守ってきた仔細
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松山藩に召抱えられたい、例え身分は軽くとも主続きの蒲生家に仕えたいというのだ。新沼靱負もそのなかの一人だった、
に当る中務大輔忠知が、伊予のくに松山に二十万石で蒲生の家系を立てている、詰り会津の支封ともいうべきその松山藩
新沼靱負は会津蒲生家の家臣で、御蔵奉行に属し、食禄二百石あまりで槍刀預と
はなかった。もし不調に終るようだったら武士をやめる、蒲生家のほかに奉公はしたくはない、彼は初めからそう決心して
松山の蒲生家に仕えようという同じ希望をもった人びとの多くがこのあいだに二人三
「蒲生家のほかに主取りを致す所存はこざいません」靱負は臆せずにそう
いう出来事にゆき当った。即ち寛永十一年八月、城主蒲生忠知が三十歳で病死すると、こんども世子が無いというのを理由
はないか」と問われた。先方では彼が会津蒲生の旧臣だということから、松山へ来た目的や、今日までその目的
その年十月、改易された蒲生氏の後へ隠岐守松平定行が封ぜられて来た。これは世に
しないという、その珍重な志操を生かしたい、残念ながら蒲生家にはもう再興の望みはござらぬ、熟く御思案のうえ当家へ
「蒲生家でなければ再び主取りはしないという、その珍重な志操を生かしたい
、松平家から今そのように望まれるものを、なお「蒲生ならでは」と固持するのは頑迷か片意地に類する、――すなおに
て考えた結果、仕官の勧めを受けることにした。蒲生氏がまったく滅びてしまい、松平家から今そのように望まれるものを、