幼年時代 / 堀辰雄

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地名一覧

吾妻橋

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歩いていた。夕方遅くなったりなんぞすると、母は吾妻橋の袂から俥をやとって、大川を渡って帰った。そんなとき、私は

横浜

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よりも上手だったのだ。――或る日、私は横浜から父の買ってきてくれた立派なナイフをもっているところをその緒方

水戸

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註二 数年後、私達が引越して行った水戸さまの裏の家の植込みにも、それと同じ木があり、夏に

曳舟

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をしていた母や私を迎えることになった、曳舟通りに近い、或る狭い路地の奥の、新しい家のなかでようやく始って

父と出かけることも好きだった。しかし、父は先ず、曳舟通りなんぞにある護謨会社や石鹸工場のなかへ私を連れてはいり、しばらく

それから父は私の手をひいて、曳舟通りをぶらぶらしながら、その頃出来たばかりの業平橋駅の方へ連れ

が、まんまと曳舟通りまで私達が出てしまうと、急に私は機嫌をなおした。そう

註三 「掘割づたいに曳舟通から直ぐさま左へまがると、土地のものでなければ行先の分らないほど

、ここに描かれてある小径は、ことによると、曳舟通りに近かった私の家から尼寺の近所のおばさんの家へ行くとき

神田

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ことになった父たちを残して、私と母とが神田の方へ避難するばかりだった。近所の水の様子を見にやらされ

「神田の方ですよ」いつもお竜ちゃんと仲の悪い佐吉が、私に代っ

私達の避難したのは、神田の或裏通りにある「きんやさん」という、父の懇意にして

の新しい見事な世界を形づくり出したのは、しかし、その神田の家を立ち去ってからであった。

向島

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私の父は、向島の水漬いた家からときどき私達に会いに来た。一時は軒下までも来

、或る華族の大きな屋敷の裏になっていた。おなじ向島のうちだったが、こっちはずっと土地が高まっていたので、それ

母がまだ父と一緒にならないうちに、向島の土手下に私とおばあさんだけと暮らしていた時分、小さな煙草屋を

浅草

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頃、私はよく両親に伴われて、すぐ川向うの、浅草公園へ行った。そうして寄席へ連れて行かれたり、活動写真を

を二度ばかり見かけた。一度は私が父と一しょに浅草の仲見世を歩いているときだった。それからもう一度は、並木のおば