源氏物語 47 橋姫 / 与謝野晶子 紫式部None
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朱雀院
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で、冷泉院が東宮でおありになった時代に、朱雀院の御母后が廃太子のことを計画されて、この八の宮をそれに
宇治
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も、適当な邸もおありにならなかったので、宇治によい山荘を持っておいでになったから、そこへ行って住まれること
宮廷の御用の時などにもなるべく出るのを避けて、宇治の自坊にばかりこもっているのであったが、八の宮が宇治の山荘
にばかりこもっているのであったが、八の宮が宇治の山荘へ移っておいでになって、孤独な生活をお始めになり、
教え申し上げる人であった。ある時京へ出たついでに宇治の阿闍梨は院の御所へまいったが、院は例のような仏書をお
「必ず宇治へ伺わせていただいて、宮のお教えを受けようと私は思いますから、
暮らさねばならなかった。ちょうどそのころ薫中将は、長く宇治へ伺わないことを思って、その晩の有明月の上り出した時刻から微行
ないのである。薫は馬で来たのだった。宇治へ近くなるにしたがい霧が濃く道をふさいで行く手も見えない林の中を
さしかへる宇治の川長朝夕の雫や袖をくたしはつらん
であることが心弱く思われもした。薫は消息を宇治の姫君へ書くことにした。それは恋の手紙というふうでも
宇治では寺からお帰りになった宮へ、女房たちが薫から手紙の送ら
好意を感謝するというお手紙をいただいたので、また宇治へ御訪問をしようと思った薫は、匂宮がああしたような、人
十月になって五、六日ごろに薫は宇治へ出かけた。