ぢいさんばあさん / 森鴎外
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二十八日となつて、きのふの大雪の跡の道を、江戸城へ往反する、歳暮拜賀の大小名諸役人織るが如き最中に、宮重の隱居
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と行き逢ふ邊の角屋敷になつてゐた。しかし伊織は番町に住んでゐたので、上役とは詰所で落ち合ふのみであつた
のるんは有竹氏を冒して、外櫻田の戸田邸から番町の美濃部方へよめに來たのである。
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これがために宮重の隱居所の翁媼二人は、一時江戸に名高くなつた。爺いさんは元大番石川阿波守總恆組美濃部伊織と云つ
伊織は、丁度妊娠して臨月になつてゐるるんを江戸に殘して、明和八年四月に京都へ立つた。
創が存外重くて、二三日立つて死んだ。伊織は江戸へ護送せられて取調を受けた。判決は「心得違の廉を以て
を以て、永の御預御免仰出され」て、江戸へ歸ることになつた。それを聞いたるんは、喜んで安房から江戸へ
になつた。それを聞いたるんは、喜んで安房から江戸へ來て、龍土町の家で、三十七年振に再會したので
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るるんを江戸に殘して、明和八年四月に京都へ立つた。
此大番と云ふ役には、京都二條の城と大坂の城とに交代して詰めることがある。伊織が
伊織は京都で其年の夏を無事に勤めたが、秋風の立ち初める頃、或る日
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、有竹氏の主家戸田淡路守氏養の鄰邸、筑前國福岡の領主黒田家の當主松平筑前守治之の奧で、物馴れた女中を
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石川の邸は水道橋外で、今白山から來る電車が、お茶の水を降りて來る電車と行き逢ふ邊の角屋敷になつてゐた。しかし伊織
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て、手跡も好く和歌の嗜もあつた。石川の邸は水道橋外で、今白山から來る電車が、お茶の水を降りて來る電車と行き逢ふ
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の娘で、※のるんは寶暦二年十四歳で、市ヶ谷門外の尾張中納言宗勝の奧の輕い召使になつた。それから寶暦