五瓣の椿 / 山本周五郎
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、雲介舎弥太夫と号していた。それは、箱根へ湯治にいったとき、駕籠舁から息杖を買って帰り、その杖に
の病気が重いと知っていながら、そんな人と平気で箱根へゆくなんて」
あたしが帰ったあと、二人はまた飲みながら相談をし、箱根へゆくことにきめたのだ。おしのはひらいた手をぎゅっと握り緊め、
、おっ母さんはあんな子供のような人を伴れて、箱根へ遊びにいったんじゃないの」
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のこともわかった、歴とした大商人の娘で、本郷のほうに小間使と二人別居しているんだ」
を病むな、――とにかく、一昨日の晩おれは、本郷のその家へいっしょにいったんだ」
「お供を呼びましょう」と菊弥が云った、「本郷へいらっしゃるんでしょ」
「本郷なんてやぼなところじゃあないさ、が、これはまだないしょないしょ」
押えるほうが先だと思い、そのまま辻駕籠をひろって本郷へとばした。
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「おれは八丁堀の青木千之助という者だ」
「おれは八丁堀の青木千之助という者だ」と彼は男に云った、「そのほうこの娘
八丁堀の組屋敷へ帰る途中、青木千之助はしきりに、後手を取った自分のふがいなさ
いそぎ足になり、かいぞく橋の袂で辻駕籠をひろうと、八丁堀へいそがせた。
そう思って八丁堀へ帰ると、米沢作馬という同心が待ちかねていて、「また椿の
はもう一と膝前へ出て声をひそめた、「八丁堀の青木という与力を知ってますか」
青木千之助は八丁堀の役宅で、溜っていた書類の整理をしていた。朝からの
女中に行燈の火を入れさせ、八丁堀へ使いをやるように命じた。座敷へはいれなかったので、女中はなに
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、「大丈夫だ」と答えていた。橋を渡って小泉町から亀沢町にかかったとき、喜兵衛がおしのの名を呼んだ。
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喜兵衛は話した。――彼は川崎在の農家で育った。いまでは兄が家を継ぎ、村でもかなり
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「向島です」と佐吉が云った、「長命寺の下のところですよ、こっちのほうがいいと思いましてね」
が茂っていて、じかに船は着けられないが、長命寺の下に当るひとところだけ水が岸まで深く、土堤へすぐに着けることができ
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天保五年正月二日に、本所の亀戸天神に近い白河端というところで、中村仏庵という奇人が病死
から、子供のところへ帰っておやり」と云った。本所の業平におまさの弟がおり、彼女はそこに子供を預けてあった。
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その家は東両国の橋詰で、相生町の河岸にあり、裏は隅田川に面していた。それは「丸梅」の
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「なんど訊くんだ、昨日の午さがり江戸へ着いて、ゆうべは三番町の織田さまの仲間部屋へ泊り、今日の
もこらえ性がねえのに驚いてるんだ、なにしろすぐにまた江戸を売らなきゃあならねえ始末なんだから、――ときに五十両はいつ
だけが精いっぱいという生活に見切りをつけ、十三の年に江戸へ小僧に出た。――下谷御徒町の下総屋という薪炭商に奉公し
「おめえはもう江戸にはいられねえ、もう火が足もとまで来ちゃってる、どうしたって土地を
はこぼした、「おめえは金はずいぶん持ってるらしいが、江戸をずらかるとすれば旅切手も要るし、女一人よりも夫婦者のほうが
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家並はすっかり灯がついていた。――その船宿は佐久間町の河岸にあり、さして大きくはないけれども、階下に六帖と八帖、
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こんどの家は道灌山の下で、大きな植木屋の隠居所であった。それは、佐吉が捜した
――また、道灌山の下に「植茂」という植木屋があり、その隠居所におまさという
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おりた彼は、そこでべつの駕籠をみつけ、こんどは神田明神下まで乗った。駕籠をおりて同朋町の通りを歩いてゆくと、左側
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ことができるのは、宿屋のほかに新吉原、品川、内藤新宿、板橋の四カ所だけである。しかしそれは表向きの話で、時と場合
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「初めて会ったのは根岸の古梅庵だ」と彼は話していた、「あれは二月下旬だっ
となくへんだよ、十七やそこらのお嬢さんが、根岸の古梅庵へめしを喰べにゆくというのもおかしいし、瓦町の家を
のである。毎月一両という手当で縛り、いまでは根岸に住んでいて、十日に一度ずつおしのを「みまい」といって
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「ははあ、牛若は鞍馬へ御帰館ですか」
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その家は東両国の橋詰で、相生町の河岸にあり、裏は隅田川に面していた。それは「丸梅」
両国広小路から川下のほうへ、七、八町も寄っているだろうか、階下の人たちの
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二月になってまもなく、下谷へ用達にいった帰りに、徳次郎はまた明神下へ寄ってみた。する
つけ、十三の年に江戸へ小僧に出た。――下谷御徒町の下総屋という薪炭商に奉公したが、半年ばかりで暇を
もらうことにきまっていたという。この五月に、下谷御徒町へ店を出したが、それには実家から多額な補助があった
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「土堤の向うに奈良茶の店があるんです」と彼は炬燵へはいりながら云った、「
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場所は深川の門前仲町「岡田」という料理茶屋で、時刻は午後四時と書い
折ったのは蝶太夫に頼まれたからだと云い、深川の門前仲町にある「岡田」という料理茶屋を教えられた。そこで
「瓦版が出たから知ってるだろうと思うが、一度は深川、二度めに浅草、どちらも殺されたのは男で、下手人
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天保五年正月二日に、本所の亀戸天神に近い白河端というところで、中村仏庵という奇人が病死し
医者が帰るとすぐに、おしのは亀戸の寮へ使いをやった。母に来てもらいたい、ということづてを
ひろった。むろん稽古納めにゆくのではない、まっすぐに亀戸の寮へ走らせた。途中で雨が降りだし、気温も低くなり、
、おしの以外に父の世話をする手がないため、亀戸までいって来るような暇はまったくなかった。
おしのは夜明けを待って、亀戸へ使いをやった。医者の横山参得は首を振った。
、いつものように祝儀の支度をさせた。――亀戸へ使いにやったのは、年上の女中のお孝であったが駕籠で
「亀戸の寮のまわりにはあるけれど、こんな町なかではむりよ」おしのは微笑
当っている。もし伊勢久で帰っていたら、すぐに亀戸へ迎えをやるつもりであったが、訪ねてゆくとおとよはいた。
それは」と佐吉は吃りながら云った、「たしかずっと、亀戸の寮のほうにいるとかっていう、あっしはよく知りませんが」
「菊太郎は亀戸のお宅へ引取られていました、亀戸へ帰るのを待つよりしようがないでしょう」と東蔵は云った、「ご
「菊太郎は亀戸のお宅へ引取られていました、亀戸へ帰るのを待つよりしようが
たおしのは、徳次郎にわけを話し、友吉という小僧を亀戸の寮へやった。
亀戸へは徳次郎がいった。戻って来た彼はおしのを呼んで、
わ」おしのはけんめいにとめようとした、「そんな躯で亀戸へゆくなんて、お父つぁんが苦しいおもいをするだけじゃないの」
「亀戸のほうの寮で、両親と娘が焼け死んだ、慥かそんな事だったな
日の夜なかだったわね」とおしのは呟いた、「亀戸の寮の裏、――生垣のところから、燃えあがる火を見ていた
「亀戸の寮で、焼け死んだんですって」
亀戸の寮のことから、屋形船の佐吉のことまでは、もうおしらべ済みで
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をしていました、すると六日の午すぎに、日本橋のお店から旦那を戸板にのせて、おしのさんがいらしったんです、
派手づくりで遊び好きなところは母とよく似ていた。日本橋通り二丁目の、吉井屋の妻女もそのなかまであるが、住居が近い
あんたがあまりこの人のことで悲しがるから教えるのよ、日本橋よろず町に丸梅っていう袋物問屋があるわ、その店の主人の源次郎と
ておこう、そう思って彼は駕籠をひろった。――日本橋の浮世小路と呼ばれるその町内でも、吉田屋は一風変った料理茶屋で
、大川端町で「海石」という料理茶屋を、そして日本橋平松町で「豊島屋」という宿屋を経営していた。いかがわしい治療の
「家は日本橋石町で、伊勢屋という紙問屋をしております」
ていた。伊勢屋の娘は名をおいせといい、日本橋槇町の吉野屋という、糸綿問屋へ嫁にいっている。もちろん現在
を見、すぐにまた源次郎を見た。――男は日本橋よろず町の袋物問屋「丸梅」の主人で源次郎。年はちょうど四十だと
その家は日本橋ばくろ町の「伊賀正」といって、旅館と料理茶屋を兼ねて
悪く云い、おまえの本当の父はこの人ではない、日本橋よろず町の丸梅の主人で源次郎という人だ、とうちあけたのです」
理由と、自分が不義の子であり、じつの父は日本橋よろず町の「丸梅」の主人、源次郎だということを申上げるつもりだ、
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おりた彼は、そこでべつの駕籠をみつけ、こんどは神田明神下まで乗った。駕籠をおりて同朋町の通りを歩いてゆくと
家の裏手のほう、神田明神社のあるほうで、しきりに鶯が鳴いていた。まだ幼ない鳥
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広小路を横切り、薬研堀から旗本の小屋敷のあいだを、住吉町のほうへぬけていった。
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に常磐津三千太夫というなかまがあり、そこで訊いて、浅草の福井町までいっしょにいってもらった。――福井町一丁目の横町で、
――浅草みよし町の「ひらの」で待つ。
すると、蝶太夫が殺されてから七日めに、浅草みよし町の「ひらの」で、得石もまた若い女に殺された。
知ってるだろうと思うが、一度は深川、二度めに浅草、どちらも殺されたのは男で、下手人は二度とも若い女
清一は浅草瓦町の横町に自分の家を持ち、ばあやと二人でくらしていた。
「それで浅草の浄念寺へ、蘭方の医者とかってのを伴れてゆき墓を掘り起こし
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おり、縁側へ出れば広い川口と、佃島をまぢかに、品川沖までの海が眺められる。「海石」はその眺望と、海の
を泊めることができるのは、宿屋のほかに新吉原、品川、内藤新宿、板橋の四カ所だけである。しかしそれは表向きの話で
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、十三の年に江戸へ小僧に出た。――下谷御徒町の下総屋という薪炭商に奉公したが、半年ばかりで暇を取り
ことにきまっていたという。この五月に、下谷御徒町へ店を出したが、それには実家から多額な補助があった、
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ができるのは、宿屋のほかに新吉原、品川、内藤新宿、板橋の四カ所だけである。しかしそれは表向きの話で、時と
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に失礼ですが」と男はちょっとひらき直った、「私は蔵前の札差の伜で名は清一、親は香屋忠兵衛といいます、これは
、「悪い事をしない限り恐れるこたあありゃあしないさ、蔵前の店へいってごらん、ああいう侍がよく金を借りに来て、
二千両の持参金付きを嫁に貰えば、大手を振って蔵前の家へ帰れる、おれもそろそろ身を固めてもいいころだからな」
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た、「お倫さんが本当に承知してくれるなら、浅草橋の叔父のところへいって話をする、嫁を貰って身を固めると
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「向島です」と佐吉が云った、「長命寺の下のところですよ、こっちの
で下さい」と云い、草履を持って土堤へあがった。向島の汀は浅瀬に葭が茂っていて、じかに船は着けられない
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「江ノ島へいらしったんですって」
ほかお二人ごいっしょに、往き帰りとも七日のつもりで、江ノ島の弁天様へおまいりにいらしったんだそうです」
、二十九日に」おしのはぼんやりと訊き返した、「――江ノ島へだって」
「おっ母さんはあたしを騙したのよ、あのときもう江ノ島へゆくことはきまっていたんだわ」
「吉井屋のおばさんといっしょに、うちのおっ母さんと江ノ島へいらしったんじゃないんですか」
「おそのさんは江ノ島へいったんですって」とおとよのほうで訊き返した、「そんならきっと
するんじゃないから正直に云って、東蔵っていう役者と江ノ島へいったこと知ってるわね」
しんぞさんのお世話になっていたようですから、もし江ノ島へおいでなすったとするとその菊太郎と」
あたし、母を伴れて帰りたいんですけれど、誰かと江ノ島へいったということで」
いらしったのは菊太郎という子役で、いったさきは江ノ島ではなく箱根です」
をした、「あたし伊勢久のおとよさんやなにかと江ノ島へ」
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ないか、少し休もうか、などと訊いたが、喜兵衛は両国橋を渡るまで、「大丈夫だ」と答えていた。橋を渡って小泉町
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つみえなかった。南隣りは地着きの農家、北側は京橋のなにがしとかいう老舗の寮、どちらも広い庭と樹立があるし、
窓の外はすぐに三十間堀であった。ここは京橋水谷町だから、窓から見ると堀を縦に一望するわけで、ひき汐な
得石は外へ出ると、京橋まで歩いて駕籠をひろい、「永代まで」と云って乗った。
小間使を伴れて診察を頼みに来た、――私は京橋で医者をしているんだがね」
の者ではない」と彼は答えた、「私は京橋水谷町の医者で」
あった。それは、佐吉が捜したもので、おしのは京橋の呉服屋の娘、病後の保養にといって借り、佐吉は店のかよい
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駕籠を永代橋の袂でおり、得石は河岸の道を右のほうへいった。
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「ひらの」は隅田川に面した料理茶屋で古い平屋造りではあるが、かなり広いらしく、松を
は東両国の橋詰で、相生町の河岸にあり、裏は隅田川に面していた。それは「丸梅」の源次郎が指定した家で
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いたが、「いいわ」とやがて云った、「あんた神田川の船市を知っているわね」