日本婦道記 箭竹 / 山本周五郎
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旅をつづけて四日めに三河のくに吉田(今の豊橋市)へ着いた。たやすく記せないかずかずの苦労があったけれど、その年の冬
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した、水野けんもつ忠善はその祝儀として久能山東照宮へ石の鳥居を奉納することになり、茅野百記はその事務がしらとし
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を背に負って家を出ていった。美濃のくに加納藩に実家があるので、ひとまずそこへ落ち着くことにきめたのである。お
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はふたたび国替えとなり、五万石に加封のうえおなじ三河の岡崎城へ移された、正保二年七月のことである。まる二年のあいだ
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「旦那さまには、久能山にて御生害にございます」
が誕生した、水野けんもつ忠善はその祝儀として久能山東照宮へ石の鳥居を奉納することになり、茅野百記はその事務がしらと
することになり、茅野百記はその事務がしらとして久能山へ出張したのである、なみなみの場合でないから、お役をはたした
の趣意はそういうものだった。それから上使の役人は久能山で没収した百記の遺品のうち、金二枚に小銭のはいって
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となるものである。忠善はすぐに書状をしたためた、江戸では丹後守が待ち兼ねているにちがいない。かれはてみじかに事の始終
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のはいっている矢箱がみつかった。それは三河のくに岡崎の水野けんもつ忠善から献納されたものであった。枠に嵌めて十
岡崎もはじめての土地ではあったが、東海道ではゆびおりの繁昌な駅だっ
一ついいことがある、御承知かもしれませんがこの岡崎は竹の産地で年々お江戸へ献上する数もたいへんなものですが、その
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ましょうや、もしさようなれば御道具吟味の役目として丹後いかようにもお詫びをつかまつります」
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六兵衛に見送られて大井川を渡ったのは八月はじめのことだった。道次は残暑になやまされた