東北の家 / 片山広子
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の世界を見せてゐた。三時間くらゐ乗つてさびしい平泉の駅に降りた。バスがあるのでじきにお山まで行くことが出来たが
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ぢずり誰ゆゑに」の歌を詠んだこの左大臣は塩釜の土地の景色を庭に作つてゐた。業平はその庭を見て
に作つてゐた。業平はその庭を見て「塩釜にいつか来にけむ朝なぎに釣りする舟はここに寄らなむ」と一
散つて、私たちはたつた二人だけで歩いて行つた。塩釜の町ほどの賑やかさはなく、もつと古代のにほひがするやうに感じ
て花も散りはじめたといふ噂をきいたので、塩釜へは行かず仙台の市中を歩いてみた。
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である。わかい時からまるで旅行の味を知らずに、鎌倉と軽井沢に子供たちの夏休みの七月八月を過すだけで、ある時何か
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。わかい時からまるで旅行の味を知らずに、鎌倉と軽井沢に子供たちの夏休みの七月八月を過すだけで、ある時何かの拍子
もたくさん胡桃があるけれど、私が夏ごとに住みなれた軽井沢の町近くではあまり胡桃の樹にめぐり会はないから、今ここに迎へ
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たのであらう。広い池には毎月三十石の潮を難波から汲み運ばせ、魚や貝類を住ませ、塩釜を作つて汐をやか
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と、北の国の山野を突きぬけて見る波の色は伊豆や相模の海よりももつと妖しい青さを見せた。松島駅は雑木の崖
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に乗つた。電車はかなり一ぱいでも、どこか「みちのく」らしくゆとりがあつた。街を通りすぎて「太神宮前」で降りた。
たぶんこの辺までは来ないのでせう。もし本当にみちのくまで帰つて来ても、もつと向うの方でせうね」と彼女は
は言つたが、あの辺にしろ、この辺にしろ、みちのくは限りなくひろい山野である。小町はふるさとの土を踏むため果してどの辺まで歩い
みちのくの海辺の家にみだれ咲く黄菊しらぎく食すためにありとも
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、踏むたびにぴちぴち、ぴちぴち音がした。ここで見る松島ははつきりと青く、どの島にも幾本かの松が立つてゐて、
気持ですぐ戻つて来た。途中おみやげを売る店で松島の絵のついた箸や楊子入をいくつも、それから貝細工のきれいな
、石の巻まで行くことにした。電車の窓から松島の海つづきの青い波をながめて昨年の事を思ひ出した。「手樽」と
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もので、ずつと以前浅草の花屋敷が持つてゐたのを仙台市で買つたのだといふことである。Fの家の二階から見る
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思ふけれど、何といつても源の頼義以来のなじみある奥州の土地で、清原藤原の強大な豪族の彼等であつても、天子の
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ところはむかし戎夷が叛いてこの上地に攻め入つた時、下野の勇将田道が朝廷の命を受けて闘つたが、敵は強く田道は戦死
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少し遠いけれど、ふんぱつして中尊寺に行つて見ませうと言はれて、非常に遠いところにゆくやうな気持
はすくなくなり、大きなもみぢの葉がひらりひらりと散つて中尊寺の御本堂の前は明るい平地であつた。大きな茶店では絵はがきを売つ
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は興津ぐらゐまで行つたといふ珍らしい引込み思案の私がはるばる仙台まで出かけて行つたのは、先きが自分の娘の家であるだけで
日位づつは泊つてゐたから、つまり三十日間なじみの仙台である。わかい時からまるで旅行の味を知らずに、鎌倉と軽井沢に
面倒がる私も、私としては気がるによばれて仙台の家にいく度か泊りに行つた。十六年と十七年の二度
十六年の夏であつた。Fの夫が商工省から仙台の鉱山局に転じて行つたのである。そとに出ることをひどく面倒
東京に生れて東京にそだち東京で縁づいたFが、はじめて仙台に住むことになつたのは昭和十六年の夏であつた。Fの
まだあついくらゐの名ばかりの秋であつた。その頃は仙台ぐらゐの大きな駅でも、もうタキシーはゐなかつたので、迎へに
のやうで、女の方は髪も乱れてゐた。仙台あたりから来た人らしく、学生や女学生といふよりずつと年をとつて三十
仙台行の電車が通つてしまつたあとで私たちは駅にもどつて
見えなくなつた物がまだ沢山並んでゐた。鐘紡の仙台支店は銀座のつながりのやうにモダンで、自慢の食堂はだんだん貧しく苦しくなり
まだ私は紅葉を考へる心のゆとりを持つてゐた。仙台の駅は前の年よりもずつと電気が暗いやうだつた。
仙台の動物園はかなり大きいもので、ずつと以前浅草の花屋敷が持つてゐたの
昭和十八年の春、四月の中ごろ私はまた仙台に行つた。黒磯あたりの桜が満開で、東京では見られない濃艶
仙台の家では白猫がびつくりするほど大きくなつて、いろいろな芸をするやう
。電車を下りてからすこし昇つて行くのである、仙台の何師団かが占領して、広い丘の半分以上は兵隊さんがあちらこちら
北の方の傾斜面から仙台の市を見下した。山々が昨日か一昨日降つたばかりの白雪を冠つ
たといふ噂をきいたので、塩釜へは行かず仙台の市中を歩いてみた。
。私はFと顔を見あはせて「もうこれきり仙台に来られさうもないわ」と言つた。その広い四つ辻の向う
私は二三日様子を見てから、ほんとうに仙台の町にさよならした。
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私にはとても上がれさうもないと思ひながら通りすぎた。山形に出るまでに私たちはおひるの食事をすました。窓にすぐ近いもみぢ
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東京に生れて東京にそだち東京で縁づいたFが、はじめて仙台に住むことになつたのは昭和十六年
東京に生れて東京にそだち東京で縁づいたFが、はじめて仙台に住むことになつたのは
東京に生れて東京にそだち東京で縁づいたFが、はじめて仙台に住むことに
市内の三越支店と藤崎デパートにはもう東京に見えなくなつた物がまだ沢山並んでゐた。鐘紡の仙台支店は
の小川で漬菜を洗つてゐる主婦がゐたが、東京で四月ごろ採れるタカナに似て、たけの高い菜つぱで、これ
つた、これはどこかの温泉行のバスらしかつた。東京には見られないやうな健康さうな裕福さうな若い娘であつた。
山とに紅葉が散るばかり、「みちのく」は広すぎて東京人をみじめに感じさせた。途中で日がくれて鳴子のもみぢも見
た。神国とかみそぎとか訓練といふような言葉ばかし東京で聞いてゐる身には、むかしの昔から日本に咲いたであらう花々
はまた仙台に行つた。黒磯あたりの桜が満開で、東京では見られない濃艶ないろを見せてゐた。神国とかみそぎと
、ひろい道路の角に大きな紙が張り出され、敵機がはじめて東京の空に来たといふ報知が出てゐて、その前は一ぱいの
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た物がまだ沢山並んでゐた。鐘紡の仙台支店は銀座のつながりのやうにモダンで、自慢の食堂はだんだん貧しく苦しくなりつつある国
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「猿が島」と呼ばれてゐたさうである。上野にゐる生きものたちと同じやうにこの庭にも沢山の住み手がゐて、
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仙台の動物園はかなり大きいもので、ずつと以前浅草の花屋敷が持つてゐたのを仙台市で買つたのだといふこと