歴史其儘と歴史離れ / 森鴎外
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寺へ流された。妻は二人の子を連れて、岩代の信夫郡にゐた。二人の子は姉をあんじゆと云ひ、弟を
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弟は中山国分寺の僧に救はれて、京都に往く。清水寺で、つし王は梅津院と云ふ貴人に逢ふ。梅津院は七十を越して子
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書く時なぞは、ずつと後の立正安国論を、前の鎌倉の辻説法に畳み込んだ。かう云ふ手段を、わたくしは近頃小説を書く時全く斥け
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母子主従を二人の船頭に分けて売つた。一人は佐渡の二郎で母とうば竹とを買つて佐渡へ往く。一人は宮崎の三郎
。一人は佐渡の二郎で母とうば竹とを買つて佐渡へ往く。一人は宮崎の三郎で、あんじゆとつし王とを買つて丹後の
、あんじゆとつし王とを買つて丹後の由良へ往く。佐渡へ渡つた母は、舟で入水したうば竹に離れて、粟の鳥
にせられて、陸奥守兼丹後守になる。つし王は佐渡へ渡つて母を連れ戻し、丹後に入つて山椒大夫を竹の鋸で挽き殺さ
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一人は宮崎の三郎で、あんじゆとつし王とを買つて丹後の由良へ往く。佐渡へ渡つた母は、舟で入水したうば竹に
丹後守になる。つし王は佐渡へ渡つて母を連れ戻し、丹後に入つて山椒大夫を竹の鋸で挽き殺させる。山椒大夫には太郎、
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て責め殺される。弟は中山国分寺の僧に救はれて、京都に往く。清水寺で、つし王は梅津院と云ふ貴人に逢ふ。梅津院
なるにはいかがはしいと云ふ事である。しかしつし王に京都で身を立てさせて、何年も父母を顧みずにゐさせるわけに
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を逃がして、跡に残つて責め殺される。弟は中山国分寺の僧に救はれて、京都に往く。清水寺で、つし王は梅津院
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地の文はこれまで書き慣れた口語体、対話は現代の東京語で、只山岡大夫や山椒大夫の口吻に、少し古びを附けただけ