泥棒と若殿 / 山本周五郎
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た。その翌朝、成信はみしらぬ侍たちにとり囲まれ、本所の下屋敷へと移された。そしてひと月すると上屋敷から使者が来て、大炊頭
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三年まえに此処へ幽閉されるまで、成信は江戸の京橋木挽町にある中屋敷にいた。彼は大炊頭成豊の二男に生れ、
大炊頭はいちど大坂城代で五年ちかく江戸を留守にしたが、その他のときは寺社奉行とか、若年寄とか
は老臣にまかせきりのようなかたちだった。その首班は江戸の筆頭家老で、滝沢図書助といい、風貌も才腕もずばぬけた、ひところ名
たびたび訴えてみた。すると役人は、自分たちはすべて江戸からの申しつけどおりにしているが、貴方のおこないがあまりに粗暴で、従者
も暗然となるようなことが多かった。――彼は江戸の下町の生れで、家はちょっとした乾物屋だった。父親はおとなしい好人物
なったので、古石場の帳場がつぶれるとすぐ、彼は江戸を逃げだした。
成信はだるそうに本を投げた。鮫島平馬、ああ江戸の中屋敷にいた男か、そう思ったが、起きてゆく気持には
こちらへ来たのは榁久左衛門という者だった。江戸の上屋敷でたびたび会ったことがある、中老格で、慥かずっと馬廻り支配をし
「わたくしは五日まえに江戸からこちらへ到着いたしました、当地におきましてのおいたわしい御日常は、
ました、当地におきましてのおいたわしい御日常は、江戸でもあらまし承知しておりましたが、こちらへまいり、三年以来の
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二十歳になるまで数えるほどしか父に会っていない。また丸の内にある上屋敷には、長男の成武のほかに女姉妹が三人いて
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母親が後夫をむかえ、彼は日本橋のほうの海産物の問屋へ小僧にいった。義理の父というひとが
、この家で暮したい、そう思うことがある。すると日本橋の問屋の例で、養父が毎日のように酔っぱらって来て、前借を
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三年まえに此処へ幽閉されるまで、成信は江戸の京橋木挽町にある中屋敷にいた。彼は大炊頭成豊の二男に生れ、成豊