京阪聞見録 / 木下杢太郎
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直角に歩いて思案橋、博物館、農人町、住吉町の通りから道頓堀に出て、それから中の島まで引返した。大阪の河岸の印象は東京
の爲に働いて居るのである。だから千日前でも道頓堀でも、束京の淺草、京都の京極其他などに見られない一種の
道頓堀へ出たら辨天座の前が大變賑かだつたから又はひつて見たく
昨日午後道頓堀の通りを何か化粧品の廣告の囃が通つた。それが柳か
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東京ことば、大阪、京都、伊勢、中國邊の方言の雜ぜ合せにドス、オマス、ナアなど
昨日は大阪へ來て一日暮した。それまでは毎日雨で芥舟學畫篇だの沈
から道頓堀に出て、それから中の島まで引返した。大阪の河岸の印象は東京とは大分違ふやうだ。ちよつと話した丈では
大阪の河岸は夏は黄ろい羽目板と簾とで持ち切つて居るのである
拔けてゆく。橋の上でスケツチなどは到底出來ない。大阪の橋は皆西洋工學以前の代物と見えて、鐵の欄干の橋で
わけの有る事だらう。――江戸の浮世繪は現に大阪に於ては東京に於けるよりも似つかはしい。それから又大阪を漫歩するのは京都
現に大阪に於ては東京に於けるよりも似つかはしい。それから又大阪を漫歩するのは京都を歩くより愉快だ。京都は常に多くの漫遊者
やうな粗い對照も少くは無い。夫れに反して大阪はいかにも古風の老舖の如く、古いままで固まつてゐる。
た。昨日は曇天が燻銀の色調であつた。神戸から大阪までの平原の間に、枯草と青草との心臟を冷すやうに氣持の
昨日大阪へ來たらちやうど醫學會大會といふのがあつたから、こつそり忍び込んで此
それからそこを出て復大阪の市街を歩いた。大阪通の君が一緒に居たら、更に、視感
通の君が一緒に居たら、更に、視感以上の大阪に侵入することが出來て愉快であつたらう。
大阪にはうち見る所一種類の階級しかない。と云ふと餘り誇張に流れるが
廣の會社員である。人の話に、官吏なども大阪へ來ると往々商賣人に化つてしまふと云ふ事である。
が多く、だだ廣くて直きに可厭になるが、大阪に至つては街區のどの一角を仕切り取つても活溌な生活の斷片を掴む
爲めに市の計を爲してゐるやうに見えるが、大阪は、また其一見不愛想な商人の如く、他には構はないでひたすら
のだ。たとへばその街區の數多き飮食店の如きも大阪見物の他郷人よりも同じ町の人の氣散じに便利に出來て居るやう
戲場と視官を刺すやうな色斑らな看板繪――大阪にはまだ淺草のやうに安いペンキ繪は入つて居ない――三味線、太鼓
短い時間で成る可く廣く大阪を見ようと云ふ欲望から、一刻も休まず歩き、出來るだけ興行物と云ふやう
見たくなつた。中々幕が開かなかつた。開いたら大阪の觀客に媚びる東京芝居の仕出しで一向つまらなかつたから直ぐそこから出
や太鼓でちんからころりとやつて行く所は、流石は大阪と大に感心した。萌葱の短い前垂の女中が後ろを振り返つてそれ
漫歩者の情調」に襲はれた。唯それ丈でも大阪は好である。況んや汽車に乘り合はせる人、煙草の火を借
今日の午過ぎ大阪の圖書館へ入つて見た。借りようと思つた本は皆、ちやうど特別
顏付をしている女であつた。予はその人から大阪見物の感想を聞くことを得たが、大阪へ來ると自分はもう隱居しよう
その人から大阪見物の感想を聞くことを得たが、大阪へ來ると自分はもう隱居しようと云ふ氣は全く無くなつて、人は死ぬ
てくれたので會得する事ができた。東京から大阪へ來ると東京の商業はまるで子供の惡戲だと云ふやうな氣がする
だと云ふやうな氣がするといふ事から説き起して、大阪の人の時を愛しみ、金を崇ぶ事を語り、(不幸にして
、(不幸にして折角の名を逸したが)或大阪の(恐らく日本一だらうと云はれてゐる)一老株屋の店の印象を語つ
、即ちそれ丈人の金を融通しておくのである。大阪に至つては厘錢の微もきちんきちんと始末し盡くすと云ふ事である。若し
と始末し盡くすと云ふ事である。若し東京の人が大阪へ出て商賣するやうな時には極めて正直にしなければならぬ。
予は、大阪の演藝類の見物の廉價であると云ふ事を以て之に應じ
た。奈良、堺などはどうでも可いがもつと深く大阪を味はひたかつた。少くとも鴈治郎の藝を東京座の花道や
藝を東京座の花道や猿之助との一座などでなく、大阪のあの舊式な劇場の空氣の中で見物したいものであつた。
京都や大阪の町、及びそこの形態的生活は友禪的に色斑らに、ちやうど抱一
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京町から平野橋、それから今迄の道に直角に歩いて思案橋、博物館、農人町、住吉町の通りから道頓堀に出て、それから中の島
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東京ことば、大阪、京都、伊勢、中國邊の方言の雜ぜ合せにドス、オマス、ナアなどといふ語尾を
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しめ、その思付が謠曲によくある物語の風(たとへば道成寺の前のシテの白拍子の後のシテなる――事實上は時間的に以前の
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の反射であらう。「櫻山」と云ふ清酒がある。「吉野」といふのがある。かう云ふのはよく今迄他の人が附けずに
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ぶといふ外に何かわけの有る事だらう。――江戸の浮世繪は現に大阪に於ては東京に於けるよりも似つかはしい。それから又大阪
かかる種類の本は、安永天明から天保の頃にかけて江戸には汗牛充棟も啻ならざる程あるが、京阪には比較的少いやうである
相違ない。なんといつたつて上方の文明は三百年の江戸の都會教育よりずつと根柢が深いのであるから、大阪人は江戸東京人
を知つてゐる筈だ、粹といふやうな言葉が江戸でなく上方で作られたのは偶然の事ではないだらう。
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の繪卷物の一部を仕切つたやうに見えるのである。京極の方から迷ひ込んで何とかいふ長い市場の通りを歩いたが、その
から千日前でも道頓堀でも、束京の淺草、京都の京極其他などに見られない一種の面白味がある。生活が手輕で實用
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に散漫でなくつて、一つの有機體としての大阪市の形態及び生理を味はしめる。
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。三十日の午過ぎに始めて空が霽れて來たから人と神戸市中を見物したが一向つまらなかつた。横濱にはまだ所々予の所謂
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で暮さうと思つて今朝この市に入つた。奈良、堺などはどうでも可いがもつと深く大阪を味はひたかつた。
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予も亦明晩立たうと思ふ。今は名古屋に往く人を見送る爲めに新橋に來てゐるのだ。待合室は發車を待つ
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に出來て居ないでは無いか。(三月二十九日神戸にて。)
昨夜神戸に入る前に日中京都で暮した。けれども今何も目に殘つて
かつた。其晩神戸に入つた。(三月二十九日神戸にて。)
が誰にも會ふことが出來なかつた。其晩神戸に入つた。(三月二十九日神戸にて。)
してめづらしい事と思つた。(三月二十九日神戸にて。)
予の所謂「異人館情調」が殘つて居るけれども、神戸にはそれすら一向に無い。市中所見の物象は鉛直に非ざれば
合せにドス、オマス、ナアなどといふ語尾を附けると略神戸の言葉に近くなる。
て榮町は人立がしてそれを眺め入つた。神戸などは高い異人館があつていかにもハイカラらしいが、かういふ光景を見ると
いふやうなものにもあまり出遇はなかつた。ただ昨日神戸兵庫間の電車の試運轉があつて榮町は人立がして
と相槌を打つてゐた。(三月三十一日朝、神戸にて。)
見られた。昨日は曇天が燻銀の色調であつた。神戸から大阪までの平原の間に、枯草と青草との心臟を冷すやう
したならば面白い事だらう。(四月二日夜神戸行電車中。)
その夜神戸に歸つて床に就いた後に、久し振で聽官の幻覺に襲
缺く可からざる一要素であるといはねばならぬ。横濱神戸はさる事ながら、京都と異人とは、今はもう切つても切れない
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鮮かな色の布。こんな景色は澤山見られた。然し京都では、たとへば一人の人が河原に仕事をしてゐて、五六の
綱に弔るして居たのが、如何にも春らしく京都らしく好い氣持であつた。も一つは黒田清輝さん流のコバルト色の
昨夜神戸に入る前に日中京都で暮した。けれども今何も目に殘つて居るものとては無い。
で黒田さんと廣重との配調を味ふのを、京都で祐信と中澤にしようと思つたのだが、中澤さん情調を吹きかけられる
を、實は味はうと思つたのだが、生憎京都のスケツチはみんな板彫の方に※つて居たので見る事が出來
京都見物の前に中澤さんの所で「京都の豫感」を、實は味はうと思つたのだが、生憎
京都見物の前に中澤さんの所で「京都の豫感」を、實は
東京ことば、大阪、京都、伊勢、中國邊の方言の雜ぜ合せにドス、オマス、ナアなどと
から又大阪を漫歩するのは京都を歩くより愉快だ。京都は常に多くの漫遊者を扱ひ慣れて居るから、旅人として向ふ
に於けるよりも似つかはしい。それから又大阪を漫歩するのは京都を歩くより愉快だ。京都は常に多くの漫遊者を扱ひ慣れて居る
。だから千日前でも道頓堀でも、束京の淺草、京都の京極其他などに見られない一種の面白味がある。生活が手輕
活溌な生活の斷片を掴む事が出來るやうに感ぜられる。京都は――恰もそこの藝子舞子のやうに――偏へに他郷人
京都を歩いて居ると無用のものが多く、だだ廣くて直きに可厭
、然し兎に角愉快な事であつた。(四月三日京都にて。)
たのは尠からず殘念である。せめて今夜までの時間を京都で暮さうと思つて今朝この市に入つた。奈良、堺などはどう
舞子のだらり及び人力車上の西洋婦人などを加へれば、略京都の情景を想像することが出來る。
京都へ入つては先づ第一に停車場で坊主にあつた事を異樣に感じた
、藝子及び舞子、嫖客、草刈の少女等は眞に京都的の 〔Ele'ments〕 である。而も其布局が昔の
あるといはねばならぬ。横濱神戸はさる事ながら、京都と異人とは、今はもう切つても切れない中となつたので
今の京都の生活から、然し一枚の風俗畫を作り出さうとする場合には西洋
を破らむほどに美しかつた。(四月三日朝京都にて。)
つには自ら動く勞なくして、向ふで動いて呉れる京都を觀る爲である。
京都や大阪の町、及びそこの形態的生活は友禪的に色斑らに、
京都の女の相貌は複合寫眞の美しさのやうに思はれる。深い刻みや
おお、ねえさん、それぢや勘定!」(四月三日、京都にて。)
的の見方をするのを喜ばぬかも知れないが、京都といふものの傳説から全く自由な予は、どうしてもかくの
二つ三つ妙な光景を見た。君は予が京都でピエエル・ロチイ的の見方をするのを喜ばぬかも知れないが、
「京都に於ける大阪人」は、蓋し作者の精緻なる理解、微妙なる關係を
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を京都で暮さうと思つて今朝この市に入つた。奈良、堺などはどうでも可いがもつと深く大阪を味はひたか
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立たうと思ふ。今は名古屋に往く人を見送る爲めに新橋に來てゐるのだ。待合室は發車を待つ人の不安な情調と煙草
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でよく見られる骨董店の英山、歌麿の類は、今の東京で見るより、こちらで見た方がいかにも當然で、居る可き所に
も黒田さんの樣風を想ひ出さずには居られない。東京の自然界で黒田さんと廣重との配調を味ふのを、京都で
で、獰い植民地的の相貌を呈して居る。看板の東京風とか江戸自慢とかいふ形容詞がいかにも田舍臭くて不愉快である
東京ことば、大阪、京都、伊勢、中國邊の方言の雜ぜ合せにドス、
それから中の島まで引返した。大阪の河岸の印象は東京とは大分違ふやうだ。ちよつと話した丈ではこの細い官能的印象の
を見通した所のやうに白壁の土藏も少くは無い。東京のやうに煉瓦は多くない。白壁には小さい窓が二つ乃至四つ
が置かれてある。赤い更紗の風呂敷(これは今は東京ではめつたに見られない、風呂敷として染めて重に赤地へ黒
尼ヶ崎橋に立つて不圖東京の今川橋に居るやうな氣になつた。あの橋の手前の河岸縁
堀は東京より水が綺麗だ。材木の舟筏、肥料桶の舟などが悠々とし
だらう。――江戸の浮世繪は現に大阪に於ては東京に於けるよりも似つかはしい。それから又大阪を漫歩するのは京都を歩くより
箇所に集中してゐるからして、この市の鳥瞰は東京のやうに散漫でなくつて、一つの有機體としての大阪市の
人の氣散じに便利に出來て居るやうに見える。且東京とは違つて遊樂の街區が略一箇所に集中してゐるから
芝翫の八重垣姫、茜屋のお園の演伎の際、屡※東京座や歌舞伎座の大入場の喧噪として現はれたものである。
幕が開かなかつた。開いたら大阪の觀客に媚びる東京芝居の仕出しで一向つまらなかつたから直ぐそこから出た。
作だと云ふが愚なものである。實は予は東京では間に合はなかつたから印度王の原稿を今度一緒に持つて
の微もきちんきちんと始末し盡くすと云ふ事である。若し東京の人が大阪へ出て商賣するやうな時には極めて正直にし
主人も粗服だと云ふ事を賞讚したことである。東京では隨分大きい仲買所でも仕拂を多少づつ遲れさす、即ちそれ
で會得する事ができた。東京から大阪へ來ると東京の商業はまるで子供の惡戲だと云ふやうな氣がするといふ事
をしてくれたので會得する事ができた。東京から大阪へ來ると東京の商業はまるで子供の惡戲だと云ふやうな
予の隣の桝は東京の客だつた。一人は五十に近い、町家の主婦らしく、道徳的な而も
又劇場には東京の如く一幕見といふものが無く、東京の大入場にあたる所がその代り十錢か十五錢である。
一日聽いて居られるのである。又劇場には東京の如く一幕見といふものが無く、東京の大入場にあたる所がその
教育よりずつと根柢が深いのであるから、大阪人は江戸東京人よりももつと人生といふことを知つてゐる筈だ、粹と
劇場の空氣の中で見物したいものであつた。東京の芝居で見られない何者かをそこで搜しうるに相違ない。なん
を味はひたかつた。少くとも鴈治郎の藝を東京座の花道や猿之助との一座などでなく、大阪のあの舊式な劇場
急用が出來て今夜の急行で東京へ歸らねばならぬやうになつたのは尠からず殘念である。せめて
地名をクリックすると地図が表示されます
から今迄の道に直角に歩いて思案橋、博物館、農人町、住吉町の通りから道頓堀に出て、それから中の島まで引返した。大阪
」、第一大阪館の「河内次郎」、榮座の「住吉踊、稻荷山」、日本館の活動寫眞、常盤座の「忠臣藏宣