にはかへんろ記 / 久保田万太郎
地名一覧
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――よきかな、四国……
、すぐに側へ行つて、抱いてやつた。……四国へわたつて以来、はじめて、ぼくは、家のことを思つた。
“四国、西国の巡礼者は、日々仏と倶に居るのである。冠れる菅笠
た。著者のその悩みを知つて、同郷の先輩が四国の霊場巡拝をすゝめ、山河幾百里、ともに七十余日の旅をつゞけたの
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志度寺へ三里ときゝしあざみかな
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と、室戸岬で、道行く少女たちにさゝやき交されたといふ……
そこがバス会社の車庫の近くで、徳島ゆきの終バスと、室戸岬ゆきの終バスとが落合ひ、でなくつても狭い道が一層せまくなつて、
――室戸岬の町です、あれ……
かくして、室戸岬、岬ホテルに着いたのが午後十時。
室戸岬は水に不自由してゐる、水を節約せよ、浴槽の中で手拭をつか
空、やゝ曇り、風、全く無く、室戸岬の海、太だ平穏、むなしく灰白色にひかるのみにて、何んらの奇なし
、徳島の宿屋でわけなく縫つてくれた。足袋は室戸岬のホテルで買つてもらつた。たゞ、草鞋といふもの、どこにも
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、吉野川橋だの、阿波十郎兵衛屋敷あとだの、大毛島のナルトに巻く渦だのをみて……といふのはあたらない、みせられ
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……途中、えうもない、吉野川橋だの、阿波十郎兵衛屋敷あとだの、大毛島のナルトに巻く渦だのをみて……といふ
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知つて、同郷の先輩が四国の霊場巡拝をすゝめ、山河幾百里、ともに七十余日の旅をつゞけたのである。そして、その間
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だ。……といふものが、その竹林寺、東京の愛宕山の七八倍以上の高さをもつ五台山の頂上にあつた。しかも完全な自動車道路が
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第二番の札所の極楽寺は、おなじ板野郡板野町で、そこから十町ほどゝ聞いたが、ぼくは昨夜聞い
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二人の不幸な子たちのために、夜ッぴて、大師堂の縁に、ふきまくる山風の中“南無大師遍照金剛”の宝号をと
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その晩、われ/\は、徳島市内を流れる新町川沿岸の“清風荘”といふ宿屋に入り、徳島新聞の松本さん、福島さん、
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長続きさせてはならぬ。……と思つたから、最御崎寺の下から乗つて、真つ直に高知へ向ふ自動車の中で、ぼく
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と、国分寺へ行つたあくる日の午後、海部郡日和佐町の薬主寺……札所二十三番……の桜並木をぬけ、仁王門をくゞり
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大阪の“新町座”で旗上げをしたあと、近畿から九州にかけての各地を巡業、失敗に失敗をかさねたあげく、やッとのことに
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といふものを組織、中江兆民たちの支援をえて、大阪の“新町座”で旗上げをしたあと、近畿から九州にかけての各地
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その前日の午後、神戸から乗つた“あきつ丸”を小松島で下りた途端、その汽船発着所
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さん、福島さん、郷土研究家の林鼓浪さんたちから、徳島に関する話をいろ/\参考に聞いたのだが、これよりさき、
を流れる新町川沿岸の“清風荘”といふ宿屋に入り、徳島新聞の松本さん、福島さん、郷土研究家の林鼓浪さんたちから、徳島
その晩、われ/\は、徳島市内を流れる新町川沿岸の“清風荘”といふ宿屋に入り、徳島新聞の
、失敗に失敗をかさねたあげく、やッとのことにたどりついた徳島で傷害事件を起し、一月あまり警察に拘置された顛末をくは
のは、たま/\そこがバス会社の車庫の近くで、徳島ゆきの終バスと、室戸岬ゆきの終バスとが落合ひ、でなくつても
考へたら、われ/\、朝、徳島で食事をして出たッきり、パンの半カケすら、口に入れて
□徳島の林さんは、角藤定憲を語つて、空想を現実化した。ぼくは
うち、手ッ甲だけ間に合はなかつたのを、徳島の宿屋でわけなく縫つてくれた。足袋は室戸岬のホテルで買
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“清風荘”といふ宿屋に入り、徳島新聞の松本さん、福島さん、郷土研究家の林鼓浪さんたちから、徳島に関する話をいろ/
今日もぼくの写真をとるために一しよに来てくれた福島さんも知らなかつた。
ぼくの腰を下ろした縁側から程近きところにみいだした。福島さんに教へられてゞある。が、ぼくには、さうした部分的な
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案内記”四国篇には、この寺について、“奈良朝創始の国分寺で、天正年間の兵火に焼失したが、寛保元年に
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高知新聞の人たちが、夕方、まだあかるいうちから来て待つてゐるといふ
で、改めて、ぼくは、高知新聞の人たちに……松田さんと浜田さんとにあいさつした。
洋服に着替へた。だから、三時間余のあと、高知に入り、長岡郡五台山村の札所第三十一番“竹林寺”に着いた
、最御崎寺の下から乗つて、真つ直に高知へ向ふ自動車の中で、ぼくは、脚絆をとり、手ッ甲を外し
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高松にて。(二句)
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七日の旅を了りて京都まで帰る。
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と、東京出発以来、いかにして調達すべきかと、それをばかり苦にしつゞけ
東京哲学館在学中、境野黄洋、高嶋米峰たちの新仏教同志会に加入したり
だ。……といふものが、その竹林寺、東京の愛宕山の七八倍以上の高さをもつ五台山の頂上にあつた
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してゐるといふ第十五番の札所、名東郡国府村の国分寺へ行くことを希望し、自動車にその方角へ行つてもらつた。
からもあり、目的地に着いたときには、もう、その国分寺の山門を、鐘楼を、本堂を、そして、その他の小さな建物を、
篇には、この寺について、“奈良朝創始の国分寺で、天正年間の兵火に焼失したが、寛保元年に再興した。
奉納経 本尊薬師如来 国分寺
と、国分寺へ行つたあくる日の午後、海部郡日和佐町の薬主寺……札所二十三番
――さうなんです、国分寺とおなじなんです。
――あはれ、国分寺よ。……二日月のひかりよ……