雁 / 森鴎外
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粟餅の曲擣をしている店の前を通って、神田明神の境内に這入る。そのころまで目新しかった目金橋へ降りて、柳原の片側町
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は出ているそうです。屋台も一度売ってしまって、佐久間町の古道具屋の店に出ていたのを、わけを話して取り返したと
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と、巡査何の何某と書いてあった。末造は松永町から、仲徒町へ掛けて、色々な買物をして廻る間に、又探ると
云うのを、少しも疑わなかったのである。その頃松永町の北角と云う雑貨店に、色の白い円顔で腮の短い娘がいて、
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に、遠道を踏まなくても済むようにしてある。根津で金のいるものは事務所に駈け附ける。吉原でいるものは出張所に駈け附ける
空気を透かして、指ざす方角を見た。その頃は根津に通ずる小溝から、今三人の立っている汀まで、一面に葦が茂っ
の通る横町の左側、交番の前に立って、茅町を根津の方へ走る人力車を見ていたが、我々には只無意味な一瞥を
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僕は岡田と一しょに花園町の端を横切って、東照宮の石段の方へ往った。二人の間には暫く詞が絶えている。
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た。勿論今はあんな窓を見ようと思ったって、僅かに丸の内の櫓に残っている位のもので、上野の動物園で獅子や虎を飼っ
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末造は又どこを当ともなしに、淡路町から神保町へ、何か急な用事でもありそうな様子をして歩いて
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買い集めた書物の荷造をする。それからWさんに附いて九州を視察して、九州からすぐに Messagerie Maritime 会社の舟に乗るのである。
する。それからWさんに附いて九州を視察して、九州からすぐに Messagerie Maritime 会社の舟に乗るのである。
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銚子を換えに来ていた女中が、「おや、今晩のは本当のでござい
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僕は岡田と一しょに花園町の端を横切って、東照宮の石段の方へ往った。二人の間には
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を※った。まだ明治十何年と云う頃には江戸の町家の習慣律が惰力を持っていたので、市中から市中
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に極まってはいなかったが、脚が達者で縦横に本郷から下谷、神田を掛けて歩いて、古本屋があれば足を止めて見る。
とにかく学校が下谷から本郷に遷る頃には、もう末造は小使ではなかった。しかしその頃
て、一しょに蓮玉庵へ引き返した。その頃下谷から本郷へ掛けて一番名高かった蕎麦屋である。
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もう一月余り前の事であった。夫が或る日横浜から帰って、みやげに蝙蝠の日傘を買って来た。柄がひどく長くて
「そんなら言いましょう。あの、いつか横浜から蝙蝠を買って来たでしょう」
。呆れたものだぜ。好い加減にしろい。なる程お前に横浜で買って遣った時は、サンプルで来たのだと云うことだったが
なあ。いつか花月新誌で読んだが、成島柳北も横浜でふいと思い立って、即坐に決心して舟に乗ったと云うことだっ
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何の何某と書いてあった。末造は松永町から、仲徒町へ掛けて、色々な買物をして廻る間に、又探るともなしに
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の手前の広い町に出る。この町は今のように駿河台の下まで広々と附いていたのではない。殆ど袋町のように、
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方へ抜けて、どこへ往くと云う気もなしに、天神町から五軒町へと、忙がしそうに歩いて行った。折々「糞」「畜生」
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の知覚を閲歴したと云うに過ぎなかったので、無縁坂を降りてしまう頃には、もう女の事は綺麗に忘れていた。
しかし二日ばかり立ってから、岡田は又無縁坂の方へ向いて出掛けて、例の格子戸の家の前近く来た時、
今一つは無縁坂の中程にある小家である。それは札も何も出ていなかったが、
て仲町へ出掛けるかかあにでも見られようものなら面倒だ。無縁坂の方は陰気なようだが、学生が散歩に出て通る位より外に
なっても元値は取れると思って安心していられる。無縁坂にしよう、しよう。己が夕方にでもなって、湯にでも行って、
話が極まって、お玉は無縁坂へ越して来ることになった。
ては、柔和な手段の限を尽して、毎晩のように無縁坂へ通って来て、お玉の機嫌を取っていた。ここにはちょっと
を歩いている。そのうち茅町と七軒町との間から、無縁坂の方へ行く筋に、小さい橋の掛っている処に来た。ちょっと娘
であった。しかし十一時過ぎにこの家を出て、無縁坂をぶらぶら降りながら考えて見れば、どうもまだその奥に何物かが潜んで
或る晩末造が無縁坂から帰って見ると、お上さんがもう子供を寝かして、自分だけ起きてい
時、女中が※いた。「奥さん。あれですよ。無縁坂の女は」
がする。どうしよう、どうしようと思ううちに、ふらふらと無縁坂の家の所まで往って見たくなる。いつか藤村へ、子供の一番好き
無縁坂の人通りが繁くなった。九月になって、大学の課程が始まるので
、どうかしてくれと云うので、ふいと逃げ出して無縁坂へ来るからである。いつも末造がそんな時、どうもすることはない、
身動きもしない。末造は覗いて見る度に、早く無縁坂の家に持って往って、窓の所に弔るして遣りたいと思っ
もなしに、上条の家を出て、習慣に任せて無縁坂の方へ曲がった。頭はぼんやりしていた。一体支那小説はどれで
目にはこれまでになく美しく見えた。一体お玉は無縁坂に越して来てから、一日一日と美しくなるばかりである。最初は娘
無縁坂を降り掛かる時、僕は「おい、いるぜ」と云って、肘で岡田を衝い
云う。僕の写象には、何の論理的連繋もなく、無縁坂の女が浮ぶ。「僕は只雁のいる所を狙って投げたのだ
二条ある。即ち南から切通しを経る道と、北から無縁坂を経る道とで、この二条は岩崎邸の内に中心を有した圏
を比較すれば、只振かな切通しを避けて、寂しい無縁坂を取ると云うことに帰着する。雁は岡田に、外套の下に入れて
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雁鍋のある広小路、狭い賑やかな仲町を通って、湯島天神の社内に這入って、陰気な臭橘寺の角を曲がって帰る。しかし
湯島天神の社内に這入はいって、陰気な臭橘寺の角を曲がって帰る。
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、それとも小山のようにでもなっているか、岩崎の邸の中に這入って見たことのない僕は、今でも知らないが
そのころから無縁坂の南側は岩崎の邸であったが、まだ今のような巍々たる土塀で囲ってはなかった
に、まだ行って見ないでいたのか。向いの岩崎の邸の事なんぞを思えば、同じ内にいるようなものだぜ。今から
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、僅かに丸の内の櫓に残っている位のもので、上野の動物園で獅子や虎を飼って置く檻の格子なんぞは、あれよりは※かに
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上野公園に行って、丁度日蔭になっている、ろは台を尋ねて腰を
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てはいなかったが、脚が達者で縦横に本郷から下谷、神田を掛けて歩いて、古本屋があれば足を止めて見る。そう
まだ大学医学部が下谷にある時の事であった。灰色の瓦を漆喰で塗り込んで、碁盤
とにかく学校が下谷から本郷に遷る頃には、もう末造は小使ではなかった。
と、大違いだぞ。おや。もう蚊が出やがった。下谷はこれだから厭だ。そろそろ蚊屋を吊らなくちゃあ、かかあは好いが、
同意して、一しょに蓮玉庵へ引き返した。その頃下谷から本郷へ掛けて一番名高かった蕎麦屋である。
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、べらべらした着物を着ていた人よ。あれが千葉の病院へ行っているが、まだ己の方の勘定が二年や三
れて、今晩あたり来るように云って置いたが、ちょいと千葉へ往かなくてはならない事になったのだ。話が旨く運べば
に返して遣ったのである。邪魔になる末造は千葉へ往って泊る。女中の梅も親の家に帰って泊る。これから
思われる程、逡巡していたが、けさ末造が千葉へ立つと云って暇乞に来てから、追手を帆に孕ませた舟
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そうでないときは遠足をする。競漕前に選手仲間と向島に泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣
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粟餅の曲擣をしている店の前を通って、神田明神の境内に這入る。そのころまで目新しかった目金橋へ降りて、柳原の
で殺される話で、それを談話体に訳した人は神田孝平さんであったと思う。それが僕の西洋小説と云うものを読ん
いなかったが、脚が達者で縦横に本郷から下谷、神田を掛けて歩いて、古本屋があれば足を止めて見る。そう云う時
その頃神田明神前の坂を降りた曲角に、鉤なりに縁台を出して、古本
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のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある広小路、狭い賑やかな仲
、僅かに丸の内の櫓に残っている位のもので、上野の動物園で獅子や虎を飼って置く檻の格子なんぞは、あれよりは
植えてある所に打水をして、煙草を喫みながら、上野の山で鴉が騒ぎ出して、中島の弁天の森や、蓮の花
もう上野の山をだいぶはずれた日がくわっと照って、中島の弁天の社を真っ赤
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ちょいちょい古本屋の店を覗いて歩く位のものであった。上野広小路と仲町との古本屋は、その頃のが今も二三軒残っている。
上野広小路は火事の少い所で、松源の焼けたことは記憶にないから、今
上野広小路と仲町との古本屋は、その頃のが今も二三軒残っている。
上野広小路は火事の少い所で、松源の焼けたことは記憶にないから
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いる。もう六十幾つとかになるが、綺麗好きで、東京中を歩いて、新築の借家を捜して借りるが、少し古びて来ると
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で来たのだと云うことだったが、もう今頃は銀座辺でざらに売っているに違ない。芝居なんぞに好くある奴で、
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末造は又どこを当ともなしに、淡路町から神保町へ、何か急な用事でもありそうな様子をして歩いて行く
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の事を思い出した。あの頃は亡くなった父が秋草を北千住の家の裏庭に作っていたので、土曜日に上条から父の所
僕は或る日曜日の夕方に、北千住から上条へ帰って来た。書生は皆外へ出ていて、下宿屋
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阿茶の局の話を聞せて貰い、広小路に出来た大千住の出店で買ったと云う、一尺四方もある軽焼の馳走になった
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藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。
お玉は不忍の池の畔ほとりを、晴やかな顔をして歩いている。
切角せっかくの不忍の池に向いた座敷の外は籠塀かごべいで囲んである。
「この看板を見ると、なんだか不忍の池の肴を食わせそうに見えるなあ」
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僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条と云う下宿屋に、この話の主人公と
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今春木町から衝つき当る処ところにある、あの新しい黒い門が出来たのである。
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赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅の曲擣をしている店の前を通って、
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赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅の曲擣をしている店の前を通って、
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僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条と云う下宿屋に、この話の主人公と
鉄門は早く鎖されるので、患者の出入する長屋門から這入って抜けるのである。
岡田は丁度鉄門の真向いになっている窓を開けて、机に肘を衝ついて、暗い外の方を見ている。