春泥 / 久保田万太郎
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、省線電車の間断なく馳せちがう音響を脚下に、田端へつゞく道灌山の、草の枯れた崖のうえに立った。――み渡すかぎりの、
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が、お嬢さんと一しょというんだから、いつものまた修善寺へでも行ったんだろう。」
「へえ、修善寺へ。」
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ているだけ、ことによると竹箆返しに、大きに春は名古屋へでもやられるかも知れない。春匆々しかし地方は有難くない。――
で汽車を下りてまえ/\から贔負になっている名古屋の客のところへ骨休めに寄った。――が、結句、まァもう一日、
「へえ、いえ、一寸帰りに名古屋へ寄りましたもんで……」
わけがどうしても田代に分らなかった。――げんに名古屋の客さきでも、根掘り葉掘りそれを訊かれ、返事が出来ずこと/″
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その三人の外に吉沢が加わった。……谷中の天王寺の五重の塔のまえで自動車を下りた。空のあさ/\と晴れた、風
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ば、決してそのほうへは足を向けても寝なかった今戸の本宅、……それは、由良の、横浜旗挙時代からの古い住居で、
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、今度はかれは一刻も早くうちへ帰りつきたくなった。雷門を出るとすぐ茅町までかれは円タクに乗った。
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その一座、上下合せて三四十人いたその大ていのものは関西だった。そも/\の倭からして京都の産だった。……
制度を廃して女優を活用すること。――それには関西のある若宮贔負の金持がうしろ立になって、来春匆々、東京の某大
。それだけ臭いと俺はにらんでる。――新聞には関西のある若宮を贔負の金持が尻押だとしてあるがどうせほんとうのこっち
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越の銭をもたないはずのかれにして、なお、八丁堀に格子づくりの、意気な、小ぢんまりした自分家をもっていた。―
は、今戸を捨てゝ今の矢の倉へ移った。八丁堀と矢の倉だから、まえの今戸のことにすれば、すぐもう隣
が鯛チリの鍋をひかえて一杯はじめた時分。――八丁堀の空にも雨はふっていた。……みぞれをまじえたその雨が
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工面をしてかゝらなければならなかった。小屋でも、本所だの深川だの浅草だのゝ小劇場、でなければ、腐った、何を
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、店の隙をみては渡しをわたり、わざ/\須崎町まで清元の稽古にかよった。――間もなくその師匠のもらい娘を連れ
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から俺ァ知っているんだ。――まだ、彼奴が、九州の果から果をうろついている時分から俺ァ知ってるんだ。――大根、
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と「うたむら」の主人の前へそれ/″\熱い銚子を運んで来た。
小倉は銚子の代りをいいつけたあとでいった。
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―さすがの三浦君でも無駄をいいません。――吾妻橋に着いてやれうれしや……ほんとうにそう思いました。――一杯、
小倉はもう一つ合点の行かないように「俺は、吾妻橋で、あすこですぐ西巻を自動車に乗せたものとばかり思っていた。」
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腹はへる、冷え上っては来る。――こんなことなら北海道で御難をくってたほうがよっぽどましだった。――俺ァそのときしみ
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うたむら」の主人はなお肯えないように「この間の本郷の芝居の、悪い親同胞をもったゝめに苦労する若い芸妓。……あの
そのおもいではまた、最近の、ついその一月まえの本郷の芝居の舞台での歪んだ互いの心もち。――二十二日の間、たゞ
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をまわって久々に東京へ帰って来ると、由良は、横浜で無人のさびしい芝居をあけていた。そのあと倭のほうは歌舞伎座で花々しく
が、西巻はそれを聞くと、片っ方をふり切ってすぐに横浜へ馳けつけた。……だからその半年だけ側にいなかったきり、あとは
な爺さん役なんぞも器用にこなす鷲尾だった。ともに横浜以来の、古い、生抜きの座員だったには違いないが、菱川だけは
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でなくって三浦とでもいうなら、たとえそれは麻布が四谷に住んでいたにしろ、そうかい、やられたかい、あの男?
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そういってそのときふり返った。――そのまゝ三人は長命寺のほうへ土手を下りた。
亡骸のようにすきなくならんでいる以外には、以前の長命寺をしのばせる何ものもそこにみ出されなかった。――名物さくらもちの古い
――もっと、もし、くわしくいうなら、ちょうどその三人が長命寺の境内をまた土手へ出、死んだ吾妻一郎について三浦と田代としきり
するようにかれはいった。――矢っ張、田代が、長命寺の境内の甃のうえに立ってそういったように。――が、田代
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「そうよ。――敵は本能寺、何もあの男がほしいんじゃァねえ、もっと外に入用なものがさきに
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のなかにたゞならないものが感じられたから。――弁天山の鐘の音の落ちかゝるように響いて、戸外のみぞれをまじえた雨は
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旗挙のときの三四倍になっていたばかりでなく、筑紫だの、志摩だの、白川だのという一流どこの巧い役者、綺麗な
ていた。そうして残ったのは、実に、筑紫と菱川とかれとの三人だけだった。――鷲尾はそのずっとまえ
は指図した。――その指図をうけないのは、筑紫と、菱川と、かれとの三人だけだった。――いえば別扱い。
その気になったと無暗にそうものゝ善悪をいわない筑紫までがそういってくれたのを、その中で、菱川だけ安く鼻であしらっ
が、もし、それが筑紫なりだれなりの口から出たのだったらそうは思わなかったかも知れない
た。――明るい燈火の輝きのなかに、由良と、筑紫と、汐見と、じッとそれ/″\、眼をふせ、眉を曇らせて
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はいった。「どうしてそんな死に方を。――大阪で聞いてあたしァびっくりした。――みんな、いゝえ、はじめに聞い
「いつ来たって、もう。――よっぽど以前だ、大阪へ行くまえだから七八年まえだ。」
途中でぬけたとき、そのまゝ西巻は倭につれられて大阪へ下った。――それからそれ半年ばかり九州路をまわって久々に東京へ
をさらって行くのが菱川だった。役者になるまえ大阪でしばらく落語家をしていたといううわさにうそはなく、全く菱川は多芸
にかゝって舞台を去り、御園は間もなく生れ故郷の大阪へ帰って行った。そうして天下は完全に由良のものとなった。
に自分も火鉢のまえにすわって、はる/″\嘗て大阪の贔負からとゞけてよこした錫のちろりを銅壺のなかへしずめようとした。
の、震災の前後一年ほど、由良の許しをえて大阪へ行っていたのも、つまりはその人を満足させるだけのものを
しかしあの女は。――あの女は若宮君を捨てゝ大阪の……」
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子で古い三枚目の西巻金平は一人寂しく矢の倉の河岸を両国のほうへあるいていた。
ろに門の外へ出た。――で、一人寂しく矢の倉の河岸を両国のほうへあるいた。
るのはむかしながらのけしきだが、そのあと、そこから両国の袂の、一銭蒸汽の発着所のあるところまで、以前はそこに、河の眺めを遮
じきにかれは歩き出した。――あてもなく一人寂しく両国のほうへかれはあるいた……
かったんで、そのまゝ玄関で引っ返し、河岸をぶら/\両国のほうへあるいて行くうち、ふッと気のついたのはこのごろすっかり変った
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ものは関西だった。そも/\の倭からして京都の産だった。……ことさら眼をかけられた。――美貌の持ちぬし
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止し、みれんげなく堅気になると一しょに、飄然去って岡山の田舎へ帰った。
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はつねにその界隈の有名な茶屋小屋……岡田だの、福井だの、亀清だの、柳光亭だの、深川亭だのに始終
になりましてすが、この方が大した遊び手で、福井さんといえばどこの花柳界でもそのころ知らないものはない位。…
「以前、いゝえ、木場の福井さんという方がおいでになりましてね。――わたくしなんぞも御
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てかゝらなければならなかった。小屋でも、本所だの深川だの浅草だのゝ小劇場、でなければ、腐った、何をかけて
、福井だの、亀清だの、柳光亭だの、深川亭だのに始終もう入浸りになっていたのである……
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向島
いえば気ましな枯枝のようなものゝしるしばかり植わった向島の土手。――折からの深く曇った空の下に、むかしながらの
いたずらにだゞッ広くひろがった向島の土手。――桜といったら川のほうにだけ、それも若木と
からそこは人情で、三浦がこれ/\だそうだ、向島で可哀そうに焼死んだそうだ。……といったって誰もかばい手
やがてまた三人は土手を下りた。それが向島へ来たそも/\の目的の、百花園へ行くために、下りてすぐ
小倉と、三浦と、田代と三人がそうやって向島をほッつきあるいているとき。――もっと、もし、くわしくいうなら、ちょうど
急にかれは立留った。――その少しまえ、向島で、牛の御前のまえで田代がそうしたように。――なぜ
「で、どこへ行こう、こゝへ行こうのあげく向島へ……」
ところへ現れたのを誰だと思う? ――昼間向島で逢った千代三郎の内儀さんだ。――驚いたよ、あたしァ。
、意地になってそれをやり返した。昼間もいゝえ、向島で、小倉と三浦にそういわれて心細くなった。……田代はそう
「この間、向島をあるきながら話したことを忘れたか?」
「向島? ――と、あゝ、公園の?」
まで地下鉄道に乗った。――三人はいつかの向島のかえりのようにまた「菊の家」へとこゝろざしたのである
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「だってそうじゃァないか? ――毎日浅草へ通うのに……公園の芝居へ通うのにとても麻布からじゃァ大へんだ
報道がかれのその望みをたちまちまた燃えあがらせた。それは浅草座でやる倭一座の『日清戦争』の狂言に入用な臨時雇募集の
その午後、すぐかれは支度をして、その浅草座座附のある茶屋に倭をたずねた。河岸のそろいの浴衣に八
してもうちへ帰れないまゝ、平生贔負にしてくれる浅草の待合へころがりこんでしまった奴である……
ばならなかった。小屋でも、本所だの深川だの浅草だのゝ小劇場、でなければ、腐った、何をかけても客の
はじめてかれが、西巻が、臨時雇募集の広告をみて浅草座の茶屋へ倭をたずねたとき倭の代理として若い男が出
/\客を呼ぶようになり、十年後には「浅草」での押しもおされもしない人気ものになり了せたこと。―
大きく、一生旅廻りで朽ちる料簡のなかったことは早くから浅草という土地に目をつけ、そこがまだ「奥山」だの「六区
「矢っ張、じゃァ、浅草かしら?」
「そうよ、浅草出演よ。――このごろのセリフの大衆的って奴よ。」三浦は冷
から電車に乗って上野で下りた三人はそこでまた浅草まで地下鉄道に乗った。――三人はいつかの向島のかえりの
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「そうなんだねえ。――銀座なんぞあるいている分にはちッとももう以前とかわらない気がするけれど…
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てからは――『矢の倉』の弟子になって東京にいついてからは……」
「じゃァ俺のほうが、さきへ君より東京へ出て来た勘定か?」
「誰がってみんな来たのよ。――東京中の新派という新派の役者はみんなあつまった。――それへ持って
知っている。……だからその心配するところは、正月東京で芝居が出来るかどうかということである、十一月無理を通して
。――それからそれ半年ばかり九州路をまわって久々に東京へ帰って来ると、由良は、横浜で無人のさびしい芝居をあけてい
その一興行によって、「書生芝居」というものが東京の劇壇にはッきりした存在を……ゆるぎのない根ざしをもつことに
して人気の高かった由良はいうまでもなく東京の生れ東京の育ちだった。
のもちぬしとして人気の高かった由良はいうまでもなく東京の生れ東京の育ちだった。
に決してそんな依怙の沙汰はしなかった。どこまでも東京人らしい律義さで、本末をはっきりと、立てるものは立て押えるものは押え
あと、座員をつれて息抜に洋行したり、小さいながら東京の真ん中に自分の持小屋を建てたりして並びない全盛をみせていた
乗出させ、歌舞伎座だの新富座だの、そのころあった東京座だの、そうした大きなところを隈なく打たせ、それこそ満都の人気
は、その二十年の間に、到頭また「中洲」から東京の真ん中にその一座を乗出させ、歌舞伎座だの新富座だの、そのころ
。そうして天下は完全に由良のものとなった。東京で「新派」……「書生芝居」だの「新演劇」だのと
てもハッキリしたことをいわなかった。――そのくせ東京の真ん中へ乗出してというもの、他の座員たちに対しては、以前より
眼にうつッた。――が、いつかそこには東京通船株式会社の、倉庫なり事務所なり荷揚場なりの古トタンをぶつけた、大きな
なんてものはなくなってしまったんだ、いつの間にか東京の往来から消えてしまったんだ、だれももうそんなものを相手にする
、東京でこそ相手にされなくなりました。一足、東京の外へ出ればどうにかまだ露命はつないでおります。が、この
の主人はもう一度わらって「俥のほうは、これ、東京でこそ相手にされなくなりました。一足、東京の外へ出れば
て居る中で、遠州屋だけは強情に、仮りにも東京に茶屋のある芝居の一けん位ないってことはない、そんなみッとも
ある若宮贔負の金持がうしろ立になって、来春匆々、東京の某大劇場で花々しく旗挙をするに決ったこと。……そうした
つ図にあたったら、それをふみ台に、一気に今度は東京の興行界へ乗出そうという肚にたくみのこんたんなんだ。」
だろう、おそらく。――が、そういえば、若宮もいま東京にいないんだ。」
「書生が一人留守居をしていて、先生は東京にいらっしゃいません。」
ない。……田代にしても、そこはしまりのない東京育ちの、あらかじめそんなことになるだろうとは思っていたのである。
をばかり始終あるいている人たちのなかへ入れば、始終東京で、それも大きなところでばかり踊っているものは、知らない間につい
のだったが、さすがに誰も、いざとなると、東京恋しく約束の日限だけで、いそいでみんな帰って来た。――よしそれ
――その中に帆柱のように林立する煙突の「新しい東京」の進展を物語るいさましい光景……「変ったなァ。」と歎息するよう
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持って来て河岸や兜町の客筋、新聞記者や文士、新橋柳橋芳町から手伝いに来た連中だけだってすさまじいものだった。――とにかく
「それさえこのごろは、新橋なんぞでは、三人と四人一しょだと円タクで運んでもらう。―
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ことのついでにいってしまえば、もと西巻は、日本橋の石町、銀町、伝馬町……その界隈を担いであるくぼてふりの肴やだっ
なく田代要次郎。――もう一人の熱心な聞き手のほうは日本橋の「うたむら」という待合の主人である……
「おい、君、御紹介しよう。――日本橋の『うたむら』さんの御主人……というよりはもとの
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に限った感慨だった。――なぜなら、そのあたり、浜町河岸から矢の倉河岸へかけて、実にそこは「中洲」時代の
まだ帰っていねえ。――それならとことのついでに浜町まで伸して若宮のところへ行った。……というのが菱川
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ように覚えております。――二長町、久松町、新富町……芝居の好きなものは小屋のまえを通ったゞけでもぞく
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立てたり、歌舞伎座から乗った自動車の運転手が山谷といったら代々木かといったといって口惜しがったり、相手ほしやでいるところだから
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いって行かなかったかと、しつッこく田代は、むかし千住で何年とかお職を張り通したという耳の遠い留守居の
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のそばまで帰るんだから、ほんとうなら一しょに小倉と、蔵前ゆきのその電車に乗るのがあたりまえだった。が、そうしなかったの
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、汐見と一しょに若宮のその自殺した場所へいそぐため上野から汽車に乗った。――三浦は、あとから来た頭取の岩永と
そのまゝ、三人は、上野の方へは逆の、広い墓地のなかをなおあるきつゞけた。
……田端から電車に乗って上野で下りた三人はそこでまた浅草まで地下鉄道に乗った。――
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「日暮里のよ。」
「日暮里?」
「こんなとこへ来ちゃァ。――日暮里の停車場はずっとあとだ、この……」
「ぐず/\いうこたァねえ。――日暮里を来すぎたら、こゝまで来たんだ、もう一呼吸伸して田端へ
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すぎたら、こゝまで来たんだ、もう一呼吸伸して田端へ出りゃァいゝ。」
「田端?」
三人は、省線電車の間断なく馳せちがう音響を脚下に、田端へつゞく道灌山の、草の枯れた崖のうえに立った。――
……田端から電車に乗って上野で下りた三人はそこでまた浅草まで地下鉄道