西隣塾記 / 小山清
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だった。高倉先生の消息を尋ねると、いまは郷里の綾部で病を養って居られるということだった。そうしてこの方はほんと
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た。僕はなんとなく四睡図を思い浮べた。確か浅草寺にあるやつだ。虎に倚懸ってみんな昼寝しているのだ。豊干は
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「高尾山にいた頃の中里先生の生活はよかったようだな。御自分でもそう
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の生れつきであった。そういう中で私は鳴尾君が松江教会の副牧師になって赴任したことを風の便りに聞いた。
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養うわけにはゆかなくなっていた。羽村にゆく前日本橋の本町にあった大菩薩峠刊行会の事務所で初めて会った時、介山居士
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鳴尾君に渡した。鳴尾君は自転車を走らせた。東京の相場しか知らない私は、五十銭でいくらうどんが食えるものかと思い
ので、居士が羽村へやってくると、大竹さんが東京へ帰るまでの時間を、私達はあちこちダットサンを乗り廻したものである。介山
。運転手は大竹さんと云って私達と同年配の人で東京の居士の家に夫婦で住み込んでいた。村木さんは器用な人で
ば、水陸両棲動物のような生活をしていた。東京羽村間の往復には最初オート三輪車を使用していたが、まも
て東京から介山居士が到着した。その頃介山居士は東京に十日羽村に七日という風に、居士の言葉を借用するなら
夕刻オート三輪車に乗って東京から介山居士が到着した。その頃介山居士は東京に十日羽村に
」の活字を組んだ。輪転機がないので印刷は東京の印刷屋でやってもらった。本館の裏手に草葺の家がある。
そうしてその頃は高倉先生が校長をしていた東京神学社の学生であった。大竹重兵衛氏の説によれば失恋に由来
出来ないので、植字したやつをその都度大竹さんが東京羽村間を往復して印刷屋へ運搬した。植字は専ら村木さんが
ではなかろうか。その日鳴尾君と私は田中さんの東京放浪時代の形見とでも云うべき署名帳を見せてもらったが、それ
生れつき鋤鍬作業は嫌いらしく、はたち前後から家を飛び出して、東京でいろんな職業に就いたり、宗教団体に加盟したり、社会改良派の仲間入り
「僕は夢をみてもみんな東京のことばかりだ。ここの生活はまだ夢の中に入ってこない。
気風に貧を卑しむところのないのは自然だと思う。東京をわずかしか離れていないのに、すでに言葉も鄙びていて、その
ある。まだそのほとぼりの醒めていない時であった。東京のお客は私の誇張した賞讃の言葉に眉を顰めた。しかし介山
全然いないのだ。またこんなこともあった。あるとき東京からお客様が来て、介山居士は本館の中を案内して廻って記念品
なさい。」と村木さんは云った。田中さんは私が東京へ帰るのを頻りに止めた。私は使いあましたインキ、ペン
東京へ帰ると私はすぐにあくせくしはじめた。それは始からわかっている
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見たのは、高倉先生が逝くなって、その葬儀が信濃町教会で執行された時であった。葬儀委員長は田川大吉郎氏であっ
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た。僕はなんとなく四睡図を思い浮べた。確か浅草寺にあるやつだ。虎に倚懸ってみんな昼寝しているのだ。豊