かのように / 森鴎外
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元気附いて来た秀麿が、途中からよこした手紙も、ベルリンに著いてからのも、総ての周囲の物に興味を持っていて書い
たので、始てなる程と悟った事や、それからベルリンに著いた当時の印象を瑣細な事まで書いてあって、子爵夫婦を面白
ヨオロッパではベルリンに三年いた。その三年目がエエリヒ・シュミット総長の下に、大学
松明を手に持って、松明行列の仲間に這入って、ベルリンの町を練って歩いた。大学にいる間、秀麿はこの期にはこれ
ベルリンにいる間、秀麿が学者の噂をしてよこした中に、エエリヒ・シュミット
木の枝は硝子で包んだようになっています。ベルリンのウンテル・デン・リンデンと云う大通りの人道が、少し凸凹のある鏡のようになってい
だとばかり思っていますから、花見はいたしません。ベルリンから半道ばかりの、ストララウと云う村に、スプレエ川の岸で、桜の沢山
暑い夏も過ぎた。秀麿はお母あ様に、「ベルリンではこんな日にどうしているの」と問われて、暫く頭を傾け
ても周囲の事情が許しそうにないと云う認識は、ベルリンでそろそろ故郷へ帰る支度に手を著け始めた頃から、段々に、或る液体
て、パリイにいた。秀麿がマルセイユから上陸して、ベルリンへ行く途中で、二三日パリイに滞在していた時には、親切に
見物やら、時間を吝まずに案内をして歩いて、ベルリンへ行ってから著る服まで誂えさせてくれた。
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の女芸人が種々の楽器を奏する国際的団体の事や、マルセイユで始て西洋の町を散歩して、嘘と云うものを衝かぬ店で
綾小路は先へ洋行して、パリイにいた。秀麿がマルセイユから上陸して、ベルリンへ行く途中で、二三日パリイに滞在していた
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新橋へ著いた日の事であった。出迎をした親類や心安い人の