浅草の喰べもの / 久保田万太郎
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茶屋の名によつて呼ばれたうち、草津、一直、松島の三軒は右の通り、万梅は四五年まへに商売をやめ、今
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料理屋に、草津、一直、松島、大増、岡田、新玉、宇治の里がある。
これらのうち、草津、一直、松島、大増、新玉、及び、竹松、須賀野、みまき等は、
往年、五軒茶屋の名によつて呼ばれたうち、草津、一直、松島の三軒は右の通り、万梅は四五年まへに商売
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料理屋に、草津、一直、松島、大増、岡田、新玉、宇治の里がある。
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浅草の喰べもの
をやめ、今では、わづかに、大金だけが、古い浅草のみやびと落ちつきとを見せてゐる。
巧緻を弄してゐないところがいゝ。――われ/\浅草に住む人間の、外土地の人の前に自信をもつて持出すことの
もしそのうはさが真実ならば、われ/\は、あつたら浅草の名物を一つ失ふわけである。われ/\はそのうはさの真実に
の気魄はすでに持合はさないやうである。時代は、浅草のうなぎやとして、こゝよりも田原町のやつこのはうを多く
臆劫なところのない、広小路の天芳とゝもにあくまで浅草むき、田舎の人向に出来上つてゐるうちである。広小路ゐまはり
した手合の間に評判されるうちである。――浅草のある面を物語るものとみることが出来る、
由来浅草には、われ/\の、しづかに、団欒して、食事をたのしむこと
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使ふしなものも、われ/\のみたところでは、人形町の玉秀、大根河根の初音、池の端の鳥栄とゝもに、きび
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。時代は、浅草のうなぎやとして、こゝよりも田原町のやつこのはうを多くみとめさせるやうになつた。――無駄をいふ
わたくしの子供の時分、田原町の、いま川崎銀行のある角に、鰻をさきながら焼いてゐる小さなな
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象潟町に存在する毛いろのかはつたうちである。向島の其角堂――このごろ老鼠堂になつた楓一宗匠の好みを帯した