萩原朔太郎 / 堀辰雄
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七月、伊豆湯ヶ島温泉に往つて、そこで梶井基次郎、三好達治と知つた。芥川龍之介
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妻子をかかへて、故郷を去つて上京し、一先づ、大井町の陋巷に寓した*。
* 「大井町」「郵便局の窓口で」などの若干の詩がそこで出來た。彼は
で」などの若干の詩がそこで出來た。彼は大井町のやうな、襁褓の干してある下をくぐつて出入りするやうな、場末の
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業とせられてゐた。母は慶といつて、川越の八木氏の出である。そして長子である彼の他には、三人
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などをきいた。最後に往つたときは、芥川龍之介が鵠沼の東家に滯在中だつたので、一しよにそこへ訪れた。病床に
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た*。「詩の原理」の大體の腹案は、その鎌倉の一年間において成つたらしい。
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て上京した。相次いで彼も上京し、二人で本郷あたりの下宿にごろごろするやうになつた。
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犀星)の詩の載せてある雜誌を手にして、利根川ちかき松林の小路を旅びとのやうにどこまでも歩いていつた。」
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人で、明治十五年東京醫學校を出られると、ただちに前橋に來られて、醫を業とせられてゐた。母は慶と
彼は十四のとき前橋中學に入つた。(明治三十二年)その中學校は「利根川の岸邊
前橋中學を出ると、彼はこんどは第五高等學校に入つた。そして一
それからは主に東京と前橋とで暮らしてゐた。(明治四十年代)
前橋では、自分の家の小さい物置小屋を洋館に改築して、リノリウムなど
金澤から上京中、室生犀星が前橋に來て長く滯在していつたのは、大正二年の春から夏
前橋の彼のところも、犀星と前後して北原白秋、山村暮鳥などが來遊
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ゐたが、その翌年第六高等學校に轉校して、岡山に行つた。そこでは獨法科に籍をおいてゐたが、二
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はこんどは第五高等學校に入つた。そして一年ばかり熊本に行つてゐたが、その翌年第六高等學校に轉校して、岡山
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父萩原密藏は、大坂の人で、明治十五年東京醫學校を出られると、ただちに前橋に來られて、醫を業とせ
それからは主に東京と前橋とで暮らしてゐた。(明治四十年代)
しかし、この一二年間の東京生活の裡に、やや健康を害して、一家とともに鎌倉材木座に轉地
死後、こんどは母、末妹、及び二兒とともに東京に定住する計畫を立てて、先づ妹と共に牛込區谷町にしばらく假寓
見てゐようとしたのである。そこで、家人は東京ぢゆう搜してみたが、それは遂にどこにも見つけることが出來
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その間、音樂家たらんと志して、上野音樂學校の入學試驗を受けるために、樂曲などの初歩を學んだ
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。その頃はまだマンドリンといふものが、はじめて三個ばかり銀座の十字屋に舶來せられたばかりのときで、彼はそのうち一
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ゐたが、翌年田端に居を移した*。その頃田端には室生犀星、芥川龍之介などが住んでゐた。毎日のやうに犀星
そこに一年ばかり孤獨に暮らしてゐたが、翌年田端に居を移した*。その頃田端には室生犀星、芥川龍之介などが
* それは田端といつても、もう動坂の電車通りにちかい、大きな味噌屋の横丁