落ち梅記 / 山本周五郎
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は膝行して盃を受けた。侍していた少年が銚子で酌をした、――康継は別の盃を取りながら、少年に
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思った。村松平馬は江戸詰になって去ったが、和泉や林はこっちにいる、かれらはすでに家を相続し、それぞれ役目に就い
「いやあれはだめだ、よしたほうがいい、和泉もおれもひどく手を焼かされたんだ、なにをしたってむだだよ」
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する老臣どもが、藩の財政を背景として京、大阪、江戸の三カ所に商舗を経営しているのだ、領内から産する生紙
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五年間、二人は藩主の世子の学友に選ばれて、江戸邸で起居を共にした。若君の亀之助はひよわな生れつきで、癇の
八月下旬、参覲のために江戸へゆく藩主に従って、助左衛門も元気に立っていった。医師もその頃
富田準石という医師が来ると、いれちがいに良石は江戸へ立っていった。それから中二日おいて母が来た、そのとき
に、彼は国家老の使いをうけて登城した。江戸にいる藩主から墨付が届き、病父の職を継承するために出府せよという
どもが、藩の財政を背景として京、大阪、江戸の三カ所に商舗を経営しているのだ、領内から産する生紙、絹糸
、その包を開いてみて、もし関係書類であったら直ちに江戸へ戻ること、連絡は下屋敷の村松平馬を通じ、もっとも隠密におこなうことなど、
それは推察したとおりの物であった。すなわち国許と江戸の老臣たち九名が、合議のうえ四種の商舗を経営するという
を答え、包を元のように始末した。それを江戸へ持ってゆく荷物の中へ入れ、おそくなった午餉を軽く喰べてから家
その月の下旬に、金之助は江戸の中屋敷で康継と会い、持って来た包の書類を差出した。
いう重いお役を兼ねることになり、お召しをうけて江戸へまいりました」