前途なお / 小山清
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になったのである。世話する人があって私は番町の伊沢先生の私塾にあずけられ、そこから通学するようになった。浅草の
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としてはかなりのてだれであった。父が初めて大阪へ修業に行ったのは十三、四の頃であったというが、この
大阪お祖母さんはまじめな顔をして一寸考えてから、
大阪お祖母さんでは流石に権威がないように子供心に思えたのだ。嘘
路上で逢ったその年の暮のこと、私達は唐突にイエが大阪にいるということを聞いた。イエはあの三味線弾きのあとを追って大阪
ことを聞いた。イエはあの三味線弾きのあとを追って大阪へ行ったのだという。大阪には一年ほどいたようである。
弾きのあとを追って大阪へ行ったのだという。大阪には一年ほどいたようである。イエがまた東京に帰ってきた
「大阪へ行っていたの?」
「大阪もいいですよ。」
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思う。雪の夜だった。イエの名披露の会が吾妻橋の袂の東橋亭で催されたのは。兄も私も行った。家
私は楽屋の廊下に佇んで硝子戸越しに、向うに見える吾妻橋の雪の夜景に眺め入っていた。ふと背後に人の気配を感じて振り向く
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行くようになってぐんと背が伸びた。私の学校が本所の錦糸堀なのを聞いていたイエは、学校の帰りに遊びに寄る
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金沢イエは私の父の浄瑠璃の弟子である。短い間であったが内
多摩川の上流で東京の管内ではあった。そこに金沢の家の本家があって代々百姓をしていた。だから祖母など
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の年の暮のことである。父達は仙台へ、兄は神戸へ、そして私は独り東京に残った。私も漸く自分の口は自分
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。私の廿三の年の暮のことである。父達は仙台へ、兄は神戸へ、そして私は独り東京に残った。私も漸く
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見なかった。イエ達はまた東京へ出てきて当時深川に居るという。イエはすっかり大人びていた。変らず涼しい眼をし
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の私塾にあずけられ、そこから通学するようになった。浅草の家へはたまにしか帰らなかった。
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、それきり私はイエを見なかった。イエ達はまた東京へ出てきて当時深川に居るという。イエはすっかり大人びていた
引っ込んでしまった。田舎と云っても多摩川の上流で東京の管内ではあった。そこに金沢の家の本家があって代々百姓
大阪には一年ほどいたようである。イエがまた東京に帰ってきたことを聞いたのは、私の母が死ぬ二月
「東京とどっちがいい?」
父達は仙台へ、兄は神戸へ、そして私は独り東京に残った。私も漸く自分の口は自分で糊せねばならなく
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。「炭焼き江戸っ子の癖に。」など。震災直後私達が向島の隅田町に一時仮りの住居を見つけて移り住んでいたとき、一、
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母の念願を断念させた。私は学校を退いて神田のある古本屋に奉公に行った。伊沢先生の許を辞して間もなく
、私はまた祖母との折合いが悪く、家を出て神田の西さんという親戚のお医者さんの許から通学していたの