風流太平記 / 山本周五郎
地名一覧
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「おいらはこっちへゆくぜ、小父さんは門前町の横丁へ入って、あいつらをまいていかなくっちゃだめだよ、わかった
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「箱根とどっちかしら」
半次は詰った。おちづも彼も、箱根そのものを知らないのである、当時の江戸では「箱根から向うは化物
紀州とか箱根とか、遠州浜松などという地理的なことになると、云うほうも聞くほう
「どこなのそこ、箱根よりかも遠いの」
「いやだ姐さん、箱根のずっとこっちよ、大山へ登る道のわかれる処ですって、江の島ってとこへも
――ぬけ参りとは感心な娘さんだ、あたしが箱根までいっしょにいってあげましょ。
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「つなは榊原主膳という、宇田川町の旗本の家に身を寄せている、榊原は休之助の友人なんだ、
「つなさんが身を寄せたという、宇田川町の榊原主膳ですか」
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左のほうに明石町へ渡る寒さ橋が見え、いそぎ足に往き来する人の姿が、いかにも夕暮
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江戸を出て二日め、万三郎は熊谷の宿に着いた。
熊谷の宿に入って二丁ばかり来たところであった。もう日は昏れかかっ
ある。もしかして跟けられたときの用意に、いちおう熊谷まで廻り道をしたのであるが、こうなればその必要がなくなったわけで
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兵部少輔直明は、本家掃部頭直中の弟で、所領は越後国与板二万石。そのとし若年寄になっていた。
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結城へゆくには、粕壁から、杉戸、栗橋というのが順路である。もしかして跟けられたときの用意に、
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そのあたりは関東平野の北端に近く、正面に日光連山が迫っているし、右に筑波の山
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「わからねえさ、ぬけ参りというかたちで、遠州の浜松という処までいって、そこで船に乗ってゆくんだ」
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「例の小田原町の河岸にある紀州屋敷の中です」
そこに眼をつけていた。芝の浜屋敷と同様、小田原町の屋敷も海に面している。それで始めのうちは小田原町のほうに
の屋敷も海に面している。それで始めのうちは小田原町のほうに見当をつけ、船宿の増六を溜りにして、ずっと見張りも
その下屋敷は小田原町の地端れにあり、一方は堀、一方は海になっている。海手に
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「あたしお金を持ってないでしょ、川崎って処から水ばかり飲んでったもので、藤沢までいったらふらふらになって、
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そのあたりは関東平野の北端に近く、正面に日光連山が迫っているし、右に筑波の山がそばだってみえるが、そのほか
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は舟がまわしてあり、つなはそれに乗せられて、本所二つ目の村田という家へ伴れてゆかれた。
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「旅絵図でみると水戸街道の土浦から下館まで十里足らず、そこから結城まで僅かな距離ですから、馬の
休之助が土浦を出たのは、明くる日の午前十時ごろであった。
土浦の伝馬問屋では、彼の示した切手を疑うようすで、
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そこは真壁郡の長岡という村から、加波山に向って二十町ほど登ったところで、捨てられた古い樵夫
長岡の村から登って来る細い杣道が、二つに岐れて、一は頂上の
「おらあすぐこの下の長岡の人間で、嘉平の伜の伝次っていう者であんす、おらばかりじゃ
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「築地塀のところへまいりまして、乗り越えるために用意してあるものが、みつからずに
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ただけだし、観音谷を探索に来ただか、加波山神社へ参詣に来ただかわからねえし、それに、早まって饒舌って、ひと
明くる夜の九時、万三郎は裏道づたいに加波山神社まで登り、そこで二人とおち合った。そこで秀の忍び装束を着、覆面
「この上に加波山神社というのがあるそうではないか」
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は眼を細くしながら、こう呟いて、自分が長崎から江戸へ出て来たいきさつを、静かに思い返してみた。
が病死し、同時に万三郎は長崎勤番を命ぜられて、江戸を去った。
を驚かした。それは、すべての手続きを棄ててすぐに江戸へ来い、という文面であった。
だし、花田の兄も承知らしい。また、なによりも江戸へ帰りたかった。
――江戸へ。
「私は五日まえに江戸へ着いて、すぐに浜屋敷へいったんですが、甲野さんは火事をだし
ものである。彼は開業五日めであったが、江戸生れの江戸育ちで、下町っ子の調子ぐらいは心得ているつもりだった。
江戸を出て二日め、万三郎は熊谷の宿に着いた。
「江戸から来られたのですな」
「さよう、江戸から来ました」
「代官所の命令です、江戸からそういう急布令があったのです」
私も境で代官所の下役人に調べられました、江戸から急の布令があったというんですが、これは敵が積極的な行動
「いちど江戸へ戻りますか」
、彼女はあの荷駄を調べにいったのであった。江戸から送られて来た紀州家の荷駄は、この町のすぐうしろにある豪家
、土地の人々は「殿さま」と呼んでいた。江戸にも屋敷と店(機場で織った結城縞を売り捌くための)があり
縞を売り捌くための)があり、当主の甚兵衛は隔月に江戸と結城に住むのであった。
しかし、江戸から荷を運んで来た人の数は少なくなるようであった。はっきりとは
――江戸から誰か来てからのほうがよくはないか。
「もう江戸から来た頃だわ」
「葛西屋にはきっと手が廻ったに違いない、江戸から誰が来るかわからないけれど、葛西屋へ泊れば捉まってしまう」
「よくそんな出まかせが云えるのね、あの方が本当に江戸へいらっしゃったかどうか、いらっしゃったとすればどこでなにをなすっているか
「甲野さんのお家が焼けた明くる朝、あの方が江戸へお着きになったのもでたらめかしら、お浜屋敷へ入ろうとなすって、どこ
そこまで詳しく作り話をしたのでしょう、――でも、江戸から結城まで、わざわざ来たのはそれだけの用事なんですか」
「へへへ、江戸のお嬢さん」
「なあに、おらあ時間は幾らでもあるんだ、旦那と江戸へいっているときにゃあだめだが、こっちにいるときゃあ暇なんだ、
江戸から送られた荷駄が、古木家の邸内へ入れられたことは、つなの
、かれらはつなさんをよそへ移すかもしれない、江戸へ伴れてゆくかもしれませんからね、――斧田さんはあの女に
斬って来たのかもしれない。そうだとすれば江戸へ連絡することのできるのは自分だけだ。そうでなくとも此処でむざむざ死ん
江戸の霜
て、紀州田辺へ出立したあとであるが、――江戸では花田徹之助が、松平伊豆守とひそかに会っていた。
ないが、結城には古木甚兵衛と申す富豪がいて、江戸にも店と住居があるし、紀伊家へよく出入りをするというはなしを
太田嘉助だけであった。あとは主人持ちか役付きで、江戸を離れるわけにはゆかない。もちろん太田嘉助にしても、(他の者
もちろん太田嘉助にしても、(他の者と同様)江戸から出るのは密行である。
信じないが、役人は謀反人と云っていただ、江戸から逃亡した謀反人だってよ、――おまえさまが入って来たとき
殿さまと云っているだ、この土地じゃあしようがねえ、江戸へでも訴えて出ようかと思ったりしただ」
「おまけに、古木は江戸にも店と住居があって、どういう因縁かわからねえだが、紀州家の
江戸から送った荷駄は、古木家か、古木家に縁のある場所へ隠され
それが大きな懸念であった。いつか江戸の芝で捉まって、「和幸」へ伴れてゆかれたときに、かよ
大めしの前で会ったあの娘も、やっぱりその事で江戸から来たのかね」
で、お辰という婆さんだし、このあいだの、江戸から来たお嬢さんも、ときどき入ってゆくのを見かけるんだ、――男
「すると、江戸から来たあの娘さんは、その押籠められている人と知り合いなのか
「とにかく、押籠められている人のために、江戸から来たことは慥かだと思うんだ」
「このあいだまた荷が着いたが、それでもう江戸から送るのは終りだそうだ」
「江戸も圧迫がひどくなった」
彼も、箱根そのものを知らないのである、当時の江戸では「箱根から向うは化物が出る」といわれていたくらいで、
ばいきてえけど、入り鉄砲に出女といって、女が江戸から出るのはやかましいんだぜ」
――江戸から来たやつだな。
調べただけのことを説明したうえ、四月には江戸から兵が来て駐在する、ということも話した。
「大丈夫でしたが、今日は江戸から来た女が小屋へ現われまして、なかまの顔をそれとなく見て
「わしが江戸から来たにはわけがあるんだ、その話をするためにこうして
江戸の情勢に変化があって、それをかよだけに知らせるのかもしれ
「この渡辺蔵人は生き証人として、江戸まで送らなければならない、朱雀調べには初めての、しかも重大な人間だ、
「さあ、刀を此処へ置きます、お願いですから江戸へ帰って下さい、なまいきなことを云うようですが、人間は死ぬまでが
、伝次を医者の迎えにやって、おれたちはできるだけ早く江戸へゆく工夫をするんだ」
もちろん順路は危ない、一行は笠間から水戸へ出、そこで江戸へ使いをやって、迎えの来るのを待ったのであった。
「そのお爺さんは江戸へ帰るところだったわ」
「あたしにも江戸へ帰れと云うの、あたしお伊勢さまへぬけ参りにゆくと云ってあった
云ってあったでしょ、お爺さんはそんなことはやめて江戸へ帰れ、途中でどんな災難にあうかもわからないからって。
いきなり啖呵を切ったの、ばかにしちゃあいけないよ、江戸の金杉で山猫のおちづといえば、知らない者のないおねえさんだ、へたな
女衒の手から手へ渡って、正月下旬に、江戸へ来た。
褒貶いろいろの評があった。たいそう豪放濶達な人らしく、江戸でなにか乱暴な事をしたため、国許へ蟄居させられたのだ
――渡辺は加波山からうまく逃げ、いまは江戸へ来て、浅草の裏町に隠れている、花田ら一味に跟け覘われて
深川洲崎の升屋は、江戸における料理茶屋の開祖といわれて、しばしば貴人紳商の遊宴に使われる
「渡辺さんが江戸へ帰る途中で会い、そのまま浅草の裏に家をかりて、いっしょに住ん
は町奉行与力で、それぞれ公務を持っているため、これまで江戸を離れる仕事は頼まなかったのである。
のことは自分の好きにするよ、それに、すぐまた江戸を出てゆくんだ」
「――江戸を出てゆくって」
とちい坊のことは花田の兄が引受けるから、こんどは江戸で待っているんだ」
ことのできるのに斬らず、(休之助にどなられながら)江戸へ出て更生するようにと、意見をして別れたことなど、手短かに
と、加波山、田辺の焼打ちとで、左近将監頼興が江戸へ来た。おそらく大勢挽回のためであろう、さもなければ、かねて通謀して
であろう、さもなければ、かねて通謀している大名と、江戸でなに事か起こすためかもしれない。いずれにもせよ、その情況から判断
紀伊在城の頼興が、幕府に届けもなく、ひそかに江戸へ潜入したということは、なによりの好機会である。先手を打って
は記すまでもないだろう。休之助はじめ四人の者は、江戸を出てから三日めに、猿橋の宿へ着いた。
二十余人一団の侍たちは、江戸の紀伊家の者で、甲府で事を起こすために密行する途中であった
これは鳥沢の番所へ、江戸から通達があったということ、それは老中がこの事件に対して、積極的
本拠では江戸から来る人数を待っていたらしい。正面から登った岡村隊は、なんの
たち五人(かよも入れて)が帰ったとき、江戸ではもう事件がきれいに片づいていた。八重が寮へ訪ねて来た
出府願い」が呈出された。頼興が病気になり、江戸で療治したい、という理由であった。
――つまり「出府願い」は、頼興が江戸へ潜入したことを、表沙汰にしないための、老中合議の工作であっ
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し、築山へ登ると(夜ではしようがないが)富士山と筑波が見えるそうであった。一丈五尺もあるというその築山へ
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に近く、正面に日光連山が迫っているし、右に筑波の山がそばだってみえるが、そのほかは一望の平野で、なだらかな丘
下館までの道の半ばは、筑波の山麓に沿っている。晴れてはいたが風の強い日で、殆んど
「筑波のお山は低いけれども、ばかにするとひどいめにあうだよ」
築山へ登ると(夜ではしようがないが)富士山と筑波が見えるそうであった。一丈五尺もあるというその築山へも、
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若いが、躯恰好は万三郎とつり合っていた。彼は雨引村の人間で名は秀といい、村相撲では小結だそうである。
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「おれは握るだけの金を握った、大阪に家も買ってある。一生遊んで、贅沢三昧に暮す準備がすっかり出来て
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夕映えの色もうすれた東の空に、筑波山の高い嶺と、加波山の稜線がくっきりと黒く見えた。つなは笹藪から道
そこは筑波山への登り口に当っているので、初めは筑波山への遠乗りの連中かと思った。しかし、かれらのようすや、馬が
二段ばかりゆくと坂にかかった。筑波山の西麓で、霜溶けの道に岩がごろごろ突き出ていた。ふり向いてみると、
休之助は炭小屋で粥を啜っていた。筑波山の中腹の叢林を分けながら、北へ北へと強引に歩き続け、半刻ほどまえ
と、一本杉という峠へ出るんですよ、そこだと筑波山がよく見えるんですが、――ああ、此処からも頂上がちょっと見えますね
、一年に一度、男と女がむやみに集まって、筑波山の上で歌ったり踊ったり酒を飲んだりして、お互いに好きな同志がその
、うちわたして見える田園で、晴れている日には、筑波山が美しく眺められた。
いま、万三郎の眼にその筑波山が見える。
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「増上寺の山内にいたのと同じやつかな、山内からこんな処まで飛んで来れる
「増上寺の山内で初めて見たっけ、それからも三度ばかり山内で見たっけよ
、御成り道に近い「和幸」という茶屋であった。増上寺へ参詣する人たちの休み茶屋らしいが、奥には離れ座敷が幾つもあり
「増上寺の山内に、和幸といういかがわしい茶屋があるそうでございますね」
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「山からじか卸しの炭だ、宝積寺の本場の堅炭だ」
「おらあ虎あにいのほかに知り合いはねえし、当分は宝積寺の家へも帰れない、話してえにも相手はいねえんだ、また
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三人は歩いて、――もちろん順路は危ない、一行は笠間から水戸へ出、そこで江戸へ使いをやって、迎えの来るのを待っ
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「甲府城の近郊に貯蔵所のあることは、つい数日まえにわかったのだ、
戸田下総守(忠諏)はそのときの甲府城支配である。甲府城は初め城代制、次に親藩の甲府家を設け、
守(忠諏)はそのときの甲府城支配である。甲府城は初め城代制、次に親藩の甲府家を設け、さらに柳沢家の所領と
「――甲府城の、用度品です」
明らかであった。そこで、休之助は珍しく慎重に構え、甲府城と連絡を取った。
証明するものだ。と思ったからであるが、果して、甲府城にも同じような通達が来ていて、支配が自分から援助を買って
尾根で、次の山頂に続いているが、そちらにも甲府城の人数が配置されており、敵の逃げ場もないし、隠れる場所もなかっ
加波山は結城藩、要害山は甲府城、それぞれの責任で始末し、これまた、その跡も残らないくらい入念に片づけ
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てみろ、こっちは銀座から向うは芝、麻布、品川は大木戸まで、金杉の半次といえば知らねえものはありゃしねえ」
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庫へ運び込まれるのです、浜屋敷へ入れたのは、この関東のどこかにも武器庫のある証拠だと思います」
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色もうすれた東の空に、筑波山の高い嶺と、加波山の稜線がくっきりと黒く見えた。つなは笹藪から道へあがり、人馬の列
「――加波山だな」
「加波山ていうだよ」
「あれは去年の夏ごろから聞え始めただが、場所は加波山の弁天谷のあたりでしょうか、ときどき夜になると、あんなような気味の悪い
――炭焼き場の上へ出ると、おぼろげに高く、加波山と思える山塊が眺められた。月の光りの下で、それは幻のよう
「加波山で山霊が哭く」
そこは真壁郡の長岡という村から、加波山に向って二十町ほど登ったところで、捨てられた古い樵夫小屋に手を
あった。そこはもう頂上に近く、三段ばかり登ると加波山神社の境内になる。谷といっても水はないし、崖を切拓い
第二の繩梯子は登らずに)急斜面をまっすぐに、加波山神社の境内へと出た。
結城から加波山、観音谷のあの夜までの、眼まぐるしい出来事が、なつかしい回想となって、記憶
「ずっと加波山でいっしょだったのに、いやに知ったようなことを云うからどうした
加波山で渡辺蔵人が語っていたように、情勢はたいそう味方に好転してい
で、――渡辺は結城へ去って以来ずっと会わない、加波山の貯蔵所の潰滅したことはむろんわかっているだろうし、かれらのほう
――渡辺は加波山からうまく逃げ、いまは江戸へ来て、浅草の裏町に隠れている、花田
を助け出したのをよけいな事だというけれど、結局は加波山の焼打ちに成功しているでしょう、観音谷のときだってそうだ、かよ
「敵の監視が厳しいうえに、加波山で手傷を負いまして、暫く動くことができないのです」
一、紀州田辺の貯蔵所が、加波山と前後して焼払われたこと。
半兵衛がかよと共に加波山へ現われたこと、渡辺蔵人とかよを争い、焼打ちの夜に、万三郎と
幕府の硬化と、加波山、田辺の焼打ちとで、左近将監頼興が江戸へ来た。おそらく大勢挽回の
加波山は結城藩、要害山は甲府城、それぞれの責任で始末し、これまた、
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「金杉で放り込まれた茄子なら金杉の海で浮いてろ、この頃ちょいちょい見かけるが、冬木
「金杉で放り込まれた茄子なら金杉の海で浮いてろ、この頃ちょいちょい見かけるが、冬木河岸はおれっちの繩張り
畑跡のほうから、吹矢の筒を持った若者と、金杉の半次という少年の来るのが見えた。
を切ったの、ばかにしちゃあいけないよ、江戸の金杉で山猫のおちづといえば、知らない者のないおねえさんだ、へたなまねを
半次と金杉で別れた夜、彼女は三島と屁十のために、危ないめにあわされ
「おかげであにいはまた眼が見えなくなり、金杉からこの深川のこっくりさままで、五十日の余もお灸に通ったんだ
「だからおらあ船宿の船頭ならやるっていったんだ、金杉にいるじぶん、舟は漕いだことがあるし、舟は好きだから、―
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よがいるものと思っていて下さいまし、たとえ蝦夷ヶ島、筑紫のはてにでも、かよは決して万三郎さまから離れは致しませんから、
のいらっしゃる処には必ずかよもいますって、蝦夷ヶ島でも筑紫のはてでも、あなたのいらっしゃる処には必ずいますからって、――そう
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「長崎からまいった花田万三郎という者です、休之助の弟で、手紙が届いて
彼は眼を細くしながら、こう呟いて、自分が長崎から江戸へ出て来たいきさつを、静かに思い返してみた。
とまもなく、その娘が病死し、同時に万三郎は長崎勤番を命ぜられて、江戸を去った。
紀州家の甲野へいった休之助は、長崎などへやられた弟が哀れだったのだろう、しきりに手紙をよこして
――許婚に死なれたうえに、長崎などへやられて、泣きっ面に蜂じゃないか。
――けれども長崎まで来てもらうわけにはいかないでしょう、勤番が解けるまで待ってくれるでしょう
彼は命令どおり、すぐに支度をして、長崎をとびだしたのであった。
万三郎はわれ知らず高い声をあげた。長崎ではるかにあこがれていた人である。会うのはいま初めてであるが
ある。しかし、彼女は浜屋敷の変事を知っているし、長崎から出て来た万三郎に、少年を使って危険を知らせた。
「だって、そのために長崎から出ていらしったのでしょう、花田のお義兄さまや休之助にいさま
「そればかりじゃない、私を長崎くんだりから出発させ甲野さんのお二人を焼死させた、――いったい
たが、嫁になる筈の娘に死なれ、自分は長崎勤番にやられた。
ということがわかって下さればいいんですの、あなたが長崎から出ていらっしゃると聞いてから、まもなくあたしは甲野の家を出
花田万三郎は長崎から出てきて、まだ僅かな日数しか経たないのに、ぜんぜん想って
万三郎が長崎にあって、ひそかにつなにあこがれていたとき、かよはつなの
「あなたは万三郎さまが長崎から出ていらっしゃると聞いて、そうなれば二人が結婚するので、見
「詳しいことは略しますが、三郎が長崎から出て来るとわかって、甲野の家を出ました、三郎がつな
「あなたは長崎にいらっしゃるうちに、つなさんのことをお聞きになって、あの方を
、いや私が長崎にいたときにですね、私が長崎にいたことは御存じでしょう」
「あ、あ、貴女と私とが、いや私が長崎にいたときにですね、私が長崎にいたことは御存じでしょう
「その、いや、長崎は問題じゃないんです、休さんから手紙で、いや、もっと話を端折り
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)御自身の主謀ということはきめてはならないが、和歌山に左近将監さまが御在城だということを記憶しておいてもらう、
「お屋形といえば、和歌山に御在城の左近将監(頼興)さまのことだろう」
和歌山在城の左近将監頼興が、いまのところでは頭首らしい、ということが
とき三十四歳になっていたが、七年まえからずっと和歌山に帰ったままで、褒貶いろいろの評があった。たいそう豪放濶達な人
すべての処理が終り、いちど和歌山から出府した形式で、左近将監頼興が帰国すると、余類の現われるけはい
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にぬけると、鬼怒川の流れがある。その河畔を、水戸街道からそれて、二丁ばかりのぼった河岸に古い伝馬船に屋根をかけた
男たちが、舟の下る方向へ走っていた。おそらく水戸街道の大橋まで先まわりをするのだろう、――落ちた男はと見ると
。そうして、越中守の背後には、紀伊、尾張、水戸の三家をはじめ、保守派の強い支持があったのである。
「これで水戸街道へゆきます」
「旅絵図でみると水戸街道の土浦から下館まで十里足らず、そこから結城まで僅かな距離です
魚釣りが目的ではなかった。そこから半町ほど下流に、水戸街道が通っている。彼はそこを見張っているのであった。
を肴に飲もう、というのである。聞いてみると水戸街道に近いので、早速でかけて来たのであった。
は歩いて、――もちろん順路は危ない、一行は笠間から水戸へ出、そこで江戸へ使いをやって、迎えの来るのを待った
溜間詰の大久保加賀守、板倉左近らを説得、さらに水戸宰相治保からも援助の確約を得た。――だが、幾たびも
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「この伝次は関脇で、二人で宇都宮まで相撲にいったこともありますが、旦那にはころっといかれたそう
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「甲府城の近郊に貯蔵所のあることは、つい数日まえにわかったの
三、甲府で早急に挙兵し、その動揺に乗じて諸侯を抱き込む策を立てたらしい
―こういう事情だから自分のことは構わないで、すぐ甲府のほうへ手配をするように頼む。
「甲府へは私がでかけましょう、人数は五人もあれば充分だと思うが
そのときになってからのことにしよう、しかし、――甲府というだけで、貯蔵所の所在がわからないが」
それでだめなら現地で当ってみます、どうせかれらは甲府城を覘うでしょうし、狭い土地のことだからそう探索に困難はない
「しかし甲府のほうを一刻も早く」
しかし、交代する番士たちの会話を聞いて、一味が甲府で事を起こそうとしているらしい、という情勢がわかると、そのまま
まる一日、――万三郎は自分のことは考えず兄たちが甲府のほうへ手配するだろう、ということばかり考えていた。
「彼はきっと甲府へも来ますよ」
「私はそう信じますね、――甲府へもきっと来るに違いないと」
の兄弟と、中谷兵馬、太田嘉助らの四人が、甲府へ向って立っていった。
のではないか、なにが不服でそうどなるのだ、甲府へやらなかったのはおちづではない、この私だぞ」
「なんでも、はい、甲府御勤番にいらっしゃるとか、仰しゃってましたようです」
余人一団の侍たちは、江戸の紀伊家の者で、甲府で事を起こすために密行する途中であった。
先頭に「甲府城御用」という札を立て、裏金の塗笠に背割り羽折を着た
「かれらにとっては最後の機会ですからね、甲府の貯蔵所へたてこもって、挙兵の一戦に参加しようとして来た
たが、享保九年からまた幕府に直轄されて、甲府勤番支配が任命されるようになっていた。
支配である。甲府城は初め城代制、次に親藩の甲府家を設け、さらに柳沢家の所領となったが、享保九年からまた
守(忠諏)はそのときの甲府城支配である。甲府城は初め城代制、次に親藩の甲府家を設け、さらに柳沢家の
戸田下総守(忠諏)はそのときの甲府城支配である。甲府城は初め城代制、次に親藩の甲府家を
「甲府勤番は老中の支配である、そこもとはいかなる職権でさようなことを要求さ
「――甲府城の、用度品です」
甲府の城下町まで一里何町という、坂折村のはずれを一挺の駕籠
その山は「要害山」といって、甲府城下から、北へ一里二十町ばかりのところにある。武田氏が甲斐
そこは甲府盆地が山へと続く、深くきれ込んだ谷の奥で、敵は山上
明らかであった。そこで、休之助は珍しく慎重に構え、甲府城と連絡を取った。
証明するものだ。と思ったからであるが、果して、甲府城にも同じような通達が来ていて、支配が自分から援助を
だいたい甲府勤番は「大手」と「山ノ手」の両支配に分れ、各支配の下
尾根で、次の山頂に続いているが、そちらにも甲府城の人数が配置されており、敵の逃げ場もないし、隠れる場所
加波山は結城藩、要害山は甲府城、それぞれの責任で始末し、これまた、その跡も残らないくらい入念
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「うん、――仙台河岸の船源ってうちだよ」
「あら嬉しい、仙台河岸の船源さんなの」
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手紙の文句は簡単であった。「深川はまぐり町、井伊家下屋敷、河原中也といって訪ねて来い、徹」それ
深川の冬木河岸で、堀に沿った道には往来の人もなく貝殻まじり
「深川の蜆っ食いが洒落れたことをぬかしゃあがる、冬木河岸が誰の繩張りだろう
「深川の蜆っ食いだって、云やあがったな野郎」
「この野郎、深川っ子がどんなもんだか知らねえな」
「深川っ子は危ないのよ」
「あんた知らないのよ、半ちゃん、深川っ子の喧嘩って凄いのよ、あたし本所の二つ目で生れたから知っ
深川はまぐり町の、井伊家の下屋敷の中にある侍長屋の一軒で、
「鰯汁にけんちん鳥の叩きに深川、今日は蛤に葱まがあります、なにをあげますか」
深川はまぐり町の、井伊家の下屋敷では、情勢がやや動きだしていた
彼女はおおしくも決心した。万三郎には深川から使いがゆくだろう、また、無断で榊原を出ても、こっちの行先
頭直中も、この事を承知であって、だからこそ深川はまぐり町の下屋敷に、かれらの本拠を置かせたのであるが、
松下内記は承知した。徹之助は広小路で駕籠をひろい深川へといそがせた。
休之助はそう云って、深川の本拠を、浅草の橋場にある和泉屋の寮へ移したこと、日光街道に
半次は三日に一度ずつ、深川の井伊邸へゆく、午前十時ごろにでかけて、大抵は日の昏れる
「深川にある井伊家の下屋敷がかれらの本拠だとわかったから、逐い出し
此処は深川仲町の、松島屋という芸妓屋のひと間である。松吉という、その
六兵衛は深川八幡前に住んでいた。もう七十にちかい老人であるが、女衒と
その日、休之助は連絡する用があって、深川の井伊家下屋敷へいった。するとそこに、中谷兵馬からの手紙が
「深川のさる料亭で、月に二度ずつ日を定めて会っていた人間
「これからちょっとひと働きやるんですよ、深川の方面なんですがね、この、――いや、さきほどは失礼しまし
「おかげであにいはまた眼が見えなくなり、金杉からこの深川のこっくりさままで、五十日の余もお灸に通ったんだ」
「半ちゃんが深川のお屋敷へ知らせにゆき、あたしは残って見張りをしていまし
深川洲崎の升屋は、江戸における料理茶屋の開祖といわれて、しばしば
「深川洲崎の料亭へ、渡辺蔵人の使いとして、ゆかれました」
「あたし深川の仲町で下地っ子になったのよ」
「おめえは利巧だし、勘がいいから、うん、きっと深川一の名妓になれるぜ」
に土方か人足になるくれえがおちだ、そんな者が、深川で名うての芸妓なんぞに」
――深川一の芸妓になる。
沢野雄之助を呼んで、おちづを深川まで送り届けるように命じ、また斧田又平に、半次を向島の青山家下屋敷へ
「深川一の名妓になるんだそうだからな」
手に、大きな鳥籠を持っている、――それは、深川の井伊家にあったもので、中には七羽の紅雀が入って
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舟入り堀に沿った道を、浜松町の通りへ出て曲るとき振返って見ると、紀州家の侍二人は、
彼女はふらふらと浜松町のほうへ歩きだした。
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「麹町の家へいってみるか」彼はふとそう呟いた。
想像なのですけれど、お義兄さまは半年ほどまえから、麹町のお義兄さまと共同で、なにか調べものをしていらっしゃるようでした
もう少し待って、それでもつながこなかったら、麹町の兄のようすをみにゆこう、ことによると花田の兄にも不祥事
「それで、麹町のほうはどうなんですか、花田でもやっぱりなにかあったんです
だけである、が、「徹」という一字で、麹町の兄から来たものだということがわかった。
「では麹町のみなさんは」
麹町六丁目の花田家には、妻の幾代と、五歳になる松之助が
――麹町六丁目の花田だがね。
で教えたいが、今はあちらで御用があるそうだ、麹町七丁目に道場を持っていたことのある」
の末へかけて、彼の名はかなり弘く知られ、麹町七丁目の道場には、ひところ三百人あまりの門人が数えられた。
五月四日に、調書焼却のあった日の夜、麹町六丁目にある花田家で、二た組の祝言が行われた。
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って聞いてみろ、こっちは銀座から向うは芝、麻布、品川は大木戸まで、金杉の半次といえば知らねえものはありゃしねえ」
――知らせのあるまで、元船は品川沖から動かさぬように。
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おれが誰だか知りたけりゃあいって聞いてみろ、こっちは銀座から向うは芝、麻布、品川は大木戸まで、金杉の半次といえば知ら
「銀座に和泉屋次郎兵衛という両替商がある、そこの主人が甲野さんと碁友達
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「休之助は大久保加賀侯の邸内にいる、紀伊家の浜屋敷と堀を隔てた位置で、
寄せている、榊原は休之助の友人なんだ、そこで大久保邸の休之助と連絡をとることになっていたのだが」
牧田数馬 大久保家の臣
、浜屋敷の海手の動静を監視していた。――大久保家は井伊家がそうであるように、徳川氏譜代の名門であり、
このところずっと、彼は大久保加賀守の屋敷に隠れている。そこは紀州家の浜屋敷に接してい
は海手の監視に気をとられていましたが、大久保家の者の話によると、紀州から来た蜜柑を上屋敷へ送るの
「大久保家にいられなくなりました」
は内通者がいますね、われわれの中に、さもなければ大久保と此処と、ぴったり見当のつくわけがありませんよ」
筆頭の松平定信、若年寄の安藤対馬守、溜間詰の大久保加賀守、板倉左近らを説得、さらに水戸宰相治保からも援助の確約を
井伊家の小出辰弥、大久保家の牧田数馬も、藩主から褒賞されたし、甲野のつな、木島
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、案の定、その荷の大部分が紀尾井坂へはゆかず、千住から日光街道に向うのを認めた。
千住を出てから、その荷駄には紀州家御用の標が立てられた
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妹の友人が最近あの屋敷へ勤めに入ったのです、日本橋の袋物屋の娘で、妹とは仲の良い友達ですが、それが
「はい、よろしければ帰りに日本橋の家へ寄りまして、すぐお支度をするように手配を致します」
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姿が見えなくなるまで見送り、足早にあとへ戻って、館林へゆく街道へと道をそらした。
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松平伊豆守の中屋敷は、上野の不忍池から北へ三丁ほどいった処にあった。
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「浅草の橋場の奥で、もう真崎稲荷に近いところでございます、不便ですけれど
休之助はそう云って、深川の本拠を、浅草の橋場にある和泉屋の寮へ移したこと、日光街道に対する警戒や、か
渡辺は加波山からうまく逃げ、いまは江戸へ来て、浅草の裏町に隠れている、花田ら一味に跟け覘われているため、自分
「渡辺さんが江戸へ帰る途中で会い、そのまま浅草の裏に家をかりて、いっしょに住んでいます、申しおくれました
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来る計画もあるので、かよに万三郎を付けて、向島へと移らせたのであった。
此処は向島須田村で、青山大膳亮の下屋敷である。結城から帰って来てすぐ、
向島の青山大膳亮の下屋敷へ、珍しくつながあらわれた。
を深川まで送り届けるように命じ、また斧田又平に、半次を向島の青山家下屋敷へ伴れてゆかせた。
「だって向島の青山さまの下屋敷で、あなたははっきり仰しゃいましたわ、私とつなさん
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「じゃあ先にいって、両国橋のところででも待っておいで、この坊主はすぐに帰るからな、
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八重に詳しく訊いてみると、隅田川にも近いし、舟入り堀もあり、周囲は閑静な寮ばかりで、条件
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でその下屋敷を借りたのであるが、此処は前に綾瀬川の流れがあり、向うは畑や田や、雑木林などの、うちわたして
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「あたし永代橋のところであげて頂きますわ」