菊千代抄 / 山本周五郎
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菊千代は七歳のとき、江戸城へあがって将軍にめみえをした。将軍は痩せた蒼白い人で、なに
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向島の木母寺で休息し、命じてあったとみえる茶菓をたべて出た。そこから小梅
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ないので、公式には最小限の義務しかなく、家臣も江戸と中山の領地を合わせて、せいぜい四十人を出入りするくらいのものだった。
江戸にいても慰めはない。世捨て人になって、山へこもって平安に生活
ちょっと暇取ったが、二十五歳の年の二月、菊千代は江戸を立って中山の屋敷へ移った。樋口次郎兵衛は老年なので、そのとき
まあ、そのあれなんです、そのほうの始末をするあいだ江戸にいないほうがよかろうということで、実は大洗の方面を廻ったりし
ていた。世間で楽しみといわれている事は、江戸でたいていやってみた。けれども心から自分を慰め、楽しませて呉れた
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や風よけの疎林がうちわたして見え、晴れた日には筑波山まではっきり眺められる。対岸は名だかい天神社のある亀戸村で、そっちにはかなり人家
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が彼を招いて老子の講義を聴いた。また芝の正眼寺へかよって禅もまなんでみた。けれどもやはり彼女には縁の遠いもの
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巻野家の上屋敷は丸の内にあったが、菊千代はおもに日本橋浜町の中屋敷か、深川小名木沢の下屋敷で
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男が住むようになった。源太の遠縁の者で、水戸のほうで商売をしているが、病弱のため店を人に頼み、
それがみな嘘で、源太とは縁もゆかりもなく、水戸の店というのも、商人と申すのも嘘で、まことは武士らしく
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丸の内にあったが、菊千代はおもに日本橋浜町の中屋敷か、深川小名木沢の下屋敷でそだてられた。養育の責任者は樋口次郎兵衛といい、もと
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さて六歳のときのことであるが、浜町の屋敷の庭で遊んでいるうち、乳母の松尾がちょっと側を離れた
巻野の別家に当る遠江守康時の五男で中屋敷が同じ浜町にあり、下屋敷もつい四、五町はなれた処にあった。それ
は二十歳の年、そのうちから八千石分封して貰った。浜町の中屋敷と、別家遠江守の屋敷とのあいだに、彼女のための
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には筑波山まではっきり眺められる。対岸は名だかい天神社のある亀戸村で、そっちにはかなり人家が見えるが、川とのあいだには畑
中屋敷から馬で、向島、亀戸天神をまわって、下屋敷まで遠乗りが許された。距離はさしたることはない
とみえる茶菓をたべて出た。そこから小梅を通って亀戸へ向ったのだが、枯野道へかかったとき、右側にある田川の
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中屋敷から馬で、向島、亀戸天神をまわって、下屋敷まで遠乗りが許された。距離はさしたること
向島の木母寺で休息し、命じてあったとみえる茶菓をたべて出た
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誘ったのもその一つで、彼はすでに幾たびも小名木川で、ひそかに泳いだことがあるというのであった。
二人は川に沿ってずっと東へいった。小名木川が中川へおちるところに船番所がある。その少し手前までいって、栗林
はない、ごくときたまのことではあるが、ふとすると小名木川で遊んでいた子供たちの、男も女も素裸のからだつきが、眼に