ひとごろし / 山本周五郎
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喚きかけた、「きさまそれでも侍か、きさまそれでも福井藩の討手か」
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であった。将軍家の上洛なら東海道であろう、こんなに遠い加賀のくにで、往来の者を警戒するなどとはばかげたことだ。そう云ってあざ笑う
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は福井の松平、鯖江に間部、勝山に小笠原、敦賀に酒井、大野に土井の五藩があった。けれども「越前家」とひとくちに
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藩の名を捜すのは困難ではないだろう。当時の越前には福井の松平、鯖江に間部、勝山に小笠原、敦賀に酒井、大野に
は人殺しです」と彼女は昂軒を指さして叫ぶ、「越前の福井で人を殺して逃げたんです、いつまた暴れだして人を殺す
な口ぶりで云った、「――この気候では、越前まで首を持っていっても腐ってしまう、とすれば、首を持って
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――延享二年十月五日、江戸御立、同十八日御帰城。三年丑八月、将軍家重公御上洛
もきびしくはあるが本筋だった。彼は三年まえ、江戸で藩公にみいだされ、二百石十人扶持で国許へ来たが、三十一歳で
は門弟の一人に向かって、これから北国街道をとって江戸へゆく、逃げも隠れもしないから追手をかけるならかけるがよい、と云い残し
、おれは逃げも隠れもしない、北国街道をとって江戸へゆくと云い残した、討手のかかるのは承知のうえだ、きさまが討手なら
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越前には福井の松平、鯖江に間部、勝山に小笠原、敦賀に酒井、大野に土井の五藩があった。けれども「越前家」と
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話の内容にはさして関係がないから、ここでは福井藩ということにしておきたい。「偏耳録」によると、
。けれども「越前家」とひとくちに呼べるのは、まず福井の松平氏だと思うし、たとえそうでないにしても、話の
を捜すのは困難ではないだろう。当時の越前には福井の松平、鯖江に間部、勝山に小笠原、敦賀に酒井、大野に土井の
「おい、ちょっと待て」とその声は云った、「きさま福井から来た討手じゃないのか」
六兵衛は自分のみじめさに涙ぐんだ。これからどうしよう、福井へは帰れないし、重職から与えられた路銀には限りがある。どこ
は叫んだ、「その男はひとごろしだぞ、越前福井で人を斬り殺して逃げて来たんだ、いつまた人を殺すかわから
喚きかけた、「きさまそれでも侍か、きさまそれでも福井藩の討手か」
だ」昂軒は道の上へ唾を吐いた、「福井にはきさまのような卑怯者しかいないとみえるな」
に隠れもない臆病者だ、あんな男を討手によこすなんて、福井の人間どもはどういうつもりだろう」
軒は呟いた、「あいつはたしか双子なんとかいう、福井家中に隠れもない臆病者だ、あんな男を討手によこすなんて、福井の人間
道の上から「人ごろし」と叫ぶ。その男は福井で人を殺して来た、いつまた人を殺すかもしれない、その
です」と彼女は昂軒を指さして叫ぶ、「越前の福井で人を殺して逃げたんです、いつまた暴れだして人を殺すか
「福井へ帰ったらそう云いましょう」と六兵衛は逃げ腰で答えた、「きっとみんなよろこぶ
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。そう云ってあざ笑う者もいた。――昂軒が金沢城下を避けたのは、そんな騒ぎに巻き込まれたくなかったからであろう。
へは寄らず、北国街道をまっすぐにあるいていった。金沢城下は騒がしく、なにやらものものしい警戒気分が感じられた。往来の者の話
仁藤昂軒は金沢へは寄らず、北国街道をまっすぐにあるいていった。金沢城下は騒がしく
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。高岡は富山松平家十万石の所領であり、城下町の富山よりもおちついた、静かな風格のある町だった。昂軒は本通りの
ところへ来たとき、意外なことが起こった。高岡は富山松平家十万石の所領であり、城下町の富山よりもおちついた、静かな
役目を忘れた、などとは思わないでいただきたい。現に富山城下へ着いたときのことだが、昂軒が宿屋へはいろうとするの
だが富山の言葉はもっと訛りがひどいので、正確なところは解釈しにくかったけれど
富山松平藩から通報でもあったらしく、到るところに番士が見張っているし
越中富山から雄山峠を越えて、道は信濃へはいる。中には天竜川を