長崎の鐘 / 永井隆
地名一覧
地名をクリックすると地図が表示されます
誰も返事をしない。この大阪の考えていることにうすうす気づいていないでもないのだが、しかし祖国
「級長、どうなるんやろ、戦争は」大阪がしつこく繰り返した。
まで僕の本分を尽くすばい」藤本が決然といい放った。大阪は納得しなかった。そこへ大きな角材をかついで副級長がやって来た
地名をクリックすると地図が表示されます
ご飯がうまくないと聞けば、患家でくれた二つの山梨をポケットへ入れて帰る。注射薬を捜しに往復六里の山道を長崎まで
地名をクリックすると地図が表示されます
「オーストリア人だ。研究したのはコペンハーゲンでだ。やっぱりヒトラーから追われた学者の一人だ。ハン博士の助手だった
地名をクリックすると地図が表示されます
大山という地区は長崎港の南、八郎岳の山腹にあって、浦上から八キロ離れている。ここから望むと、浦上
地名をクリックすると地図が表示されます
十四日。畦別当、川床、飛田、小谷の諸地区、行程九キロ。路は羊腸の小径とまでゆかないが山腹を
地名をクリックすると地図が表示されます
ここからは浦上が西南三キロのやや斜め下に見おろされる。浦上の美しい町と丘の上に、真夏の太陽はこともなげに輝いて
地本さんはこわごわ首をもたげた。やった。浦上だ。浦上の天主堂の上あたりに、つい今までなかった大きな白煙の塊が浮かんでいて
さんが肝をつぶしたことには、その白煙の下の浦上の丘を山原をこちらへ向けて猛烈な勢いで寄せてくる一つの浪
古江さんは道ノ尾から浦上へ帰る途であった。ちょうど兵器工場の前を自転車で走っているとき、
浦上から七キロ離れた小ヶ倉国民学校の職員室で、田川先生は防空日誌に今朝
高見さんは牛をひいて木場へ帰ろうと浦上から二キロの踊瀬の道を歩いていて、「ぴか」にやられた
や吉田さんや井上さんがしゃがんで草をとっている。浦上の丘の段々畑には、空襲の切れ間のしばしを利用して草とりをして
八月九日午前十一時二分、浦上の中心松山町の上空五百五十メートルの一点に一発のプルトニウム原子爆弾が爆裂し
爆心地の残留放射能の影響はどうであるか。爆裂当時浦上にいないでなんら損傷を受けず、いわゆるぴかをも受けていない人々
地名をクリックすると地図が表示されます
原子かもしれんとも考えられる。この方面の第一人者、ローマのフェルミが米国へ渡っているという話だから」
ものであればね。その思想はもう二千年も前にローマで批判し尽くされた原始民的国家神道ですよ」
地名をクリックすると地図が表示されます
動かない。その中を脈打つような蝉の声が向こうの山王神社の大楠から流れてくる。
地名をクリックすると地図が表示されます
。ひょいと頭をあげたら、松山町の上あたり、大体稲佐山の高さぐらいの青空に、一点の赤い火の玉を見た。目を射る
ないではないか? あの湧き上がる青葉に埋まっていた稲佐山は赤ちゃけた岩山と変わっているではないか? 夏の緑という緑
にひろがった魔雲は赤くあやしく輝いている。西のほう稲佐山の上のみがわずかに空をすかせて、三日月が細く鋭く覗いている。
地名をクリックすると地図が表示されます
長崎市の北に美しい三連峯の蒼山が聳えていて、地図の上では黒岳
地名をクリックすると地図が表示されます
長崎の鐘
先生の叫びに職員室じゅうの先生がたは窓へ走り寄った。長崎の浦上あたりの上空に一点の白雲があらわれ、それが横のほうへ
た。目の前に小さな山裾があって、その上に長崎港の空が青かった。その青空が瞬間さっと輝いたのである。
八キロ離れている。ここから望むと、浦上の盆地は長崎港のさらに向こうにうっすら霞んで見える。加藤君は牛をつれて草原に
大山という地区は長崎港の南、八郎岳の山腹にあって、浦上から八キロ離れている
研究所へ血清製造法を習いに出張するところだった。いよいよ長崎籠城の日が近まり、こんな方面にも急いで準備をせねばなら
「長崎はいつ見てもきれいですねえ」
「私はなんだか長崎がなくなりそうな気がする」
「私はなんだか長崎だけは残りそうな気がする」
入れて帰る。注射薬を捜しに往復六里の山道を長崎まで出かける。
、原子爆弾熱傷の瘢痕はほとんど全部が蟹足腫を形成した。長崎市内を歩いていると、顔や手などが桃色に盛り上がり、てらてら光り、
爆撃が出来ず、突然予定を変更して予備目標たりし長崎に落すこととなったのであり、しかも投下時に雲と風との
地名をクリックすると地図が表示されます
「一体全体、戦況はどうなんだろう」鹿児島中学から来たのがいう。
地名をクリックすると地図が表示されます
「新型爆弾だぞ、例の広島の」史郎の声。
地名をクリックすると地図が表示されます
、まだ敵機は続いて急降下爆撃をしていたが、上野はその弾の落ちてくる中で「おーい、敵機頭上通過、大丈夫、出
に運ばれてゆく。ラジウム室の前で医専三年の上野君にあう。この男はなかなか勇敢だ。この間の空襲で、婦人科から
「がんばれよ」と、私は礼を返しながらいった。上野は、はにかんで頭をかいた。
、私は十月で三ツ山救護班を閉鎖すると、爆心地上野町に壕舎を建てて、その中での生活を始め、周囲を注意深く
私は、爆心地に近い上野町に一坪あまりのトタン小屋を作ってもらい、それに入った。裏
地名をクリックすると地図が表示されます
が、風を入れて休んでいた。二人はこれから東京の伝染病研究所へ血清製造法を習いに出張するところだった。いよいよ長崎籠城
「二か月あとで私たちが東京から帰ってきた時、やっぱりこのままでしょうか」
厳粛なひとときである。げにさもありぬべし、まさにこの時刻東京大本営において天皇陛下は終戦の聖断を下したもうたのであった。地球
地名をクリックすると地図が表示されます
戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかったわが浦上教会こそ、神の祭壇に献げらるべき唯一の潔き羔ではなかったでしょうか