桑の木物語 / 山本周五郎
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こっちは花川戸から山の宿、今戸、橋場あたり、川を越しては小梅から向島へかけて、「舟仙の
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が十二歳になった年、六月から八月いっぱい、本所の下屋敷ですごすことになった。躯が虚弱なので、医師と勘右衛門の
「なにょう云やあがる、こっちあ屋敷が本所にあるんだぜ」
「べらぼうめ、本所から深川はひと跨ぎだ、なあ信さん、こいつあなんにも知っちゃあいねえ
月のことであるが、それまで下谷から浅草、深川、本所あたりの、ごみごみした汚ない、長屋のような町ばかり選って歩き、人足など
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くらいいそがしかった。なにしろ家が舟宿で、隅田川があって、浅草寺が近いのだから、遊ぶに事を欠かないのである。食事と寝るとき
というのは古今の名将勇士とか合戦物語などで、浅草寺の境内でやっていた辻講釈に似ていた。それで、ことに
して、賑やかに見物した。――もうそれまでに浅草寺の奥山で、その種のものはたいてい見ていたが、そういう座敷へ
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松平外記が後見になった。――政治は合議制で、江戸と国許の全老職が参画し、そのなかで土井勘右衛門は若君の御養育を
は悠二郎に、こっちに残っていろと云った。おまえを江戸から離すのは可哀そうだし、おみつが淋しがるだろう、などとも云った。
、――どっちを見てもそんな景色で、見るたびに江戸が恋しくなり、気持が沈むのに降参した。
もない、――大丈夫だ、郷愁というのだろう、ときどき江戸へ帰りたくなる」
云って、脇のほうへ眼をそらした、「――江戸へ帰って、また舟仙へゆこう、みんな待っているだろう、今ごろおみつはなに
江戸へ戻ったのは翌々年の三月であった。そして参覲出府の式――
になってその係りから云いわたされ、いやもおうもなく江戸に残されてしまった。
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なかなかすばやく巧みに逃げられるようになった。――向島の長命寺の近くへいったときのことだが、寮めいたある家の側でふと
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それから月にいちど舟仙へ出かけた。また三社祭りとか両国の花火とか、四万六千日とか草市などの、なつかしい行事のあるときには、
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早く早く」と、若君をつきとばすように逃げだした。――水戸屋敷のところまで息もつかずに走り、そこの土堤の下で、ふところ
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悠二郎が呼びかけると彼は赤い顔をし、おと年から下谷竹町の左官屋へいっていると云った。
のはその翌年の二月のことであるが、それまで下谷から浅草、深川、本所あたりの、ごみごみした汚ない、長屋のような町
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。杏花亭が記しているように、ずっと老年まで吉原や深川あたりでよく遊び、酒もつよいし、荻江一中などの俗曲にも通じて
芸人たちを呼んで賑やかに騒いだり、舟で吉原とか深川などの遊里へでかけたりした。――それでいつかおつねが女の子
出ていった。――虚木老は虚木老で深川あたりへでかけたらしい、三時すぎてから、いいきげんに酔って帰った
「べらぼうめ、本所から深川はひと跨ぎだ、なあ信さん、こいつあなんにも知っちゃあいねえの
の二月のことであるが、それまで下谷から浅草、深川、本所あたりの、ごみごみした汚ない、長屋のような町ばかり選って歩き
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亭はただ「町家」と記しているが、詳しくいうと浅草六軒町にある「舟仙」という舟宿であった。
くらいいそがしかった。なにしろ家が舟宿で、隅田川があって、浅草寺が近いのだから、遊ぶに事を欠かないのである。食事と
責任がどっちにあるかは問題だと思う。なにしろ此処は浅草の家と違って、大川もなければ舟もなし、見世物も草の原
た。すると、それはどこのなに者だと聞くから、浅草の辻講釈だと云ったら、先生は怒って講話を途中でよしてしまっ
というのは古今の名将勇士とか合戦物語などで、浅草寺の境内でやっていた辻講釈に似ていた。それで、
だけでも嬉しかったのに、聖堂へはゆかないで、浅草の舟仙へつれてゆかれたにはびっくりした。
若君を屋敷からぬけ出させて、浅草界隈の面白いところを見せてやりたい。悠二郎はその頃からよくそう空想し
ことを云った。家のしょうばいがしょうばいだし、下町も浅草育ちだからませるのだろうが、去年から見ると背丈も伸び、顔だちも目だっ
して、賑やかに見物した。――もうそれまでに浅草寺の奥山で、その種のものはたいてい見ていたが、そういう
「悠二郎、おまえ浅草へはいつゆくんだ」
「そうではあるまい、浅草へもゆきたいが、おれの側を離れることができないのだろう」正篤
をなさいました、――庶民と同じ姿になって、浅草の見世物もごらんになり、大川へ舟を出して、自由に泳ぎもし釣り
その翌年の二月のことであるが、それまで下谷から浅草、深川、本所あたりの、ごみごみした汚ない、長屋のような町ばかり選っ
のよ、いまごろどうしていらっしゃるか、あんまり窮屈なんで浅草へ帰りたがって泣いてでもいらっしゃりゃあしないかって、――なんど
いった。笠木塀を乗り越えるときの泣きそうな顔や、浅草界隈の話をしたとき、さも羨ましそうに、
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の宿、今戸、橋場あたり、川を越しては小梅から向島へかけて、「舟仙の悠ちゃん」と、すっかり名がとおった。
も、なかなかすばやく巧みに逃げられるようになった。――向島の長命寺の近くへいったときのことだが、寮めいたある家の
舟を出して、自由に泳ぎもし釣りもあそばしました、向島から小梅あたりの悪童どもと、いっしょに遊んだり喧嘩をしたり、……
外へ出るときはたいてい職人の恰好であった。小梅から向島のほうもよく歩き、桑の実を取って庭番にみつかって息を限り
で育った、大川の水も、観音さまの境内も、向島から小梅の端のほうまで、みんなおれの幼な馴染だし、喧嘩友達も
のはどうだと口をあけた。二人は遠い日の向島の出来事を思いだし、互いの黒く染まった口を見ながら、両方でいっしょに
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を食うひまも惜しいくらいいそがしかった。なにしろ家が舟宿で、隅田川があって、浅草寺が近いのだから、遊ぶに事を欠かないの
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がひと眼だし、東は表御殿の屋根の間から、京橋方面の下町が眺められる。……またそこを西へ下り、かこい
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、こんなでけえのが山と獲れるんだぜ――おれなんか綾瀬川でなんべんも鯉を釣っちゃった」
綾瀬川でその年は正篤が五百匁あまりの鯉を釣った。またおみつの案内