源氏物語 34 若菜(上) / 与謝野晶子 紫式部None
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、じっと堪えて脇息によりかかっておいでになった。延暦寺の座主のほかに戒師を勤める僧が三人参っていて、法服に召し替えられる
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たのを思い出してからは好意を持つようになった。明石で生まれた時のこと、また院がその海岸へ移って来ておいでに
こんな歌を姫君は書いた。明石も堪えがたくなって泣いた。
世を捨てて明石の浦に住む人も心の闇は晴るけしもせじ
なら当然のこととも思っておられようが、あまりに気高い明石の姿はこの人たちに畏敬の念を起こさせて、未来の天子の御
日夜を若宮のために心をつかう紫夫人であった。明石の老尼は、若宮を満足できるほど拝見することのできないのを残念に思っ
明石の入道も姫君の出産の報を得て、人間離れのした心に
と弟子どもに言い、明石の邸宅を寺にし、近くの領地は寺領に付けて以前から播磨の奥
だけ短いたよりを尼君へ書いて来た。入道はいよいよ明石を立つ時に、娘の明石夫人へ手紙を書いた。
とよろこぶ。手紙の箱を女房に持たせて明石は淑景舎の方の所へ帰った。
などと院は言っておいでになるのである。明石は紫の女王などが対へ帰ったあとの静かな夕方に、姫君の
てまわる運命を自分が負ったことも、この姫君が明石で生まれるためなのであった。神仏にかけた願はどんなものであった
とまた小声で明石へお言いになった。
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水鳥の青羽は色も変はらぬを萩の下こそけしきことなれ
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あの六条院の行幸のあった直後から朱雀院の帝は御病気になっておいでになった。平生から御病身な方
時に、御病室の御簾の中へお招きになり、朱雀院はいろいろなお話をあそばされた。
あった。この人の来た時に妹である乳母が朱雀院の御希望を語った。
ておいでになるのであるがと残念にも思い、朱雀院をお気の毒にも思って、あちらの院がこのことの成り立つのを熱望し
歳暮に近くなった。朱雀院では院の御病気がそのまま続いてお悪いために、姫宮の裳着の
六条院は朱雀院の御病気が少しおよろしい報せをお得になって御自身で訪問あそばされた
のあるもので、席にはお居間が用いられた。朱雀院のは塗り物でない浅香の懸盤の上で、鉢へ御飯を盛る仏家の式
朱雀院は雪の降っていたこの日に起きておいでになったために、
春になった。朱雀院では姫宮の六条院へおはいりになる準備がととのった。今までの求婚者
が四つ、優美な杯の台などがささげられた。朱雀院がまだ御全快あそばさないので、この御宴席で専門の音楽者は呼ばれ
二月の十幾日に朱雀院の女三の宮は六条院へおはいりになるのであった。六条院
ていた。宮中へはいる人の形式が取られて、朱雀院からもお道具類は運び込まれた。その夜の儀装の列ははなやかな
朱雀院はそのうちに御寺へお移りになるのであって、このころは御親心
って行ったのを陪観者は興味深く思った。昔の朱雀院の行幸に青海波が絶妙の技であったのを覚えている人たちは
は東宮の御手から皆呈供されたのである。朱雀院からお譲られになった琵琶、帝からお賜わりになった十三絃の琴
はおやめになったのであるが、宮中、東宮、朱雀院、后の宮、このかたがたとの関係が深くて、自然にはなやかさの作られる六条
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夜の夢に、こんなことを見たのです、私自身は須弥山を右の手にささげているのです。その山の左右から月と日の
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人たちは若いころに院の御愛人であったが、須磨へおいでになった留守中から夫人付きになっていて、皆女王を
の味のあるものではないと夫人は思ったが、須磨へ源氏の君の行ったころを思い出して遠くに隔たっていようとも同じ世界に
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六条院の四十歳の残りの日のための祈祷に、奈良の七大寺へ布四千反を頒ってお納めになった。また京の
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国の母の御位をお占めになった暁には住吉の神をはじめとして仏様への願果たしをなさるようにと申し
こう書いて終わってあった。また入道が住吉の社へ奉った多くの願文を集めて入れた沈の木の箱の