飢餓地帯を歩く ――東北農村惨状報告書―― / 下村千秋
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西の方の、北津軽郡の車力村、稲垣村、西津軽郡の相内、内潟、武田の村々の百姓達は、布団と名のつくものは一枚
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私は、御堂村を訪ねた翌日の午後、二戸郡の小鳥谷村の山合いの部落へ入り、ある山裾にあった炭焼小屋の老爺と話し
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岩手県下は、この岩手郡を始め、二戸郡、八戸郡の大部分、下閉伊郡、上閉伊郡、和賀郡の一部分が、飢餓地帯と
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の御堂村という部落へ入って行った。ここは、盛岡市から北へ一時間ほど乗り、沼宮内という小駅で降りて、更らに徒歩
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先ず、岩手県下で最もひどかったという地方――岩手県の御堂村という部落へ入って行った。ここは、盛岡市から北へ一時間ほど乗り
私は、御堂村を訪ねた翌日の午後、二戸郡の小鳥谷村の山合いの部落へ入り、ある
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以後は、当分無漁となる。しかも、今までは年々、北海道から何百人とまとめて、漁夫を刈り出しに来たが、今年はてんで来
(尚、秋田県北海道の惨状も記す筈であったが、紙面の都合で割愛する。其惨状は
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一部であるが、私が踏み入ったのは、この海岸より八甲田山の方へ六七里入った平野の村であった。岩手県には僅か三四寸
ほどに積っていて、遙か北の空を区切っている八甲田山は、麓まで真白に輝いていた。
の落葉松の梢が美しく連なり、その彼方には、銀色の八甲田山がなだらかに走っていて、私は、思わず言葉に出した。
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そこは、青森市から、乗合自動車で三時間ほど、陸奥湾を右に見ながら、泥と雪の
「実は今日は、娘を、青森市のごけ屋(私娼の家)へ置いて来たのです」という意味を
翌日の夜、私は、この老婆の娘を訪ねるために青森市の私娼窟へ入って行ったのであった。粉雪が降っては止み、降っ
彼女の父親は、村と、青森市とを往復して相当手広い商売をしていた。雑貨の卸し商であっ
。そして、各方面の不義理はそのままにして、単身、青森市へ飛び出してしまった。
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この、娘を売る哀話は、青森県の津軽半島へ入ってから実際に聞きもし見もし、私は、その売られた娘と
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め……なア! おかみさん、わしも一人の息子を満洲の兵隊へ出しているだが、こないだも手紙で言ってやっただ。国
同じ村内に、たった六銭の金がないばかりで、満洲へ出征している息子からの手紙を見損ったという老父のあることも
やした。ほんとの話かどうか、何んでも満洲の兵隊は、一人について、歯ブラシが二十本も渡ったり、キャラメルが十
たが、葬式を出す金がまるで無いばかりか、それを満洲の兄へ知らせる手紙を送ることも出来なかった。満洲の兄は、この
満洲の兄へ知らせる手紙を送ることも出来なかった。満洲の兄は、このことを、ある新聞の記事に依って知り、一人声を
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三本木町までは軽便があったが、それから七戸町、浦野館村へ行くには乗合自動車しかなかった。しかし私は村々を一つ
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ほどの原始的であることに驚いたのであったが、青森の百姓達も、これほどなのかと、再び驚かずにはいられ
ねばならぬが、同時に、この機会に、岩手、青森の百姓達の生活が、この年まで、いかに原始的な惨めな生活に虐げ
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な生活は、いやというほど見て来た。また、東京へ出てからは、暗黒街にうごめく多くの若い女達、失業者街にうろつく
「その娘は、今、東京の方へ行ってます。この村からは、紡績へ出る娘がずいぶん多い
手附金で、一人の娘が売られて行くと、東京の新聞にはあったが、それは新聞のよたであった。いかに