日記 15 一九二九年(昭和四年) / 宮本百合子
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が一人の娘を生んだこと。同二十六日にセイロン島コロンボの聖ミカエル聖天使寺院で、サウザンプトンの Justise of the Peace 故アルダーマン・ハーバート・ブラッチ
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箱根へゆくとき、妻、母、永瀬氏、小田原で自動車をさがしてる間に行方不明
で、手をにぎらず、接吻せず、抱擁せぬ。箱根へ行って、かえりにその女と来て、桜木町の家の手前で下りる。
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新緑にまじって美しい郊外の小家の彼方に山脈が見える。アルプスの裾だ。この山脈が見えるところ、自分には最も Wien のこのましい点だ。
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―十時十分頃チェッコとオーストリアの境へ入った。ウィーンからつまり汽車で一時間十分位の距離で国が終るというわけだ。
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金貨引上げてあった。かえって樺太の国境の川使用権とプラチナ山の採掘ケンを貰おうとしたが、国境近い
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その晩バグダーノヴァが室へ喋りに来た。一九二五年までロンドンに居たことがあるという、貧血病の女だ。私が二月前
。カイロ市パレイ・ド・クーベッヘ、メイゾン・カファリ居住、目下ロンドン、ウールウィッチ・ウェリントン街二十八番地在住、はわが直接保護の許を去れり。
レディーアルモナーとは、ロンドンに於けるどんな貴婦人であるのか
かげ草の中に止って居る自用車。なるほど日曜にはロンドンにはロンドン子が居ぬわけ)然し昨日見た east end の人々はここには
自分が書かねば落付けない焦燥が感じられて辛い。ロンドンにもう一週間居るの忍耐だ。机なき室に三週間居たことを痛感
ロンドンを午前十一時に立ちガール・デ・ノール〔北停車場〕へ五時につい
ロンドンから十八日にかえって以来、行こう行こうと思って居て行かれなかったの
又ロンドンで、ロングフォードのあの家に居て、「一週に一度、二人で一
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情人が富士見町にある。宇野ははにかみやで、手をにぎらず、接吻せず、抱擁せ
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*ベルリンのベテカをよんで、フレデリック博物館の art gallery のところを見ると、あるあるレムブラント
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○同じ四国の女で、待合の女中をして居る女があった。大きな太ったいい
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或夢(神楽坂の祭日)
開いて神楽坂の下に出た。いつ見たこともない神楽坂が今日自分の周囲にある。祭日だ。人の無限の流れ、アスファルトの歩道
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――香川と信州とは無産運動の性質が違うでしょう、少し?
――大いに違いますね、香川というところは自分の生れたところでよく知って居るが、あすこは日本の
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上で見て居て、その塔でも狼火をあげてローマまで順々につたえた。
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島根に中條の祖父が居たことなどを知って居た。もう三十年暮して
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昨夜七時何分かに国、咲、パリからついた。夜、咲の買って来た手巾や腕輪を見ておそくなり
○戦前パリの諸銀行はロシアの炭業を完全に支配して居た。
ムードンの天文台、一寸よかったが――パリの展望大したことなく(天気不足のため)ずっと歩いてムードンの森をぬけ、
こんなにして思い出をこしらえるのは馬鹿らしいが、あとでパリ印象をかくとすると、これがなかなか役に立つのだ。いろんな、細々し
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モヤからのハガキ。シベリアは食料欠乏の由。いろいろ買わなければならぬ。いそがしくていやだ。
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)夜七時の汽車で一人出かけた。Gare de Lion〔リヨン駅〕。巴里から二時間ばかりの汽車の景色の美しさ。丁度トワイライトでその
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○ワルシャワ―ウイン間の汽車のレースにはВВ。ストルプセからワルシャワまでは、РКР(汽車がわるい。一等でも寝台なし。車掌のねだり)
。五月祭のなごりらしい。これも目についた。ワルシャワでは赤い旗など出た窓さえ一つもなかった。
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新潟からまたたびの漬けたのを貰った時母が「よくしまったとき。これ
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山は松山だ。真直にのびた松の木の山だ。
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○巴里で偶然手に廻って来る銅貨或は白銅に微妙な生活の表情のあるの
林立し、巴里大学の建物の上にも林立して、巴里の細き呼吸作用を感じさせる。
の煙突。素焼の Chimney。それは細かくほそく林立し、巴里大学の建物の上にも林立して、巴里の細き呼吸作用を感じ
○巴里の煙突。素焼の Chimney。それは細かくほそく林立し、巴里大学の建物
巴里の街上風景が非常に絵画的色彩にとむ理由の一つは、種々雑多
赤とにきらついて居るが、それは却ってこの内庭をめぐる巴里の一隅の静けさ、灯をともすのにおそき田舎らしい感じをますだけだ。
夜あけ、午前四時頃と夕方から夜、巴里も Vaugirard〔ヴォージ通り〕では都会はなれた素朴さが現れる。モスク
で一人出かけた。Gare de Lion〔リヨン駅〕。巴里から二時間ばかりの汽車の景色の美しさ。丁度トワイライトでその美しさ何
◎二日に巴里についてから〔以下空白〕
巴里の Bois〔森〕の違い。そこに漂って居る葡萄酒のほろよい、
夜、モヤへ手紙かき No. 31 私が巴里から打った電報が南米へ行ったとは驚いたものだ。
はよかったそうだ。晴天で日光が輝き、暖かかったと巴里に居ては思いがけぬ話であった。
かえってから巴里帖をこしらえる。やっぱりこうすると面白いものだ。立派な手帖でない、やす
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で、買い戻させる。それで四五千ためて、浜町へ待合を出した。客を選んで相当なところにした。すると
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中の高い船腹を五円位でかりてどんどん運ばせ、大崎に、戸野美喜製綱会社をつくり、どんどんうって瞬く間に五十万円ばかり儲け
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いうようにして居たが、そろそろ売り出すとこんな婆より新橋の方がいい。そこでみき君怒って縁を切り、今度は若い男
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家をはなれ、東京で、別の住居で、弟に死なれ、苅田さん云うに云えぬ心
起った。そして初めて、自分の置かれた Moscow と東京という地理的距離以外に大きい距りが生きるものと死ぬものとの間に在る
昔、東京堂の前あたりにミモサという文具店があった。父四十代、自分を
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死んだ弟(良策二十一)の絵が入選して居る。大久保作次郎門下。