山椒大夫 / 森鴎外
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越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳を踰え
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て二人は幾日か舟に明かし暮らした。宮崎は越中、能登、越前、若狭の津々浦々を売り歩いたのである。
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母親がすわると、二人の子供が左右からすがりついた。岩代の信夫郡の住家を出て、親子はここまで来るうちに、家の中
生まれたわたくしと、三つになる姉とを連れて、岩代の信夫郡に住むことになりました。そのうちわたくしが大ぶ大きくなったの
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は幾日か舟に明かし暮らした。宮崎は越中、能登、越前、若狭の津々浦々を売り歩いたのである。
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廻って、丹後の由良の港に来た。ここには石浦というところに大きい邸を構えて、田畑に米麦を植えさせ、山では
厨子王が登る山は由良が嶽の裾で、石浦からは少し南へ行って登るのである。柴を苅る所は、麓から
立って、南の方をじっと見ている。目は、石浦を経て由良の港に注ぐ大雲川の上流をたどって、一里ばかり隔っ
立って大声に言った。「これへ参ったのは、石浦の山椒大夫が族のものじゃ。大夫が使う奴の一人が、この山に
あくる日に国分寺からは諸方へ人が出た。石浦に往ったものは、安寿の入水のことを聞いて来た。南の方
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宮崎が舟は廻り廻って、丹後の由良の港に来た。ここには石浦というところに大きい邸を構え
に取られて、母は佐渡へ、姉とわたくしとは丹後の由良へ売られました。姉は由良で亡くなりました。わたくしの持って
その年の秋の除目に正道は丹後の国守にせられた。これは遙授の官で、任国には自分で
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上った厨子王は、僧形になっているので、東山の清水寺に泊った。
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自分は岩代のものである。夫が筑紫へ往って帰らぬので、二人の子供を連れて尋ねに往く。姥竹は
さてここまでは来たが、筑紫の果てへ往くことを思えば、まだ家を出たばかりと言ってよい。
を待って小屋に帰れば、二人は手を取り合って、筑紫にいる父が恋しい、佐渡にいる母が恋しいと、言っては泣き、泣い
二人に言った。「父母は恋しゅうても佐渡は遠い。筑紫はそれよりまた遠い。子供の往かれる所ではない。父母に逢いたいなら
は構わないで、お前一人で逃げなくては。そしてさきへ筑紫の方へ往って、お父うさまにお目にかかって、どうしたら
中山を越して往けば、都がもう近いのだよ。筑紫へ往くのはむずかしいし、引き返して佐渡へ渡るのも、たやすいことではない
くれ。神仏のお導きで、よい人にさえ出逢ったら、筑紫へお下りになったお父うさまのお身の上も知れよう。佐渡へお母
というものの子でございます。父は十二年前に筑紫の安楽寺へ往ったきり、帰らぬそうでございます。母はその年に
た永保の初めに、国守の違格に連座して、筑紫へ左遷せられた平正氏が嫡子に相違あるまい。もし還俗の望みが
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、身の上を打ち明けて、姉妹の誓いをした。これは伊勢の小萩といって、二見が浦から買われて来た女子である。
もいいから、わたしの言うことをよくお聞き。小萩は伊勢から売られて来たので、故郷からこの土地までの道を、わたしに
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乗り移らせた。移らせて引く大夫が手に、宮崎も佐渡も幾緡かの銭を握らせたのである。
母親は佐渡に言った。「同じ道を漕いで行って、同じ港に着くのでござい
二人の船頭はそれきり黙って舟を出した。佐渡の二郎は北へ漕ぐ。宮崎の三郎は南へ漕ぐ。「あれあれ」と
姥竹は佐渡の二郎に「もし船頭さん、もしもし」と声をかけていたが、佐渡
佐渡の二郎は牽※を引き出して、母親をくるくる巻きにして転がした。そして
、二人は手を取り合って、筑紫にいる父が恋しい、佐渡にいる母が恋しいと、言っては泣き、泣いては言う。
小屋にはいって二人に言った。「父母は恋しゅうても佐渡は遠い。筑紫はそれよりまた遠い。子供の往かれる所ではない。父母
越後まで出ますと、恐ろしい人買いに取られて、母は佐渡へ、姉とわたくしとは丹後の由良へ売られました。姉は由良で
しておいて、特に仮寧を申し請うて、微行して佐渡へ渡った。
佐渡の国府は雑太という所にある。正道はそこへ往って、役人の
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中山の国分寺の三門に、松明の火影が乱れて、大勢の人が籠み入っ
あくる日に国分寺からは諸方へ人が出た。石浦に往ったものは、安寿の入水