右門捕物帖 16 七化け役者 / 佐々木味津三
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雲州松平、伊予松平ならびに池田備前侯、長州の毛利、薩摩の島津、といったようなお歴々が参覲交替のためにご出府なさるときは
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を千両いたぶったのは、むろん高飛びの路銀。――蝦夷へでも飛ぼうと思ったところを、とうとう運のつきに、だんなさまのお
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ほど経て、相前後しながら駆けもどってくると、善光寺のお公卿さまがまず一つ報告いたしました。
。――だが、われらの名人の配下には、善光寺の辰という忘れてならぬ投げなわの名手がいたはずです。
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一つちょっぴり、この辺できってやったら、よし江戸と名古屋と東西百里の隔たりはあっても、広大無辺なその名声に、少しはびっくり
とうとう江戸を売り、少しばかりの芸ごとを看板にして、名古屋表のこの一座の群れにはいっているうちに、お喜久といった茶屋女
のご余興の上覧狂言に、尾州様があっしたち一座を名古屋のお城にお招きくだせえましたので、なにげなくお伺いして
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西条流鏑矢のその弓師、名は六郎左衛門。住居は牛込の河童坂――士官学校があったあの横の坂ですが、河童がここ
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の伊達中将、中仙道口は越前松平侯に加賀百万石、東海道から関西へかけては、紀州、尾州、ご両卿に伊勢松平、雲州松平
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中将、中仙道口は越前松平侯に加賀百万石、東海道から関西へかけては、紀州、尾州、ご両卿に伊勢松平、雲州松平、伊予
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勃発いたしましたのは、五月のちょうど晦日。場所は江戸第一の関門である品川の宿、当今の品川はやけにほこりっぽいばかりで
きた旅人には、ほっと息をつくやれやれの宿、江戸をあとに旅立つ者には、泣きの涙の別れの関所――。古い川柳
啖呵を一つちょっぴり、この辺できってやったら、よし江戸と名古屋と東西百里の隔たりはあっても、広大無辺なその名声に、少し
「ほう。江戸の兄いがまた荒れもようだな」
いくら尾州様がご三家のご連枝だからって、江戸へ来りゃ江戸の風がお吹きあそばすんだッ。しかるになんぞや、迷惑だ
様がご三家のご連枝だからって、江戸へ来りゃ江戸の風がお吹きあそばすんだッ。しかるになんぞや、迷惑だから手を
だてにけんつくを食わしたんじゃねえか。どうだい、江戸の兄い。それでもまだ駕籠にやはええのかい」
たところは、むろんのことに、今、名人がいった江戸にただ一人しかないという西条流鏑矢のその弓師、名は六郎左衛門。
が、駿河屋のおやじからは勘当うけるし、せっぱ詰まってとうとう江戸を売り、少しばかりの芸ごとを看板にして、名古屋表のこの一座の群れ
あぶねえと思いましたんで、さっそく一座を勧めて、この江戸へやってめえったんでごぜえます。するてえと、因果なこっちゃござん
、あっしのあとを追っかけるように、お喜久の方さまともども江戸へお越しと人づてに聞いたんで、見つかりゃあっしの昔の素姓を知って
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のご内命こうむりまして、お出迎えご警固に参りました八丁堀の同心、役儀のある者でござりましてものぞいてはなりませぬか」
ことかまたぼんくらばかり。いわゆる巻き羽織衆と称して、およそ八丁堀にお組屋敷を賜わっているほどの町方同心ならば、いずれも羽織のすそを
「ちぇッ。しようのねえだんなだな。八丁堀へけえるんだったら、そっちゃ方角ちげえですよ。そんなほうへやっていったら
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そろ夏枯れどきにへえりかけたためか、願いを出したな両国河岸に中村梅車とかいうのがやっぱり一座きりだそうですがね、尾州から下
「そうか! 尾州下りと聞いちゃ、犯人ゃその両国にちげえねえ。じゃ、例の駕籠だッ」
かくて、前後三丁、景気よく乗りつけたところは、両国河岸の中村梅車なる一座です。時刻はちょうど昼下がりの八ツ手前――。今
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が、東北路は山形二十万石の保科侯に、それから仙台六十四郡の主の伊達中将、中仙道口は越前松平侯に加賀百万石、
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と申しますと少しく異様に聞かれますが、東北路は山形二十万石の保科侯に、それから仙台六十四郡の主の伊達中将、中仙道
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もいいような、場末の町ですが、このお時代の品川となると、いろいろな点から、なかなかふぜいのあったもので、上方から
場所は江戸第一の関門である品川の宿、当今の品川はやけにほこりっぽいばかりで、さざえのつぼ焼きのほかは、あってもなく
五月のちょうど晦日。場所は江戸第一の関門である品川の宿、当今の品川はやけにほこりっぽいばかりで、さざえのつぼ焼きのほか
「品川で遺言をする伊勢参り――」
者は例のおしゃべり屋伝六です。おりからの夕なぎに、品川あたり一帯の海面は、まこと文字どおり一望千里、ところどころ真帆片帆を絵のよう
将軍家が東北路は小菅、中仙道口は白山、東海道口は品川までわざわざお出迎えにお越しなさったもので、しかしあいにくこのときは二、
いたってのごきげんで、おそくも夕景六ツ下がりまでには品川の宿へご参着のご予定、という宿役人からの急飛脚がござい
まこと前代未聞といってもいい不審きわまりない事件が、突如この品川宿において勃発いたしました。そのまた事の起こりが、じつは尋常
がございますが、いずれにしても、このお時代の品川は、むしろ当今よりもずっと繁盛していたくらいのもので、しかるに
、叫ぶ声、駆けこう足音、五十三次やれやれの宿の品川浜は、思わぬ珍事に煮えくり返るような騒ぎとなってしまいました。
その一法でしたが、しかるにからめて吟味そのものはすでに品川表のあの一条のごとく、無念ながらご三家ご連枝の威権によっ
まんまでもいただいて、ゆるゆると出かけようじゃねえか。さっき品川でかに酢をどうとかいったっけが、ありゃどうしたい」
ただいま尾州家より家老をもって内々のお申し入れこれあり、品川宿の一条に対する詮索詮議は爾今無用にされたしとの
いきやがった駕籠っていうのが、ちっと変ですぜ。きのう品川宿でくせ者大名が乗り拾てていったあの駕籠みてえに、金鋲打っ
つけねえのがあたりまえじゃねえか。それとも知らず、品川表の出があんまり大きすぎたんで、尾州様を相手に取っ組むからにゃ
ているんじゃねえんだ。なんのために、恐れ多くも品川宿で、あんなだいそれたまねしやがったんだッ。手間を取らせずと