支倉事件 / 甲賀三郎

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地名一覧

本郷

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「初めの字は確に『本』だぞ。ハテ、本郷かな、本所かな、あゝ二字目は少しも分らない、それから米

『本』之は区の名ですね、本所でなければ本郷ですね、之だけは確です。それから町の名が森だか林だ

「ふん、本郷だね、本所でなければ。そこで森と、森なら森川町か林なら、

「本郷にも林町はありゃしませんかね、駒込林町と云うのが」

石子刑事は翌朝本郷に出かけた。

「支倉さんは未だ逃げ歩く積りですよ。本郷の方ですね、手紙の送先の写真館ですね、あれが発覚しそうになっ

「本郷の方はどうなったのですか」

だと思って抛って置いたのですが、うっかりして本郷の方を嗅ぎ出されそうになったのです。それでね態と外の所を

云う名を思いついたのだそうです。松下一郎と名乗って本郷の竹内写真館に書生に入り込み、入り込むたって名ばかりで、実は手紙の中継所

助手友長医学士で、一人は布地の鑑定を命ぜられた本郷の裁縫女学校長として令名高き田辺氏だった。

横浜市

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答 秋田県小坂鉱山の私の実家でした。支倉が当時横浜市の聖書会社に勤め、聖書販売旁※伝道の為め小坂鉱山に参り、教会に

神楽坂

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あり、宵のうちには一段の賑いを見せていた神楽坂の通りも、今は夜店もチラホラと通る人も稀であろう。風こそ吹か

あって、冤罪を訴え続けていた。彼の主張は神楽坂で拷問を受け心にもない自白をしたと云う一点だった。無罪

因藤裁判長殿は神楽坂から支倉喜平事件証拠金品目録として送って来てある所の其の書信を

淡路町

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家は淡路町の裏通りにあった。

樺太

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、検視した品川署の警部が、三年後の今樺太は真岡支庁に転任していたが、東京地方裁判所の委嘱により、同地方

本所

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刑事だった。彼は岸本の報告を受取って、今朝から本所に出かけ尋ね廻ったけれども、目的の町には勿論どの町にも大内など

神田神保町

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岸本青年の依頼を受けると、石子刑事は翌日神田神保町の書店を訪ね歩いた。二、三の書店で、彼は問題の卸元で未だ

小石川

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、森なら森川町か林なら、はてな、林町と、林町は小石川だったかしら」

横浜

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彼の云う所によると、横浜の日米聖書株式会社と云うので、久しい以前からちょい/\聖書が紛失する。

彼は支倉の容貌の特徴など委しく聞いた上、直ぐに横浜へ向った。

高輪の前には神田にいた。神田の前には横浜にいた。所が不思議な事には彼は前住地の三ヵ所でいつ

横浜の場合は全焼、神田と高輪の場合は半焼けだった。高輪の時は附近

彼は先ず最初横浜で保険金詐取の目的で放火をして、旨々と成功した。それに味

牛込

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にも大内などゝ云う写真館は見当らなかった。落胆して牛込の自宅へ帰る途中、小川町で電車を降りて、縁日で賑っている中

赤坂

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支倉は先ず彼女を安心させる為に、赤坂の順天堂病院へ彼女を連れ込んだ。然し、診察を受けさすと云う意志のない

問 被告は貞を赤坂の順天堂病院に診せる考えを抱いたのか。

公坂で待受けた事はありません。清正公坂より赤坂に電車で行ったと警察で述べたが、其頃同所に電車はない筈

日は実際電車に清正公前より乗っておりません。赤坂へも行っていません。新宿の川安に行き天どんも喰べて居りませ

答 赤坂の順天堂へ連れて行きました。

丸の内

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ところに依ると、彼の名は谷田義三と云って、丸の内の或る商事会社に勤めているのだった。

大崎町

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台の大型自動車がけたゝましい爆音を上げて、この大崎町の共同墓地を目がけて、驀地に駆けつけて来た。

東京市

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ははっきり分るのはホンの二、三字だけれども、何分東京市内の番地だから少し頭を使えば直ぐ判じられて終う。さあ困った。

両国

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え、文句はこう云うのだ。依頼の品は明後日午前十時、両国の坂本公園へ持参する。都合が悪かったら直ぐお知らせを乞う。好いかい」

目の手紙で真相が分るかも知れないのだ。それにしても両国の坂本公園を態と読み違えた風をして坂本と云う人は知らないなどと、空々

手紙さえも、頭から信用して終う事をしなかったのだ。両国の坂本公園のような所へ誘き出そうとした事に不安を感じたと云えば感じた

ないと思ったが、対手が対手だから、もしやと懸念して両国へ行く前にこゝへ訪ねたのだったが、来て好い事をしたね」

神戸

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「はい、神戸牧師に仲に這入って頂きまして、すっかり話をつけましたのです」

「当時神戸という知合の牧師が仲介にたって、相当の事をして以後問題

「その事ならどうか神戸牧師に聞いて下さい」

「それから、あいつの云った神戸とか云う牧師ですね。一度調べて見なければなりませんね」

「では石子君は神戸牧師の所へ行って呉れ給え。それから根岸君と渡辺君とは午後

それより前に石子刑事は取敢ず芝今里町の神戸牧師を訪ねたのだった。

彼が口を利いたのだった。そんな関係で支倉は神戸牧師に師事をしていたのだった。

神戸牧師と云うのは当時三十五、六、漸く円熟境に這入ろうとする年配で

神戸牧師は鳥渡驚いたようだったが、直ぐ平然として、

神戸牧師は稍鋭く聞いた。

神戸牧師は暫く考えていたが、

石子はじっと神戸牧師の迷惑そうな顔を見上げた。

石子刑事の質問に神戸牧師は愈※迷惑そうな顔を曇らしながら、

石子の落胆したようた様子を見た神戸牧師は、気の毒になったか少し言葉を和げながら、

石子刑事は直接神戸牧師から支倉の事に関する有力な手懸りを得られなかったのは残念だっ

の悩みをそゝり立てるような黄昏時だった。若い牧師神戸玄次郎氏は庭に向った障子を開け放して、端然と坐って熱心に

振り向いて夫人の顔を見た神戸氏は稍顔を曇らし乍ら反問した。

神でない以上愛憎を感じるのは止むを得ぬ。尤も神戸氏は決して支倉を憎んでいるのではない。只何となく少しばかり

あるが、俗に云う虫が好かないと云うのか、神戸氏はどうも厚意が持てないのだった。罪人を救い、曲ったもの

支倉は彼の妻の静子の紹介で神戸氏の所へ両三回出入しているのであるが、俗に云う

神戸氏はつと立上って頭上の電燈のスイッチを捻った。さっと黄色を帯び

モジ/\していた支倉は神戸氏が静かに元の座に帰った時に、つと決心したように

神戸氏は気の毒そうに彼を見た。

神戸牧師は彼の真黒ないかつい顔の真中についている巨大な鼻をじっと

神戸氏は別に返答を与えないでじっと気の毒な彼の興奮している顔

神戸牧師は宥めるように支倉に云った。

神戸氏は支倉の意外な告白に些か驚きながら、

神戸氏は鳥渡誑されたような気がした。彼は支倉のしょげ切っ

真摯な態度で彼の罪を告白していた、と神戸氏は思っていたが、今聞くと彼は女中の伯父から脅迫さ

対して石を投げて責め得る人は恐らくないであろう。神戸牧師は居住いを正した。

神戸氏は暫く考えていたが、

神戸牧師の情ある言葉に支倉は度々頭を下げて礼を述べて帰って

それから神戸氏はいろ/\尽力して、漸くの事で女中の貞は親許に

の金を叔父の定次郎に渡すと云う段になって、神戸牧師は支倉の態度に少し驚かされた。

打つと云うには忍びなかったであろう。それなればこそ神戸氏も気の毒に思って、調停の役を務めたのだったが、漸く

脅迫されて窮境に陥った時に、涙を流して神戸氏に訴えた。その時の彼の心情は蓋し憐れむべきものがあって

に報告した時の彼の無念そうな様子には、神戸氏も一驚を喫したのだった。

と云って神戸氏に報告した時の彼の無念そうな様子には、神戸氏も

起ったとも云える。彼が心から告白して救いを神戸氏に求めた時の至情は、いざ金を出すと云う際に、忽ち

表面的に事件が解決すると共に、神戸牧師は事件から手を引いて終った。叔父の定次郎は其後もチョイ

そのまゝにしていたのだった。支倉はその後時折神戸氏を訪ねて来た。

神戸牧師は貞が行方不明になったと云う事を聞いた時に、あの強慾

以上が神戸牧師が警察に出頭して陳述した要点だった。支倉の妻の静子

支倉は白を切って対手にしなかった。当時支倉が神戸牧師に宛て送った手紙にその有様が覗かれる。

右の手紙について神戸牧師は、何故支倉が既に落着した事件につき尚繰返し縷々として

「それからお言葉に甘える次第でありますが、一度神戸牧師にお会わせ下さいますようお願いいたします。先生の前で心残りなく

は警察の召喚状を受取って不審に思いながら出頭した神戸牧師が、署長から支倉の数々の罪状を聞かされて、只あきれて驚い

この時のことを回顧して神戸牧師はこう云っている。

読者諸君は神戸牧師の最後の一句、「不承々々ながら云々」と云う言葉に不審を

神戸牧師は既に諸君の知られる通り、その第一印象に於て支倉に好意を持つ

兎に角、神戸牧師が支倉の殊勝な自白の事を聞いて、徒に興奮せず、

それにしても神戸牧師は気の毒であった。彼はこの僅々半時間の支倉との面会の

いた。それと並んだも一つの肘付椅子に神戸牧師が席を占めていた。傍には証人として喚ばれて

。後れ毛が白い頸の上で微に戦いていた。神戸牧師は意味もなくそんなものを見つめていた。

彼は命ぜられるまゝに署長と神戸牧師の前にあった椅子に腰を下して、じっと頭を下げてい

「お前は日頃尊敬している神戸牧師に面会する事が出来て嬉しいであろう。何なりとも心置きなく話す

署長の言葉と共に、神戸牧師は少し椅子を乗り出して、きっと支倉を見やった。

この時の事を神戸牧師は回想してこう書いている。

神戸牧師はきっと支倉の顔に眼を注ぎながら諄々として説いた。

神戸、ウイリヤムソン両牧師から、懺悔の為に既に罪は救われたから、清

神戸牧師はすっかり厳粛さに打たれて終った。

神戸牧師は、支倉の立派な態度に打たれて、もはや迷惑も何も忘れ

自白が余りに立派であった事で、立会人であった神戸牧師が前掲の言葉のうちで認めている通り、彼の自白が真実で

後年神戸牧師は支倉告白の場面に就いて、述懐してこう書いている。

ながら後に彼が獄中に於てものした日記や、神戸牧師其他に訴えた手紙を読むと、言々血を吐く如く、鬼気迫っ

の宣教師ウイリヤムソンを呼んで頂き面会して後事を託し、尚神戸牧師及妻にも面会を許して頂き、心の残りのないようにし

云わぬと云う事で百円遣り示談にいたしました。神戸の手へ金を渡した月日を覚えません。

答 神戸牧師を頼んで何も云わぬと云う事で百円遣り示談にいたしまし

して、被告の妻静子、証人として小林定次郎、神戸牧師の二人を喚問する事を書記に命じた。

古我判事は息を継ぐ暇もなく翌三十日証人神戸牧師を訊問した。

神戸牧師は支倉の妻が自己の教会員だった関係から、支倉が神学校に這入る

神戸氏は大きな口をきっとへの字に結んで、眉のあたりに不快な

神戸牧師の証言は縷々として続く。

問 神戸より右金を定次郎に授受の際被告は立会わなかったか。

晩であったか、朝であったか分りませぬ。神戸より話を受けたか否やは覚えませぬ。

問 兎に角二十六日の晩被告は神戸方に行き小林兄弟に会ったか。

答えの如きは、神戸牧師小林兄弟が口を揃えて同日神戸方で支倉に会った事を証言しているのであるから、支倉の

徹頭徹尾否認を続けた。然しながら最後の答えの如きは、神戸牧師小林兄弟が口を揃えて同日神戸方で支倉に会った事を証言

まで凡そ四、五十日間に、彼は既に一度召喚した神戸牧師、小林定次郎を初めとして新に写真師浅田其他合計三十五名

問 被告は神戸牧師に貞を無理に犯したと自白したか。

自分は同人を殺害しなければならぬ理由ありましょうか。神戸牧師仲介の労を取り事済みとなりましたものを、自分は常に

神戸牧師仲介の下に事済みとなりしものを、自分にして病院へ

を呼出していたゞきたい。それから府下中野町のウイリヤムソン師に神戸牧師を呼んでいただきたい。(冤罪の為今は覚悟して死に行くべき

月二十二日神戸氏に一百円を渡しやり、二十五日夕神戸氏宅にて証書取交せ、示談事ずみとなったのであります。それ

大正二年九月二十二日神戸氏に一百円を渡しやり、二十五日夕神戸氏宅にて証書取交せ、

小塚検事は最後に神戸牧師を喚問して、支倉の自白当時の事を聞き質した。

神戸牧師は答えた。

ぬ、ならぬ、俺は呪うのだ。己れ、庄司、神戸、神楽坂署の刑事ども、俺の呪をきっと受けて見よ。静子、

た。裁判長は合議の末頭蓋骨の鑑定、調書の取寄せ、神戸牧師以下八名の証人の喚問等を許可し、他は却下して閉廷

鑑定、支倉の旧宅出火当時の所轄警察署の調書の取寄せ、神戸牧師以下二十四名の証人の喚問、以上四項の申請をした。裁判長

次に呼び入れられたのは神戸牧師である。

神戸牧師は口をへの字に結んで太い眉をきりゝと上げながら、

は職務上か或は直接事件に関係した人である。神戸牧師に至っては単に貞子の事で支倉と貞子の叔父との間を

神戸牧師ほど本事件について甚大な迷惑をした人は他にあるまい

になると、支倉対小林の関係を詳細に知っている神戸牧師の証言が非常に有力になって来る。のみならず、彼は支倉

をする人でもなければ出来る人でもない。所が神戸牧師の一言一句は直ちに支倉の運命に重大影響を及ぼすのである。事柄

神戸牧師にして見れば、証人として立った以上、事実を抂げて

神戸牧師はゴクンと喉の塊りを呑み込んで、下腹に力を入れながら、裁判長

神戸牧師は予審廷に於ける通り支倉との浅き交友を述べ、貞子の事

こう云って口を閉じると、神戸牧師はそのまゝむっつり黙り込んで終った。

た」旨を強調した程、恩義を感じていた神戸牧師に対し、あらゆる罵言を浴びせかけ、偽牧師と罵り、庄司署長と結託し

、之は支倉の死命を制する問題だ。後に支倉は神戸牧師の予審廷以来の証言に深き憾みを抱き、後数年間彼は嘗ては

ある高等学校の出身で、尤も同級と云う程ではなく、神戸氏の方が先輩なのだが、在京同窓会などで、時々顔を合し

この支倉が庄司署長と神戸牧師がぐるになって俺を陥れるのだと、呪いの言葉と共に

それを聞き知った支倉は、神戸牧師が庄司署長を庇護する為に彼に不利益な証言をしたと

神戸牧師にしてもその通りだろうと思われる。人を殺人罪に陥れるのと

対して、いずれも息を凝らして返辞を待ったが、神戸牧師はやおら口を切ってきっぱりと云った。

神戸牧師の言葉に意外の感を起した宮木裁判長は直ちに荘重な声を一

神戸牧師は臆する色なく答えた。

神戸牧師はきっと唇を噛んで顔色を蒼白にして暫く黙っていたが

神戸牧師は額に冷たい汗を滲ませて、苦悶の表情を浮べながらこう答え

神戸牧師は支倉が自分を信じて告白した所の、彼の告白を、

右の一文と当時法廷に於ける言葉で分る通り、神戸牧師は強き性格の人である。彼の証言拒否は決して支倉を庇護する

神戸牧師の証言重々しく、被告にとって一大事と見た能勢弁護士は直に立っ

神戸牧師の訊問は之で終りを告げ、次で小林兄弟、高町医師其他

ぽい庭にギラ/\と眩しい光を投げつけていた。神戸牧師は端然と書斎の机の前に坐りながら、書見に倦み疲れた頭を

神戸牧師はふと今朝程来た裁判所からの召喚状の事を思い出した。彼

と云う事は、いつも証人として立たなければならない神戸牧師に取っては、苦痛の度が益※大きくなるのである。

遷延さす事はそれが弁護人の策略であるかのように神戸牧師には思えて仕方がなかった。裁判が延びるにつれて、被告の

強いられるのは苦痛でなくてなんであろう。所が神戸牧師の苦痛はそれだけに止まらなかった。

「神戸さん、ほんとうの事を云って下さい。庄司とぐるになって私をいじめ

になり、果は彼を侮蔑し罵るようになった。神戸牧師は努めて彼の手紙を黙殺しようとしたが、執拗な彼の

神戸牧師はこんな事を思い浮べながら、茫然と庭を見つめていると、妻が

の木藤大尉と云うのは一向知らない人なので、神戸牧師は暫く名刺を見詰めていたが、支倉の事に就てと云われる

神戸牧師は丁寧に礼をした。

神戸牧師はうなずきながら、

神戸牧師は飽くまで真面目であった。

神戸牧師は遮切った。

神戸牧師はいつになく熱して来た。

神戸牧師は大尉の顔を見ながら云った。

「支倉は獄中から度々私に手紙を寄越して、『神戸さん、あなたは牧師だったら、ホントの事を云って下さい』とか、

神戸牧師の顔にはチラリと不快な影がさした。

神戸牧師は立上って隅の本箱の前に行き、抽斗を開けて暫くゴソ/

神戸牧師は手紙の束を木藤の前に押し遣りながら、

神戸牧師は支倉の希望だと救世軍の木藤大尉の云うがまゝに、支倉

流石の神戸牧師もこの手紙を貸し与えた為に、反って非常な迷惑を蒙る事に

、あれこれと反証の材料を脳裡に探るうちに、ふと往時神戸牧師に宛てた手紙を思い出した。此手紙のうちには貞の問題に

でいたが、やがて彼の非常な脳髄の冴えは、神戸牧師の寄越した手紙のうちに自分の書いた覚えのある三本の手紙

「おのれ、神戸牧師! 庄司に頼まれて、俺に有利な三本の手紙を隠し

翌日、彼は直ちに筆を走らせて神戸牧師にはがきを出した。

「神戸さん、アナタは牧師なら庄司とグルになって、私をいじめないで下さい

如き浩瀚なる書類を出すと共に、一方庄司署長、神戸牧師に恨みの手紙を出す事は少しも怠らなかった。

その頃神戸牧師の受取った手紙にはこんな事が書いてあった。

「神戸さん、アナタは本統の牧師であったら嘘を言わんで下さい。嘘

「神戸さん! 私は当時アナタの所に書き送っとる小林サダと私とのなし

ので、支倉の追究が余りに激しいので、後に神戸牧師も耐りかね家探しをして幸いに見つける事が出来たので、

遂に神戸牧師を偽証罪で告訴をさえ試みたが、之は神戸牧師に取っては迷惑千万な事だった。元より彼は故意に隠した

狂気のように喚いた支倉は、後にこの為に遂に神戸牧師を偽証罪で告訴をさえ試みたが、之は神戸牧師に取っては

神戸牧師が庄司署長から頼まれて、故意に三本の手紙を隠したと

「神戸さん、君庄司利喜太郎から頼まれて三本ばかり手紙を持って来たって、

僅に一ヵ月の間に神戸牧師の宅に飛び込んで来た支倉の呪のはがきは六本を算した

の書類を隠し、偽証、喜平を無実の罪に陥いれたる神戸氏の御健康をお祈りいたします。

このはがきを読んだ時には流石の神戸牧師も、彼の執拗な悪意に悲憤の涙を呑んだ。

一例を挙げると、神戸牧師夫人の所へなどは度々次のようなはがきが飛び込んで来た。

会わんものと数年間果敢ない努力をし続けた。警察署長や神戸牧師に脅迫状を送ったのも一面には出獄の伝手にもしようと云う

そこで私が出獄さして頂けば、弁護士初め勝尾警部、神戸牧師、佐藤司法主任、庄司署長、八田警視総監等に会うて甘く局が

と松下一郎名義にて相往復した手紙、次に庄司は神戸氏と母校を同じゅうしとると云う事から同人を欺き、同人から取上げとる

、高輪署から持出しとる其の当時の書類を始めとし、神戸、浅田其他の者から取上げとる多くの書類、その他東洋火災保険会社に

に、押収の書信数通の返還を乞うと共に、神戸牧師に宛て巨弾を一発放った。

は当時目撃した人を尽く顫え上らしたものである。神戸牧師をして、

責任者であり、且つ被告と神戸との間の往復文書並びに神戸の提出した書状の行方について知悉している当時の神楽坂警察署長

「被告を検挙した責任者であり、且つ被告と神戸との間の往復文書並びに神戸の提出した書状の行方について知悉

に第一回公判が開かれたが、この時既に庄司、神戸両氏は証人として出廷していたが、支倉は冒頭に何を

「高輪警察署で書類を隠されて居ますし、神戸に書き送った手紙も出して呉れませんから、分りません」

手に取るように委しく述べ立てた。殊に彼と小林兄弟、神戸牧師の三角関係は最も詳細に述べた。

分る事だから、聞きに行こうと、云いましたが、神戸はそれに応じて呉れなかったのであります。私はこの為に随分

「神戸はどうしても謝罪状を書けと原稿のようなものを出しました

彼は当日庄司署長と共に出頭すべき神戸牧師に対して、五月二十八日と六月十一日の二回に亘り

答えた。殊に自白の場面のいかに荘重なりしか、彼と神戸牧師及彼の妻との間に交された会話等につき詳細に述べ

両氏応答数次、長時間に亘って漸く終ると、裁判長は証人神戸牧師出廷せざるにより、公判を続行し、次回を来たる六月三十

日に神楽坂署長室でウイリヤムソン宣教師と、それから当時来合せた神戸とを立会保証、家屋譲与尽力者に立て、支倉のカナイに授受しとる

た。筆者はこの点につき、本件に最も関係の深い神戸牧師の言葉を引用して置く。

判決し了った宮木裁判長の英断、正道を踏んで恐れざる神戸牧師の勇を称え、尚被告の為めに献身的努力を惜まざりし能勢氏

秋田

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なのです。実は一月許り前に妻が郷里の秋田へ帰りました。その留守の閨淋しさに私は女中の貞に挑み

京都

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地方裁判所で重禁錮二年を申渡されているが、何故か京都の裁判所では之を一犯としている。之で見ると殆ど出獄

窃盗罪で重禁錮六ヵ月、四犯は四十年矢張窃盗で京都地方裁判所で重禁錮二年を申渡されているが、何故か京都の裁判所で

そのような大罪を犯すような事は、いたしません。京都監獄放免後八年間在京いたし荊妻と三越にも松屋にも行きました

奈良

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にて重禁錮三月半を科せられ、三犯は三十九年奈良地方裁判所で、相変らず窃盗罪で重禁錮六ヵ月、四犯は四十年矢張

山形

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歳である。二犯は翌三十七年で、同じく窃盗で山形地方裁判所にて重禁錮三月半を科せられ、三犯は三十九年奈良地方裁判所で

初犯は明治三十六年で、山形地方裁判所鶴岡支部で窃盗罪により重禁錮三ヵ月に処せられている。当時彼

金沢

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参考書類と云うのは、支倉が庄司氏の身許につき金沢市長に宛てた、頗る悪意のある愚劣極まるものである。引用する事は

相変らず東京未決監未決六年冤枉者支倉喜平、宛名は金沢市役所市長殿である。

(庄司氏を指す)の兄のカナイの父親は、只今金沢新地で南楼と橘平楼を名乗って芸妓屋と女郎屋をやっている、

金沢市長も無論こんな手紙は取合わなかったゞろうけれども、戸籍謄本の方は誰

、閲覧願と云うものを差出した。之にも前掲の金沢市長宛葉書の写しを附し、彼一流の遣方で三月二十四日から

が、彼は此願書に例の細字で数百字認めた金沢市長宛の葉書の写しを添えて、三月二十四日から二十七日の間

深川

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人で不安心だから、浅田自身で明後日午前十時に深川八幡の境内に持って来て貰いたいと書いてあった。

由緒のある深川八幡宮の広々とした境内は濡そぼった土の香しめやかに、殊更

後一ヵ月有余、三月の空蒼く晴れ渡った朝、深川八幡社頭で哀れにも神楽坂署員に依って捕縛せられたのだった

の其当時の書類、次に自分は大正六年二月深川区古石場荒巻方二階に置いてあった孤児院建設趣意書、同絵葉書、

目黒

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らの人を見下しながら、石子刑事は渡辺刑事と並んで目黒行の電車に腰を掛けていた。電車はけたゝましい音を

も気づかないで、通りに出ると電車には乗らず、目黒の方へ歩いて行った。無論怪しい男は追って行く。

目黒で下車した時には日はもうトップリ暮れていた。

自古川橋至目黒停車場前 大正二年九月十八日開通

問 電気局に問合すと古川橋より目黒停車場間の電車は大正二年九月十八日開通と云う回答があった

答 停車場へ戻って来て目黒行き山手電車に乗りました。そうして宅へ戻りました。

東京

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六年一月末、午後二時の太陽は静に大東京の隅々までを照していた。松飾などは夙に取退けられて、

「その弟御さんと云うのは東京にお出ですか」

ははっきり分るのはホンの二、三字だけれども、何分東京市内の番地だから少し頭を使えば直ぐ判じられて終う。さあ困っ

。時に午後九時を過ぎる事二十分で、支倉が東京監獄に這入ったのが同日午後十時だった。

徐に放火殺人以下八つの罪名に於て被告支倉喜平を東京監獄に拘留すと書いて最後に署名をした。時に午後九時

東京地方裁判所予審判事古我清氏は自宅の書斎で牛込神楽坂署から送付して来た

から第二回の取調べの四月七日まで凡そ二十日間東京監獄に監禁せられている間に何を考えたのであろうか。その

丹下銀之助は窃盗罪で東京監獄にいるうちに、一時支倉と同監した男で、支倉が自殺

「そして東京監獄に居るうち本月一日から十五日まで支倉と同監いたしました。

大正六年五月三十日東京市電気局

東京地方裁判所予審判事 古我 清殿

と題し放火殺人以下八罪につき東京地方裁判所の公判に附するの決定相成しものと思料する旨、理由書と共に

大正六年九月二十五日、東京地方裁判所刑事部で、支倉喜平の第一回公判が開かれた。

後の今樺太は真岡支庁に転任していたが、東京地方裁判所の委嘱により、同地方の判事が取調べたが、彼はこう云っ

「私はその、他の用で東京監獄に行きましてね、ふと支倉に呼び留められて、だん/\話

「東京未決監未決六年、冤枉者支倉喜平」

らしい、大正十一年頃の発信で、署名は相変らず東京未決監未決六年冤枉者支倉喜平、宛名は金沢市役所市長殿である。

白無垢を拡げて見ると、襟の所に黒々と、「東京未決監未決八年、冤枉者支倉喜平」左右に割って二行に染めつけ

公判廷を出て東京刑務所に護送される途すがら、自動車の中で支倉は顔面蒼白、或いは痛恨

大正七年七月九日東京地方裁判所第一審判決

神保町

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倉庫に入れたまま、未だ売出さない所の新旧約全書が神保町辺の本屋で盛に販売されるので愈※確実になったと云う

神田

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を積んで帰ると云う事である。容貌を聞くと全く神田の書店で聞いた支倉の容貌に一致するのだった。輓子達が進ん

一つ一つ差出局が違っていて、浅草だったり神田だったり、麹町だったりしたので、何の手懸りにもならなかった

高輪にいた。高輪の前には神田にいた。神田の前には横浜にいた。所が不思議な事には彼は前住

三光町へ来る前は高輪にいた。高輪の前には神田にいた。神田の前には横浜にいた。所が不思議な事

ず、保険会社では動産保険の全額を支払っていた。神田の時は支倉の隣家の人が放火をしたのだと錦町署へ

横浜の場合は全焼、神田と高輪の場合は半焼けだった。高輪の時は附近の人に質すと

「えゝ、神田に居るのですが」

「神田に居た時の火事には誰か支倉の隣の人を犯人だと

「神田大五郎とか云うのです」

「神田なら可成有名な公証人だ」

界隈を一日歩き廻って無駄足を踏んだ失敗を、計らずも神田で酔払いの定次郎の引合せで谷田に会い、その埋合せが出来るかと思った

「三度とも放火だかどうだか知らないが、神田の時は放火だと聞いた」

て、旨々と成功した。それに味をしめて、神田内に転住した時に、再び放火を企てた。

麹町

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差出局が違っていて、浅草だったり神田だったり、麹町だったりしたので、何の手懸りにもならなかった。

浅草

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けれども、一つ一つ差出局が違っていて、浅草だったり神田だったり、麹町だったりしたので、何の手懸りにも

もありません。同日は明治学院より三一神学校を経浅草へ行き花屋敷に入り、米久牛肉店にて夕飯を食し、帰宅したので

と明細に「同日は明治学院より三一神学校を経、浅草に行き花屋敷へ入り米久牛肉店にて夕飯を食し、帰宅したのであり

は前晩貞の件が済んだので、安心して浅草へ行ったりして終日遊んで帰宅したように申しましたが、それ

以後小林兄弟に会っていないと云う点、二十六日は浅草で終日遊んだと云う申立の三つは尽く再び自ら翻えすに至っ

江戸川橋

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「江戸川橋の近所です。確か水道端町だと思いました」

大崎

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「来たのは大崎の方からでした。行ったのはあっちです」

「仕方がない、大崎方面の運送屋を片端から調べよう。未だ帰っていないかも知れないが」

一年二年、そう足かけ三年になるわ。この先の大崎のね、そら池田ヶ原って、今は大分家が建ったけれども、あの

の古井戸から女の死体が出ましてね、身許不明で大崎の共同墓地へ埋葬したんですがね、今日或地方から照会があり

「何ね、三年前にね、大崎の池田ヶ原の古井戸から女の死体が出ましてね、身許不明で大崎

「その大崎の池田ヶ原の古井戸の中から上った死体が、支倉の家にもと女中

と云う事も考えられます。それに井戸のある場所が大崎ですし、もし支倉がその女を井戸へ投げ込んだのではないかと

相談が一決すると、石子刑事は勇躍して大崎の共同墓地に向った。

も顔面を緊張させて乗込んでいた。彼等は大崎の墓地に死後半年に発見せられ、埋葬後三年を経過した他殺

「先刻大崎の墓地から白骨になった死体を発掘して、鑑識課へ持って行き

、時に砂塵を上げ、時に泥土を跳飛ばしながら、大崎の墓地を目がけて疾駆した。

「小林貞は大崎の古井戸の中にいるのだッ」

主任が大崎の古井戸と云った時にさっと顔色を変えた支倉は、忽ち元の

「貞の屍体は大崎の古井戸から出て来たのだがね」

「大崎の古井戸から女の屍体が上がった事があった。俺はそれを見

となると乗降客は殆どなかった位である。それは大崎へ出る路は元より今のように家が立並んではいないし、表通り

五反田

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彼が落胆しながら重い足を引摺って五反田の方から引返して来ると、或る狭苦しい横丁に、うっかりしていると見落す

との古井戸の箇所に至るには前記支倉方居宅前の五反田桐ヶ谷に通ずる道路を南行して中丸橋を渡り進む事約三丁に

白金台

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麻布一之橋から白金台の方へ這入って行く、細々とした店舗が目白押しに軒を並べて

品川

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云うのはね、何でもあの原が高輪の警察と品川の警察との境になっているんですって。それでね、手柄だっ

「どうも品川署との所管争いでおっつけっこをしていた結果ですよ。何しろ

し、枕を並べて熟睡していたのである。品川署もすっかり騙されて、支倉には一片の嫌疑さえかけなかった。

増して、巧妙で且つ大胆不敵に行っている。これは品川署の管内であったが、彼は俗に立ン坊と称する浮浪人を

この時は半焼に止まったのだったが、支倉は品川署の署員に十円を贈って書類を胡麻化し、保険会社の外交員に三百円

は声も上げる事が出来ず忽ち逃げ上りました。それから品川警察署に届けまして警官方の御出張を乞いました。死体取上げには

たと云う事は、死体の上った節、検視した品川署の警部が、三年後の今樺太は真岡支庁に転任してい

になり全然虚偽の自白をしたのです。あの頭蓋骨は品川の菓子屋の娘ので、貞のではありません。庄司がそう申し

又この頭蓋骨は品川の菓子屋の娘の頭蓋骨であると云う事を証人が喜平に打明かし

小川町

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小川町から駿河台下に通う電車通り、空はドンヨリとして、どちらかと云う

は見当らなかった。落胆して牛込の自宅へ帰る途中、小川町で電車を降りて、縁日で賑っている中を何か獲物でもない

駒込

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「本郷にも林町はありゃしませんかね、駒込林町と云うのが」

「ふん、然し、駒込はついていなかったんだろう」

蔵前

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の家に乗り込んだ時に、石子刑事はトボ/\と蔵前通りを歩いていた。

日本橋

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手紙には依頼の品を日本橋の坂本にどうとかすると云う風に書いてあったが、坂本と

新宿

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に連れ出した。それから彼は少女を新宿に伴った。新宿で彼は貞と共に或る活動写真館に這入り、時の移るのを待っ

云って、再び外に連れ出した。それから彼は少女を新宿に伴った。新宿で彼は貞と共に或る活動写真館に這入り、時

彼は新宿からの帰途を態と山の手線の電車を選んだ。

思い、病院へ行かず新宿へ連れそれから用達を致し、新宿より山の手線の電車に乗り、目黒駅に下車し、自宅へ帰る途中、私宅

考えると自然自分の不始末が分ると思い、病院へ行かず新宿へ連れそれから用達を致し、新宿より山の手線の電車に乗り、目黒駅に

仮りに新宿に行きしとしまするや、殺害する位なら新宿にも川や井戸は沢山あります。なんのために自分は同人を殺害

殺害するような事はいたしません。其日自分は仮りに新宿に行きしとしまするや、殺害する位なら新宿にも川や井戸は

乗っておりません。赤坂へも行っていません。新宿の川安に行き天どんも喰べて居りません。自分は実際殺害して

答 一と当惑、暫し思案の結果新宿へ行ったと申し立てゝあります。

警 新宿に行って何処で昼食を食べたか。

答 新宿二丁目の或そばやで二十銭の天丼を食べたと申立てゝあります。

の接吻々々。これは困るので一と思案の結果新宿停車場へ連れて行ったと申立たのであります。

市ヶ谷

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決定書は直に市ヶ谷刑務所在監支倉喜平の許に送達された。支倉はこの送達書を

「受送達者支倉喜平を市ヶ谷刑務所につき取調べたるに別紙符箋之通り死亡せし旨田辺看守長より申出

続いて市ヶ谷刑務所より控訴院検事長に宛て左の公文が到達した。