源氏物語 53 浮舟 / 与謝野晶子 紫式部None

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地名一覧

三条

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のある場所に近くて、桜なども相当にあります。三条の宮とも距離は遠くないのです。そこへ来れば毎日でも逢えないこと

宇治

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ずに愛して、世間の目にはつかぬようにと宇治へ隠してある妹の姫君のことを、お話ししても宮の御性情

身では、何かの名目ができなくては行きにくい宇治の道であった。「恋しくば来ても見よかし千早振る神のいさむる

に自分は十分にその人をいたわる方法を考えている、宇治へ行って見る時に覚える憂鬱を消すためにその人を置いておきたいと

た宮は、不思議なことでないか、あれからのちも宇治へ行くことを大将はやめないと聞いていたが、そっと泊まる夜もある

「右大将が宇治へ行かれることは今でも同じかね。寺をりっぱに作ったそうだ

でお作らせになったと申すことを聞きました。宇治へおいでになりますことは昨年の秋ごろから以前よりもはげしくなったようで

のかかわりもお持ちにならないのであるから、微行で宇治へ行ってみることをどう実現さすべきであるかとばかり腐心しておいで

「宇治へおいでになりますのには荒い山越しの路を行かねばなりません

「そうだ。宇治へは昔も一、二度行った経験がある。軽率なことをすると

ができなくなり、お供には昔もよく使いに行き、宇治の山荘の勝手をよく知った者二、三人、それから内記、乳母の

と、特に親しい者だけをお選びになり、大将は今日明日宇治へ行くことはないというころを、薫の家の内部の消息のよくわかる

知らず顔に、その人へ済まぬ心を起こして同じ宇治へ行くと、悩ましい気持ちを覚えておいでになった。京の中でも

急いでおいでになったため、宮は九時ごろに宇治へお着きになった。内記は山荘の中のことをよく知った右大将家

だけで山踏みをした自分である、不思議な因縁の続く宇治の道ではないかと思召した。

宇治の山荘の人たちは石山詣りも中止になってつれづれを覚えていた。

とこがれ続けておいでになる宮でおありになるが宇治へお出かけになることは困難であった。こう煩悶ばかりをしていては

は公務の少しひまになったころ例のように微行で宇治へ出かけた。寺へ行き仏に謁し、誦経をさせ、僧へ物を

いるのがしめやかな世界へ人を誘う力があった。宇治の橋姫を言っているではないかと、さっきから転寝をしておいで

あろうとぼんやりしておいでになるのである。薫に宇治の人を思うふうの見えたことで驚かされたようにも思っておいで

いでになるのであったから、無理な策をあそばして宇治へお出かけになることになった。

いるかというようなこともお聞かせになった。宇治の橋姫を思いやった口ずさみはお伝えにならぬのも利己的だと申さねば

気づかわれ、お見舞いの人が多くまいるために人目の隙に宇治へおやりになるお手紙もこまごまとはお書きになれなかった。

里の名をわが身に知れば山城の宇治のわたりぞいとど住みうき

なりまして、さすがに歴としたお邸の準備を宇治の方のためにさせておいでになります」

と書いておやりになったのであるが、御自身で宇治へおいでになることは至難のことになっていた。

「今朝宇治に出雲権守時方朝臣の所におります侍が来ておりまして、紫の

て誘惑をお始めになったのであろう、あの田舎の宇治に住ませてあれば、そうした危険には隔離されているものの

かも見たく思い、家へ帰った。薫は手紙を宇治へ書いた。

「宇治へいつもその使いをやるのだね。零落をしていた女だから時方

は皆武力を持った荒い人たちで、仲間が無数に宇治にいるのですからね、この山城、大和の殿様の領地というものは皆

いらっしゃって、夜中でも夜明けでも御用には私らが宇治にいるのであるからと思召して、京のお邸から宿直の侍など

いうふうにもなっていくため、例の無理をあそばして宇治へおいでになった。

石山寺

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一日が無事で過ぎますようにと大願を立てた。石山寺へ参詣させようとして母の夫人から迎えがよこされることになっている

叡山

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禍をいたしませんでしたのに恐ろしいことでございます。叡山の座主をすぐ呼びにやりましょう」