徒歩 / 片山広子
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もあつた、これは気だけで歩いたのだ、しばらく軽井沢に暮してゐた私は駅から旧道の宿屋までの一本道をたびたび往復し
した。いつも重い荷物を持つてゐたが、夜の軽井沢の道はそれほど遠いとも思はなかつた。わかい人を連れにして
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たべた、そのあと何処をどんな風に歩いたものか、小金井のお花見をしたのはその同じ日であつたか、それとも翌年
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九段坂を下りて歩いて帰つた。川田さんだけは牛込の方に。そんなやうに朝から夜まで歩き廻つても別に足の腫れ
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。履物はいつも母が自分のや私たち姉妹のを一しよに赤坂の平野屋で買つて来たやうだつた。その時分は草履は流行でなか
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時分はそれでけつこう用が足りてゐたらしい。平次が江戸で犯人の足どりを考へてゐるあひだに、八五郎は三浦三崎まで出かけて
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て人力を呼んで下すつたが、あとの人たちはみんな九段坂を下りて歩いて帰つた。川田さんだけは牛込の方に。そんなやう
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神田の平次の家まで駈けてゆく。そらつと言つて平次は両国だらうが浅草だらうが吉原だらうが行つてみなければならない。歩く方に精
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容疑者の故郷を悉しく調べて帰つてくる。現代人ならば東京に帰る前につぶれてしまふところだけれど、八五郎は足に豆を拵
近年になつて、戦争中電車のうごかない時、東京の主婦たちは一日に何里かの道をあるいて焼けた親類や友人
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まで駈けてゆく。そらつと言つて平次は両国だらうが浅草だらうが吉原だらうが行つてみなければならない。歩く方に精力
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をすれば、向う柳原の伯母さんの家からすぐ飛び出して神田の平次の家まで駈けてゆく。そらつと言つて平次は両国だらうが
帰ると、ちやうど一時間ぐらゐになつた。小川町から神田橋へ出て、和田倉門をよこに見て虎の門へ出る、やうやく溜池の
時間と二十分ぐらゐの道であつた。(この中に神田の店々をのぞく時間もはいつてゐる。)むろん晴天の日ばかりであつ
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たのね、なんてさもしい勘定をしてゐた。麻布から銀座まで往復の車代はいくらだつたか覚えてゐないが、とにかく今のハイヤー
のやすみに寄宿舎から二人乗りの人力に友達と二人で乗つて銀座の関口や三枝へ毛糸だのリボンだの買ひに行き、帰つてくる
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ほそい道へまがつて山王の山すそのあの辺の道が永田町二丁目だつた。
た。ずつと以前中国公使館があつたその坂の下で、永田町二丁目の私の家からは神田小川町までかなり遠かつた。朝九時ごろ
てから右に折れて、麹町隼町に出る、そのつぎが永田町の高台だつたと思ふ、こんな事を考へてゐると車屋さんか運転手みたい
上まで歩いて富士見軒で夕食をした。私だけは永田町までの夜みちを一人歩かせるのはいけないとあつて人力を呼んで
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ぶらぶら歩いて帰ると、ちやうど一時間ぐらゐになつた。小川町から神田橋へ出て、和田倉門をよこに見て虎の門へ出る、やうやく
また或る日は小川町から神保町を通り賑やかな店々を見て――その中でも半襟屋を
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横眼に見ながらだらだら坂に来てから右に折れて、麹町隼町に出る、そのつぎが永田町の高台だつたと思ふ、こんな事を考へ
から九段坂をのぼり、お堀ばたを歩いて半蔵門や麹町通りを横眼に見ながらだらだら坂に来てから右に折れて、麹町隼町
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また或る日は小川町から神保町を通り賑やかな店々を見て――その中でも半襟屋をのぞくこと