右門捕物帖 04 青眉の女 / 佐々木味津三
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。小笠原豊前守お城下で名物の高価なからすみ。越前は能登のうに。それに、三州は吉田名物の洗いこのわた。――どうしたって
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大濠に水鳥鳴く沈黙をたたえて、そこから駕籠は左へ番町に曲がると、ひたひたと大江戸城の外廓に出ぬけてまいりました。
たものでしたから、男まえといい、貫禄といい、番町あたりの大旗本とでも目きき違いをしたのでしょう。四十五、六の
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加え、桜田御門のあたり春意ますます募り、牛ガ淵は武蔵野ながらの大濠に水鳥鳴く沈黙をたたえて、そこから駕籠は左へ番町に曲がる
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なって駆け込み訴訟をしたんだそうですが、だんなは牛込の二十騎町の質屋の子せがれが、かどわかされたって話お聞きになり
「知れたこと、牛込の二十騎町といや、ともかくも二本差ばかりの、ご家人町じゃござん
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はない。小笠原豊前守お城下で名物の高価なからすみ。越前は能登のうに。それに、三州は吉田名物の洗いこのわた。――どう
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なじみのおしゃべり屋伝六とともに、前節の忍の城下から江戸へ引き揚げてまいりまして約半月後の六月初めのことでございましたが
、でね、今いったとおり、あっしだってもこの広い江戸のみなさまから、むっつり右門のだんなの一の子分だとかなんだと
、かくもみごとな味をもたせる腕まえは、どうして江戸随一じゃ。これからもちょいちょいやっかいかけに参るによって、よく顔を覚えて
「じゃ、もうようござんす! あっしも江戸の岡っ引きだ、手を貸してやろうっていったって頼むことじゃねえんだから、
んですよ。むっつり右門といや、南蛮幽霊事件からこのかた、江戸でもやかましいだんなだが、それにしては、子分のおれがどじを踏む
たって、そんな珍しい上できのお大黒さまなんてものは、たとえこの江戸が百里四方あったにしても、二つとある品じゃないのでござり
ましたが、そのときはもう夜番の音も遠のいて、江戸山の手の春の夜は、屋根の棟三寸下がるという丑満に近い刻限
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人を食ったあいさつをしたばかりではなく、ほんとうに八丁堀めがけてさっさと帰りかけたものでしたから、伝六のかんかんにおこってしまったのは
「いや、刀ではない。わしは八丁堀の者じゃ」
、やっぱり大黒さまはてまえのうちのものですぜ。ねえ、八丁堀のだんな、そうなんでがしょう」
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ましょうか。お刀ならばあいにくと新刀ばかりで、こちらは堀川の国広、まず新刀中第一の名品でござります。それから、この少し短い
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出入りの源公というやつなんだそうでがすよ。下谷の仲町に住んでいて、おくやま(浅草)の掛け小屋しばやと
ごわせんか。今のそのほしの居どころは下谷ですよ、下谷の仲町ですよ!」
ちゃ方角違いじゃごわせんか。今のそのほしの居どころは下谷ですよ、下谷の仲町ですよ!」
今でなくとも逃げやしねえじゃごわせんか! 下谷のほうはいっときを争うってだいじなどたん場ですよ。また夢中になって、
むきになって下谷を目がけて駆け去りましたが、それすらも右門には耳にはいったか
手を引いちまっちゃいかにも残念と思いやしたからね、下谷のあのほしはもう見切りをつけて、すぐにもういっぺん二十騎町の質屋
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がすよ。下谷の仲町に住んでいて、おくやま(浅草)の掛け小屋しばやとかの道具方をやっているというねたが
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に質屋のほうでは、あくまでもその金の大黒さまを日本橋だかどこかで買ったものだというんでね。とうとうそれが争い
刀傷のあるおやじの神だなで消えてしまい、反対に日本橋の人形町で見つけてきた別のどろ大黒が、質屋の神だなに
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あるおやじの神だなで消えてしまい、反対に日本橋の人形町で見つけてきた別のどろ大黒が、質屋の神だなに飾られ
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で、しかも嫡子なる質屋へくれた少年を召し連れて、宗家大久保加賀守のところへ出頭するについては、あの茶わんの中でたわいも
のでした。そこへ新規八百石にお取り立てという宗家大久保加賀守からのご内意があったものでしたから、青まゆの女の
歴は三河以来の譜代でもあり、かたがた一族中には大久保加賀守のごとき名門と権勢があったものでしたから、ご当代家光公
という一語に尽きていましたものでしたから、大久保甚十郎一家は、ならわしどおり秩禄召し上げ、お家はお取りつぶしということになり
だので、三河侍の気風を最後に発揮して、大久保甚十郎といったその旗本は、当時はまだご二代台徳院殿公
した二千石取りの大旗本でありました。しかも、大久保加賀守の血につながる一族で、ちょうどこの事件のあった十年まえ、
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事件のあった十年まえ、あれなる青まゆの女を向島の葉茶屋から退かして正妻に直したころから、しだいにその放埓が重なり、
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ゆうゆうとうたいながら、京橋めがけてやって参りましたようでしたが、そこの橋のたもとについ
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宵はこのときに及んでようやく春情を加え、桜田御門のあたり春意ますます募り、牛ガ淵は武蔵野ながらの大濠に水鳥鳴く沈黙を