青べか物語 / 山本周五郎
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あった。――老人の名は芳、夫婦っきりで、三本松の裏に住み、「大蝶」の倉庫番をしている、ということであっ
はじめころ、たぶん五月のはじめころであったろう、私は三本松のところで老人に捉まった。
に包まれている石灰工場、芳爺さんの住居に近い三本松、消防小屋、堀南から中堀橋を渡り、堀に沿った堤の左側に、
」も「栄家」も同じ看板を掲げていたし、三本松も元のように枝を張っていた。しきりにカメラを捻くっている二人
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思い、どこか遠い土地へいってしまおうと決心した。北海道かどこかの広い広い、はだら雪の人けもない曠野を、頭を垂れ、
まえによそへ嫁し、その婚家の人たちといっしょに、北海道へ移住してしまった。母親は長く腎臓を病んだのち、その年の夏
父親から手紙を受取った姉が、一人の娘を伴れて北海道からはるばるやって来たのである。娘は小柄な躯ではあるが、
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タクシーは東京を走りぬけ、本所へはいり、錦糸町へと向っていた。こっちへ来たのは戦後はじめて
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船長は十八歳のとき初恋をした。相手は新堀川の小さな雑貨屋の娘で、名はお秋、年は彼より一つ下で
ても、作り過ぎることはなかった。――こうして新堀川の小さな雑貨屋は、見ているうちに産をなした。新たに家を建て
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。それは避けることのできない関門なのだ。東京から大阪まで汽車でゆくのに、丹那トンネルは避けることができるが、大井川や天竜川の
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「その」といちばん若い運転手が訊いた、「うちが能登か佐渡だとすると、連隊区が違やあしねえかね」
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彼は霞ヶ浦の北端にある鉾田町で生れ、父も霞ヶ浦の通船に乗っていたし
彼は霞ヶ浦の北端にある鉾田町で生れ、父も霞ヶ浦の通船に乗っていたし、彼もごく小さいときから、父といっしょに
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初年兵がいただ、うちは慥か能登のほうだった、佐渡かもしれねえ、もう忘れちまっただが、相撲のように頑丈な躯を
その」といちばん若い運転手が訊いた、「うちが能登か佐渡だとすると、連隊区が違やあしねえかね」
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在学ちゅうだったころ、写生旅行かなにかの帰りに、宇都宮かどこかで、汽車を待つあいだに食事をした。見かけはありふれた
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二十七歳でエンジナーになり、結婚した。相手は郷里の水戸在に育った娘で、気が強く、言葉も動作も荒っぽく、彼は
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か福島あたりの訛りで云った。私がここで福島か山形あたりの訛りだというのは、「喜世川」にいる他の二人の女性
あると罵り、こうみえてもあたしは江戸っ子であると、山形か福島あたりの訛りで云った。私がここで福島か山形あたりの訛り
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、山形か福島あたりの訛りで云った。私がここで福島か山形あたりの訛りだというのは、「喜世川」にいる他の二人
罵り、こうみえてもあたしは江戸っ子であると、山形か福島あたりの訛りで云った。私がここで福島か山形あたりの訛りだと
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「そっちへゆくと千葉へいっちまうよ」とわが友人が注意する、「こっちの道だよ、
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勘六は博奕打だといっていた。東京深川のなにがし組で、かつてはあにい分だったという。酒を飲むときまっ
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江東区の高橋から出ていた通船、葛西、東湾の両汽船とも、ずっと
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東京へゆけばビールの一杯売りをやっている、と老人が云った。
幾冊かは、――ディーゼル・エンジンに関する本は、自分で東京の神田へいって買ったものであった。
起こった。それは避けることのできない関門なのだ。東京から大阪まで汽車でゆくのに、丹那トンネルは避けることができるが、大井川
ぶりなのに反して、花嫁はかなり縹緻よしであり、東京の女学校を卒業したという、一種の誇らしげな匂いを身に
彼自身は高等小学校しか出ていないのに、花嫁は東京の女学校を卒業していた。彼が貧相でみばえのしない男
「ううん」と花嫁は東京の女学校を卒業した匂いのする発音で五郎さんの言葉を遮り、
ていた。云うまでもなく、花嫁が縹緻よしで、東京の女学校出身者であることが、かれらの庶民的な生活感情を刺戟し
いうことになり、かれらは五郎さんを伴れだして、東京のさる華やかな一画へ押しあがった。もちろん勘定はごろさん持ちで、事の
さんが結婚してまもなく、篠咲でもゆい子が東京へ嫁にいった。一年経って、五郎さんの新しい妻が女の
であった。――柾三氏はW大学出身で、東京日本橋の中・商という商業新聞社へ通勤してい、発着所の方
「大蝶丸は罐詰を東京まで積んでいって、三時間ばかりめえ帰って来ただ」と扶原支配人
近よったこたあねえ」と船長は答えた、「あのときは東京へ罐詰を送り出した帰りで、まっすぐ根戸川の川口へはいっただ、船
げんがとは東京付近でいうえんが、またはえんがちょ、つまりけがれたというほどの意味で
戻り、少女小説を書くか童話にするか、それとも東京の洒落斎翁のとこへねだりにゆくかなどと、怠けた思案に耽る
ない調子で云った、「そのお土産あけなさいよ、先生は東京だから知ってるでしょ、ねえ、あけてみなさいよ」
に再び召集をかけ、二台のタクシーに分乗して、東京へ芝居見物にゆき、かもから搾りあげたものをきれいに使いはたして
勘六は博奕打だといっていた。東京深川のなにがし組で、かつてはあにい分だったという。酒を飲むと
ある。これはその日の稼ぎにあぶれた人たちが、東京あたりからはるばるやって来るのだというが、――土地の漁師の説
そのころでも、鮭くらい大きい鱸は、東京の料亭などへ持ってゆくと、六か七、うまいときには一〇くらい
かけ、手には白い手袋をはめていた。それは東京などで政府反対の演説会があるとき、臨検の警官がみせる身拵えで、
た。これは夫妻のあいだに子供がなく、高品さんは東京の新聞社へ通勤しているため、きん夫人はとかく暇をもてあますので、
訛りかまったく不明であったが、栄子の云うように「東京のまん中の神田っ子」の言葉でないことだけは慥かであった。
「寄留すればいいだよ、東京で寄留届けをしてあれば寄留地の連隊にへえることもできるだ
して、土地や風景には別れを告げたけれども、東京へ去ることは誰にも云わなかった。高品さん夫妻にさえ話さず、
「東京へ出たら」と私は力んだ気持で呟いた、「おれはやるぞ
「東京へ出て」と私は不安を抑えきれずに呟いた、「はたしてやっ
タクシーは東京を走りぬけ、本所へはいり、錦糸町へと向っていた。こっちへ来
肌のように、赭土や岩が裸になっている。東京の三十間堀は私にとって第二の故郷のようなものであった
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かは、――ディーゼル・エンジンに関する本は、自分で東京の神田へいって買ったものであった。
であったが、栄子の云うように「東京のまん中の神田っ子」の言葉でないことだけは慥かであった。
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あった。――柾三氏はW大学出身で、東京日本橋の中・商という商業新聞社へ通勤してい、発着所の方は
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切炉にはいつも火があり、きん夫人は浅草生れの浅草育ちで、気性はさっぱりしているし、人に差別をつけず、世話好き
が、広い切炉にはいつも火があり、きん夫人は浅草生れの浅草育ちで、気性はさっぱりしているし、人に差別をつけ
ので、われ知らずぞっとして立竦んだ。きん夫人は浅草のすし屋の一人娘で、下町そだちらしくさっぱりとした気性であり、もう三
、――私は船宿「千本」の長を伴れて、浅草へ映画を見にいった。たぶん大勝館だったろう、やっていたの
長は賽銭をあげ、鈴を鳴らして柏手を打った。浅草の映画館で猛獣映画に昂奮し、「ライオンも象も毛唐もみんなばかやつ
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せてくれたことがあった。彼が自分で思いつき、銀座裏の某てんぷら屋に命じて作らせたのだそうで、それは豊富
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あった。ごったくやから足を抜いたとか、むかし亀戸で売れっ子だったとか、飲み屋から追い出された、などというような経歴
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はなかった。尤も、私は里神楽で見たのと、新橋の幇間だった柳家連中の獅子舞で見たくらいの知識しかなかったが、
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タクシーは東京を走りぬけ、本所へはいり、錦糸町へと向っていた。こっちへ来たのは戦後はじめてのことで、
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であるが、――そして、それで足りないところは、京橋木挽町に店を持っていた恩人、山本洒落斎翁のところへ借りに
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櫓のように使うのである。私は少年時代に、江ノ島の片瀬川で棹と櫓の使いかたを覚えた。そんなちっぽけなべか舟など