エリザベスとエセックス / ストレイチーリットン 片岡鉄兵

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スコットランド

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それが失敗に終わった結果、ノウフォークのみじめな公爵――スコットランドの女王マリーとの結婚を夢見たあの貧弱なホワアドは、首を断たれた

のだった。フランスとスペイン間の力の平衡、フランスとスコットランドとにおける党派争いの均衡、どっちつかずのオランダの運命、それらが

密使はヨーロッパの隅々に送られた。そして、手紙は、スコットランドから、フランスから、オランダから、イタリアから、スペインから、ボヘミヤから、王侯たちが

―もっとも、じつは半分のまじめさであったが――スコットランドの女王マリーを、秘密に始末する道はないものかと考えたほどである

なにか精力の捌け口にかなうものはないかしら、そうだ、スコットランドのゼエムス王がいる! あのおかしな若者は、またしても小細工をやりおっ

てわが身を陽気な憤りに駆りたてながら、ペンを執ってスコットランドの親類に手紙を書いた。いかにも相手を靴のなかまで戦慄させようと

数年前から、エセックスはスコットランドのゼエムス王と連絡があった。そしてマウントジョイ自身は、アイルランドの役の最中

あったことにも、疑いの余地はない。使者は、スコットランドに向かって発せられた。そしてアイルランドの統治に出発したマウントジョイの心中に

ジョイはすでに彼を見捨ててしまったが、彼はいまもスコットランドの王と内通を続けながら、その方面からなんらかの救助のくることに

腹心を集めて協議した。彼らには、このうえスコットランドの密使マアの到着を待っているのは無謀なことに思われた。指導力

た。たちどころに、過去十八カ月に渡る陰謀の全貌が、スコットランドのゼエムス王との密通と、マウントジョイの暗々の加担に係る件と併せて

事件の告発は、いかなる体系のもとになすべきか? スコットランドに関する犯罪事実はなんであれ、いっさい触れないこと、および罪のマウントジョイに

てはいけない? あの男をして、いくらでもスコットランドのゼエムスと密通せしめよ、彼女は取り扱う術を知っている! 彼と角力

てもっとも重大だった危機が、彼に襲いかかってきた。スコットランドからマア伯爵がロンドンに到着したのである。ゼエムス王の使者は、せっかく

のかを見抜いていたのである。自分は心からスコットランドの王様のお力になりたいと思っているものである、そういう話を

んかと、セシルが聞いた。答えはなかった。「スコットランドの王さまで宜しゅうございますか」と彼が暗示すると、女王は合図を

ている物を夢見る。それは二つの国家(イングランドとスコットランド)の結合であり、新しい支配者たちの勝利であり、――成功と権力と

パリ

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、あなたが市民に期待し希望された助力にある。パリのバリケード戦の日に、ギイズ公が胴着を着、長靴下を穿いて、

ペンブルックシャー

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送り、遠い西方の荘園をあちらこちら移り住んだものだった――ペンブルックシャーのランフェイや、またはそれよりも、スタホウドシャーのチャアトレイなどである。チャアトレイには

エセックス

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燃え上がった。ただ一人の人物、――ロバアト・デヴルウ、すなわちエセックスの伯爵という一個の人物を化身として燃え上がった。――古代の

の侯爵、ロオド・ヘラアズ――ボウアン家、リバア家等々、エセックスの家系の根原には、それらの名門が群をなしている。先祖の

エセックスについては、彼女は続けて書いている。「エセックスがもし艦隊のなかに今いるならば、安全に宮廷に送り届けらるべきこと、

一万エーカーの彼の土地を経営するためである。そこでエセックスには競争者の影さえなくなった。

しか彼女は怒らなかったという事実にも表われている。エセックスは理想的な嫁選びをしたもので――相手はサア・フィリップ・シドニイ未亡人

一方エセックスもなんの躊躇もしなかった。彼は大喜びでこの計画に飛び込んだ。広範囲

た。たとえ公務へ伝えた収穫が不確かであっても、エセックスに伝えたものには、明瞭な収穫が示されているという調子だった

一五九五年の十月、フレミング氏が任命され、エセックスは敗北した――二重の敗北だった――彼自身の威信の失墜

役にたつ質物にならぬとも限らないのである。エセックスは、彼のうえに友情の目を注ぎ続けた。なぜなら、伯爵は反

ことを望むようになった。そのセシルの態度だけで、エセックスを好戦的ならしめるに充分だった。しかしセシルに反対したいためばかりに動いて

も明らかに――スペインを! そのようにして、エセックスはエリザベス朝の新しい国粋派の中心人物になってしまったのである。宗教的で

エセックスこそ、その新精神の権化だったのである。彼は決定的にスペインをたたきつける

だった。せっかくおさまりかけていたスペインへの敵愾心は、エセックスの思う壺にはまって、再び全国にわたり熱狂的に燃え上がった。ロオペがユダヤ人だっ

一番よく合うのは、戦争のない戦争である。しかし、エセックスにとって、そんなものは汚辱であった。またスペインに国の北境を脅かさ

ない。ロンドンで愴惶として徴募された兵は、エセックスの指揮下に、全速力でドオヴアに送られた。運がよければ、これで

遠征停止の女王の命令書を届けた。例によってエセックスは精力的に喚き愬えたが、そのためにドオヴアとロンドンの間を伝令たちが

ように発令した。聖ポウル寺院で説教が行なわれ、エセックスが、古代のもっとも偉大な英雄たちに比較され、「彼の正義と、

へ入港したという情報がはいったのである。もしエセックスの熱心な提議が採決されていたなら――彼が主張したよう

大艦隊の出動準備は、まさに整わんとしている。エセックスは海岸にあって、最後の軍備を指揮していた。女王へのお

ことは、最初から気が進まなかったのだ、それをエセックスたちに無理やりせがまれて許した結果が、こんなことになってしまった。彼女

、宮殿内は、雷雨で蔽われたようであった。エセックスに帰ってもらうことが、誰にとっても最重要のこととなった。ハンスドン

この早合点の噂は、エセックスの敵によって、あらゆる所で繰り返されたが、エセックスは依然として

である。彼は訣別の挨拶にエセックスを訪問した。エセックスは、陰気な鄭重さで迎えた。彼はスペインとイングランドの間に平和が

染料がインドから到着した。セシルは、この全貨物をエセックスに五万ポンドの値で払い下げられてはどうかと提議した。目方一斤

闘争のうちに、一週間二週間と経っていった。エセックスの切り札はオランダ問題だった。われわれは、アンリがわれわれに為したと同じ裏切り

すでにウォンステッドの荘園に引き籠もったエセックスは、悩乱と動揺と不幸にまみれた男だった。ときどきは、いまにも

のだった。フランシス・ベエコンはもう何カ月も前から、エセックスの一団から逃げている。アントニイは、まだ熱烈な帰依者だった。ヘンリイ・

アイルランド総督に付与すべき権限につき猛烈に論争した。エセックスの高揚した意気は徐々に、憂鬱に消沈し始めた。悔恨が胸を

当日、デンマアク大使のために大夜会が開かれ、女王とエセックスは、群臣の前で、手に手をとって踊った。はやくも流れた

エリザベスには、心配事がたくさんあった――アイルランド、エセックス、戦争か平和かの永遠の課題――だのに彼女はそれらのいっさい

アイルランドについては、もう彼女は馴れすぎてしまった。エセックスは、あんなにいらいらしているが、要するにアイルランド総督として、一生懸命ただ

燃え上がったが、そのあとで再び鎮静に帰した。ついに、エセックスのアイルランド総督任命に署名した。三月の終り、彼は、ロンドンの市街

熱心な総督はけっして選びえなかったろうということである。エセックスにとって、アイルランドに勝利することが死活問題であるのは、明白であっ

な正確さで、情勢の的をつくものだった。もしエセックスがアイルランドで勝てば、彼はイングランドでも勝つこととなる。だが、骰子

におけるイギリス軍参謀会議は、後者の作戦を採り、エセックスまたこれに同意した。だが、そう決めるなら、小敵の処理に、あまり

ず、受け取るものは手紙につぐに手紙をもってする、エセックスの怒りに満ちた愚痴と絶望の喚きばかりなので、いまは腹にある

この手紙を突っ返し、なんのことづても送らなかった。アイルランドでエセックスに騎士の称号を与えてもらったジョン・ハリントンが、ちょうどこのとき、帰還し

とき、逮捕の危険に脅かされている。そして彼は「エセックスの浜で坐礁する」欲望はすこしも持たなかった。彼の良心にも、

書を送った――その手紙で、彼はゼエムスに、エセックスのためにここでなんらかの行動を取ってもらいたいと頼んだので

ができるだろうことを伝えようというのだった。この計画にエセックスの同意があったことにも、疑いの余地はない。使者は、スコットランドに

、その春、サザンプトンがアイルランドにやってきた。それがエセックスからマウントジョイあての信書を託する好機となったのである。手紙は、ゼエムス

は、爾今王室に属せらるという声明が出た。エセックスに与えた打撃は、落雷のごときものだった。デエバアスもすでに、マウントジョイの

なぜなら、エセックスは、いまはすでに身を絶望的な行動に投げ出したにちがいないからだった。

は、市民の魂を慄え上がらせた。正午になると、エセックスとその手勢は、聖ポウル寺院の前まできた。しかし、市民動揺の徴

ような、あっけに取られたような顔が覗いて、エセックスを見上げているのだった。聖ポウル寺院前の交叉点で、一場の演説

似たる嘘つぱちの危険と被害を口実として、エセックスの伯爵はロンドン市中に行進したのである」しかし現実には、「

エセックスはなんの愬えも発しなかった。涙の哀訴がなんの役にたつであろう

は、助けられることとなった。まだ若いのだし、エセックスへの奉仕もロマンチック以上のものではなかったというのが、彼の不埒

ひき起こさなかったとはいえ、政府はいささか寝醒めが悪かった。エセックスは政治的陰謀の犠牲者だったのではない。彼は真に恐るべき謀叛人

、次の議会までにくる」と叫び返した。特許権――エセックスの甘ブドウ酒の専売権もその一つであったが――それはエリザベスの

ロンドン

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あるが――すべては平和に滑らかに進行している。ロンドンをめぐる公園や森のなかの、長い散歩や乗馬が続いた。そして夜は

、どんな方法で理解させられるだろう。その経糸に十六世紀ロンドンの汚物、野蛮性を習性として持ち、その緯糸に「タンバアレン」の光彩

の大胆さを持っている。ある木曜日の晩、ウマでロンドンをひそかに発足すると、土曜日の朝は、プリムスに着いていた。二百二十

で彼は、エリザベス朝の初頭にイギリスに亡命して、ロンドンで医術を開業した。医者は大成功だった。セント・バアソロミウ病院の常番

医者となった。レスターもウォルシンガムも彼の患者だった。ロンドンに滞在すること七年の後に彼はついに、女王の侍医頭という、

が告白するはずはない。彼は厳重な監禁のもとにロンドンに送られた。係官に取り調べられるまえに、控室にしばらく待たせられた間

、チノコはドオヴアをのこのこ渡ってきた。すぐ逮捕されロンドンに送られた。身体検査をすると、巨額の金の為替券と、フランダース

報告だった。城砦が陥らなければ、まだ遅くはない。ロンドンで愴惶として徴募された兵は、エセックスの指揮下に、全速力で

てエセックスは精力的に喚き愬えたが、そのためにドオヴアとロンドンの間を伝令たちが幾往復かする間に、スペイン軍は城砦を占領し

、ダマスク絹にポルトガルのブドウ酒、そんなものが突如としてロンドンに現われると、流言蜚語が盛んに飛び始めた。枢密会議の席上で凄まじい論争

て行なおうという議が持ち上がったとき、女王はその祝祭はロンドンに限るように発令した。聖ポウル寺院で説教が行なわれ、エセックスが、

なぜなら、そのような振舞いが、ロンドンという神も仏もない世界であったとて、すこしもふしぎではないと

べし。しかして、敵の艦隊を撃破した後に、ロンドンに攻め上るべし。無敵艦隊は帆を揃えて北上した。だが、シリイの

だった。そして屈辱と憤怒にまみれながら宮廷から退ると、ロンドンの東郊なるウォンステッドの別荘に引き籠もってしまった。そこから、彼は女王に

に、アンリ王は、ド・メッスを特使として、ロンドンに派遣したのだった。

て乗船したばかりのとき、驚天動地の一ニュウスが、ロンドンに到着した。五千の軍隊と三十八隻の快速艇になるスペインの一艦隊

はこれだぞという意味だった。一刻の躊躇も示すロンドンではなかった。政府の協議は簡単に一致した。あらゆる方向に命令が

を失い、はなはだ不遇のように見える。とくに清教徒的なロンドンの市が、宮廷に敵意ある気勢を見せながら、再起せぬエセックスに見当はずれ

総督任命に署名した。三月の終り、彼は、ロンドンの市街を、市民の歓呼のうちに通過して、外征にたった。大衆

どんなにたくさんの市民を、わがロンドンは吐き出すでございましょう――

日ダブリンを出帆した。二十八日の早朝、舞台はロンドンにウマを乗り入れていた。

宮廷は、当時なおロンドンから約十マイルの南、サレイなるノンサッチ離宮であった。その間に、テームス

計画を実行していった。翌る一日は、なにかロンドンに動揺の徴候はないかと、情報を待つだけにすごし、なにもないと

冒険は慎んだほうがいいと考えた。彼はすでに、ロンドンに到着したとき、逮捕の危険に脅かされている。そして彼は「エセックス

年)の初め、エセックスはゼエムス王に手紙を送って、ロンドンに密使を送られんことを乞うた。それによって、協同動作の段取りを

。ゼエムスは、今度は賛成した。そして、マア伯爵にロンドンゆきを命じ、同時にエセックスに、激励の手紙を送った。この手紙は、

。そしてエセックス邸に帰って、彼は伯爵に、ひそかにロンドンを落ちて、ウェルズに赴き、そこで反乱の旗をあげることを進言した

、荒い身ぶりと、とりとめもない喚きで、伯爵のためにロンドンをたち上がらせようと努力している。

は市民のあのような支援をえた。この点あなたはロンドンで(神よ、感謝しまつる)失敗されましたがね。ところで、

危機が、彼に襲いかかってきた。スコットランドからマア伯爵がロンドンに到着したのである。ゼエムス王の使者は、せっかくきてもイギリス宮廷

イングランド

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始めた。何世代もの間、これらの貴族がすなわちイングランドであって、彼らを除いてはイングランドの幻想さえ浮んでこないこと、

の貴族がすなわちイングランドであって、彼らを除いてはイングランドの幻想さえ浮んでこないこと、現代においてなお然りである。

エセックス伯爵の称号を設定された彼の家は、中世イングランドのあらゆる名族の血脈を引いている。ハンチンドンの伯爵、ドウセットの侯爵、ロオド・

た。七歳のときに父が死に、この少年は、イングランドにおけるもっとも有名にしてもっとも貧しい伯爵を継いだのであった。が

ほうがいいかもしれぬが――エセックスは、無疵でイングランドに帰還した。そのときから彼は、宮廷への精勤人となった。

である。最初の時期は一種の準備期であって、イングランドを確固たる国家となし、大陸から独立した存在として、国内の全

た。一代を通じて、バアリイの広汎にわたる配慮がイングランドを支配する最高の勢力であった。バアリイ以下の重臣はみんな歴史のうえで

のか、なぜまた、旧教徒を打ち破ってスペイン帝国をわがイングランドの統治の下におくための善き戦いを闘わなかったのであろうか?

であった。彼女がそのふしぎな行動をなし遂げたとき、イングランドには文明というものがあった。すなわち、彼女は時の運に恵まれつつ

ない狡猾な、レシントンのメートランドは、軽蔑の口調で、イングランドの女王は恒の心なく、決断力のない臆病者だといい、そして彼は、ゲーム

には愛撫され、ときには放っておかれた。イングランドの王座の相続者であったと思うと、次の瞬間には単なる私生児と

権が、降るように彼の一身に集まった。そして、イングランドとアイルランドとの両方に、大きな領地を所有する身分となり、錫鉱山の経営者

ほとんどスペインとカトリック連盟に征服されようと喘ぎながら、懸命にイングランドの救いを求めてきたのである。数カ月間の逡巡の後に、エリザベス

、その最後はロマンチックに飾らなければならぬ。そこで、イングランドに帰る日がついにきたとき、彼は古めかしい騎士道の身ぶりをもってそれ

である――司法官――国家の高官――親父と同じイングランドの大法官職も目の前にぶら下がっているではないか。貴族階級!

のである。彼は決定的にスペインをたたきつけることにより、イングランドの偉大さを確立すべきであった。そのような企業にとっては、

物を結びつけて考えてみるがよい。フィリップ王がもう一度イングランドの女王を暗殺しようとしている、ということがおのずから明らかとなろう。訊問

神の栄光と保証とを、いよいよ大ならしむるために、イングランドの血の最少を流さしめ給え。この熱き願いに、神よ、祝福の御

の意見は誰の支持するところともならなかった。ただちにイングランドへ凱旋することに、軍議は一決したのだった。キャデイズの市民たちから

一ページも読みはしなかったであろう。おそらく、勝ち誇ってイングランドへ帰る伯爵の胸のなかの気紛れは、思いがけもない憂愁にふと沈み込んだで

エセックスがキャデイズの港を出帆した同じ日に、イングランドではあるもっとも重大なモメントが完了されたのだった。エリザベスが、ロバアト

も人臣の位を極めた人、大きな仕事を果たして、イングランド最高の伯爵ソウルスベリとなった人を見るのみである。

にあるといってよかったからである。エセックスがまもなくイングランドの真の支配者になることを邪魔する者があろうとは、想像もされ

イングランドを勝利の輝きに満たして、

「エッセイ」で占められている。――エッセイとは、イングランドでこれが最初の言葉だった。

のお別れの挨拶はすでに済んでいたが、それからイングランドを発つまでには、まだ二週間あった。いましばしの別れとなって、

矜持、失望、休息欲、復讐欲。彼の前にはイングランドの女友だちがすっと立っている――一つの恍惚たる眺めであった

向かったという情報がはいった。機会はきた、憎々しいイングランドは、開けっ放しの無防備のまま、彼の目の前に横たわっている。彼

ていた。命令書に曰わく、彼の艦隊はまっすぐにイングランドに進航すべし、ファルムスを襲撃し、その地を占領すべし。しかして、

、そればかりか、莫大の費用を要したのみならず、イングランドを外敵侵略の危険に晒したという彼のお手がらの申開きをしてくれる

しかし、それを決意する前に、二つの同盟国――イングランドとオランダの意を打診する必要があった。これらの同盟国を説いて、

に知れわたった。十二月の二十八日に、女王は彼をイングランドの元帥伯に親補したのである。多年の間、元帥伯の官は

エセックスは、陰気な鄭重さで迎えた。彼はスペインとイングランドの間に平和が可能であろうとは信じない。それに、そんな商議に一役

は、またしても小細工をやりおった。ゼエムスが、イングランドの王座の相続権を主張して、大陸の諸宮廷に使節を送っていると

侍史の身の上だった。彼女は急使を派して、セシルがイングランドを離れることを差しとめた。だが、彼の船はすでに出帆していた

そのころセシルはフランスで、あたかもド・メッスのイングランドにおけるがごとく、完全に失敗していた。彼は、なにひとつ

アイルランドに対比せしめて、次のように指摘した。イングランドの財源を枯渇せしめている目下の宿痾は、アイルランドの反乱であるが、

の望みは、スペインとの講和に存している。同時にイングランドは、全アイルランドの平定に、もっぱら力を集中することもできる。これらバアリイ

彼は彼女のもっとも信任厚い顧問官だった。まだ彼女がイングランドの女王でなかった昔から、そうであった。わたしの魂、そう彼女は

充分の資金はなかったのだし――オランダが――イングランドの女王が……そう、うつらうつらと考えているとき、一通の書状が届い

対して、私は一個の伯爵としての、またイングランドの元帥としての義務を負う者です。いままで、私は陛下に、

セシルは、慎重な考えかたで、未来を吟味した。イングランドを留守にするのが、彼にとってどんなに危険であるかを知らぬ

丹念な記述のあるのがわかった。――明らかに、イングランドの王座から君主を退位せしめることの可能性を主題に含めたもので、かかる

術に長け、盟約も破約も御都合次第。アイルランドで生まれ、イングランドで育ち、半分野蛮で半分紳士だった。半分旧教徒で半分懐疑家の、

よって与えてもらった権力と勢力を武器として、イングランドに向かって反逆の歯を剥いた。今度こそイギリス政府は、どんな妥協をも

つくものだった。もしエセックスがアイルランドで勝てば、彼はイングランドでも勝つこととなる。だが、骰子は彼のほうによっぽど大きな目が

、彼の決意は撤回をしいられた。すでに彼がイングランドをたつ直前に、深刻な軋轢を起こしている。彼はサア・クリストファ・ブラウント

浪費することは、無益以上の悪結果を招く。そして、イングランドの強力な軍隊をもって、少数の頑迷な主族どもを征伐する仕事は

。曰わく、軍隊の人員が致命的に減少している――イングランドをたったときの一万六千人が、いまは四千人しか残っていない。彼女

ない。なおも躊躇しているとき、数通の手紙がイングランドから届いた。ロバアト・セシルが、あの役得の多い官職、エセックス自身望んでやま

た、アルスタアなどへゆくものか。軍隊の先頭に立ってイングランドに侵入しよう、おれの力を思い知らせてやろう。セシルとその一党を追い出し

行動――小なりといえども一軍を率いて、イングランドに進軍するなどとは――内乱を意味するものだ、と、サア・クリストファ

チロオヌと不名誉な協定をむすび、女王の特禁を破ってイングランドに帰還した、そういう宣言だった。公人たちも傍聴を許されたが

にかかわらず、彼の最初の計画どおり、大軍をもってイングランドに襲来することを促すものだった。けれども、マウントジョイは、すでに変心し

のイヌだ。彼は現にスペイン王インファンタに内通して、イングランドの王冠を相続させようと企んでいる。が、もっともっと恐ろしいのは、あの

ある人とは、いまやイングランドにおいてもっとも偉大なる権勢家――彼の従兄、ロバアト・セシルである。

もたらし続けている物を夢見る。それは二つの国家(イングランドとスコットランド)の結合であり、新しい支配者たちの勝利であり、――成功と

エリザベス朝

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に聴取書を取った被告の陳述がなかったなら、はなやかなエリザベス朝の文化もけっして存在せずに終わったであろうという想定が成り立つのである

ケンブリッジ

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、バアリイ後見のもとに育てられた。十歳のときにケンブリッジの、トリニテイ・カレッジに遊学し、そこで一五八一年十四歳のとき、マスタア・

西インド

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ませんのがむりでございましょうか」 ちょうどそのとき、西インドから帰ってきた五十隻の商船隊が、財宝を満載しながら、内海の

なかったので、今度は、艦隊を沖合に出して、西インドから帰ってくる商船隊を待ち伏せ、彼らが母国へ持ち帰る財宝を掠奪しようで

思ったより少なかったのではないか、なぜ彼らは西インドから帰る商船隊を拿捕しなかったのだと女王はいうのだった。不愉快

のことしか、してはならなかった。そのあとで、西インドから財宝を満載して帰る船隊を待ち伏せてみるくらいのことはできよう。海上の

ブリュッセル

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なっていた。一再ならず、アントニオ暗殺の計画が、ブリュッセルとエスキュリアル(スペイン王宮)とで計画された。物ほしさからなんだって

二カ月後である。ブリュッセルのチノコと称するポルトガル人から、権勢家バアリイに一通の訴状が届いた。その

申し分は、イギリスの安危に関し、きわめて重大なる秘密を、ブリュッセルで聞き込んだ。ついてはこの秘密を、女王陛下に奏上したく存じるゆえ、

リスボン

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を反撃することが決議された。コルンナを攻略し、リスボンを占領して、ポルトガルをフィリップの影響から引き離し、ドン・アントニオをポルトガルの王座

いた。四年前のスペイン遠征のとき、惨めにもリスボンでつまずいて以来、この不幸なドン・アントニオは急速に没落してゆき、四

リッチモンド

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晩餐会にも姿を現わした。そこで気分転換のために、リッチモンドに居を移した。そのリッチモンドで、一六〇三年の三月、彼女の元気は

ダブリン

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のだった。アイルランド総督ボラウが突然死んだ後で、当時ダブリン(アイルランドの首都)は混乱に陥っていた。そして反乱の指導者として

されていたのであるが、十月の初め、ダブリンに到着する早々、彼は陣没した。事態は再び混乱に陥った。エセックス

それだのにチロオヌは好機を充分に利用することなく、ダブリンにも侵入してこなかった。そして、彼は戦争に剛なるものという

同伴してゆくこととなった。そして、アイルランド総督は、ダブリンに着いた――一五九九年の四月である――重い憂鬱と、腹だたしさ

当たって湧きたっている一揆を、まず鎮圧すべきか? ダブリンにおけるイギリス軍参謀会議は、後者の作戦を採り、エセックスまたこれに同意

た所で意味のない努力を費やした後、七月にダブリンに帰ったときは、彼の指揮下にある部下は半分にまで減ってい

そのときにはもう七月はすぎ、総督はあい変らずダブリンから動かないという有様だった。その間、内地では、月日ばかり経って

も辛辣だった。「エセックスはなにもしない。彼はダブリンでぐずぐずしている」 兵士の十分の一を死罪にしたことは

いる。悪天候が軍の活動を困難ならしめている。そしてダブリンの陣中会議は、再び、断々乎としてアルスタアの攻撃力を拒否するというの

ときではなかった。そして彼は、八月の終り、ダブリンを進発した。

らと大多数の士官と紳士を引きつれながら、九月二十四日ダブリンを出帆した。二十八日の早朝、舞台はロンドンにウマを乗り入れてい

手紙は、用心のために、わざとまわり道して、アイルランドのダブリンを通って届く。それが届くたびにゼエムスは、聡明で穏和なセシルのやり

ローマ

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女王、シシの心を持つ女傑、スペインの傲慢をたたきつけ、ローマの暴逆を押しひしぐになんのためらいも示さなかった女王などといったって、着物を

気ちがいどもの世界、――フランスとスペインの国家的対立、ローマとカルバンの宗教的対立などの間にあって、彼女はただ一人の健全な精神

そしてメートランドはこのどうにもならぬ破滅から逃げ出して、ローマで死ななければならなかった。マリー・スチュアートは、エリザベスを敵として、

無為の、長いおぼろな歳月のうちに埋もれながら、――ローマの午後の、退屈な時の流れに流されて、忘却のかなたに沈み去っ

両国

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からである。一方、セシル父子は当然平和論者だった。両国のどちらに利益を齎らすという理由からでなく、ただ戦争のための戦争が切

ら、と彼は懸命に説く、「この男はイギリスとスペイン両国の和平のために奔走いたしますでしょう」この暗示がたいしてエリザベスの